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『電子戦隊デンジマン』第11話『いのち泥棒を追え』

◼️『電子戦隊デンジマン』第11話『いのち泥棒を追え』

(脚本:上原正三 演出:広田茂穂)


導入

テンションが無駄に高いタイヤジコラー

「めでたい!めでタイヤ!タイヤジコラーにございます」

こんなしょうもない親父ギャグを言いながら登場したベーダー怪物が未だかつていただろうか?
今回は「車」がモチーフの怪人ということで、奇しくも同時配信の『激走戦隊カーレンジャー』や現在放送中の『爆上戦隊ブンブンジャー』と同じ車ネタでかぶっている。
脚本的にはこれといった見所はないのだが、やはりアクションシーンが多めなのと、実は初のデンジレッド・赤城一平メイン回ということもあって彼の人となりが改めてここで示されていた。
コメント欄などを見るとどうやら後半のバイクVSカーアクションが見所であるとのコメントがあるが、個人的にはそちらよりも前半の方が広田監督の面白い演出が見られるようで面白い。

また、今回はベーダー一族が初めてデンジマンのメンバーに近い子供達をターゲットにして狙う回でもあって、設定的に仕方ないとはいえやはり空手道場を野球場でやっているのは違和感でしかない
スポンサーの要請があったからとはいえ、やはり撮影場所として野球場というのはそれだけで贅沢すぎるし、アイドルがコンサートをやるんじゃないんだから安易な見世物として使ってほしくはないのだ。
昭和特撮の理不尽といかおかしな点として「何でその場所で撮ってるの?」問題というのはあって、今回のこれなんかは特にそういう「撮影場所がそこだったからこの事件が起こってしまった」と思えてならない。
そう考えると、やはりこの辺りは『鳥人戦隊ジェットマン』以後の90年代の方が洗練されていて、初期の戦隊に目立っていた撮影場所の不自然さ・違和感のようなものはなくなっていく。

それからこれは詳細に後述するが、子供達の魂がものすごくチープな安物で作った感があるのも興醒めしてしまう要因ではあり、小道具にはもう少し気を使って欲しいどころではある。
デンジリング自体は非常にしっかりと作られていたので、その対比というわけではなかろうが、どうしても低予算で済ませてしまったことが見えてしまうようなのは個人的に好ましくはない。
「細部に神は宿る」というが、中心化されている部分がしっかりと盛り上がるのは当たり前のことであって、プロなんだから中心化されている部分はしっかり盛り上げていただかなくては困る
大事なのはこういう中心化されていない部分の細部、いうなら枝葉の部分をどれだけしっかり作り込めるかにあって、その意味で今回は総合評価としてはかなり下がってしまった。

そのためクオリティーとしてはB(良作)100点満点中70点、これでもっと細部をしっかり練り上げていたならばせめてA(名作)になりえただろに、こういうところで減点されてしまっている。

今回の見所はバイクVSカーアクションではなく後楽園ゆうえんちの階段アクション

狙ってもなかなか撮れないアクションの1カット

コメント欄を見ると、今回の見所としてバイクVSカーアクションが挙げられていたが、個人的にはそこは中心化されている部分だから、あまりそこで褒めるべきことはない
冒頭で述べたように、こういうチェイスアクションはこの時代の東映特撮のお家芸だったわけであり、広田監督も狙って撮っているわけだから上手くできて当たり前である
ところが昨今ではどうもCGに頼ったチャチで薄っぺらい画しか見てない人が見ているからなのか、昭和時代だったらごく当たり前にできていたことが逆に褒められ出してる現状は逆に危険だと思った
それに昔はCGがなかったからこそ生まれた創意工夫というのが当たり前にあったわけだが、便利なデジタル技術に安易に頼ってしまうことでそれが希少価値みたいになってしまうのは表現の幅の狭さだと感じさせられる。

これは中心化されたものだからできて当たり前

というわけで、実は個人的にアクションシーンにおいて感心したのは実はメインとなっている後半のバイクスタントではなく、前半のシーンで見せている後楽園ゆうえんちの階段を用いたアクションなのだ。
カメラワークが若干わかりにくいが、階段だけではなく遊園地のアトラクションも活用して子供達からデンジマン、さらにはベーダー怪物に戦闘員まで入り混じってのスタントがまるで幕の内弁当のようで面白い。
一枚の絵の中に様々なものが意図せずして入り混じった群衆の動きをキャメラがしっかりフィックスで捉えていて、こういう小さなシーンにこそ監督の腕の差が端的に現れてくるのではなかろうか。
特にデンジブルーがぶら下がっているこのショットなんてよくもまあこれだけ蠢いている中で撮れたなと感心する一枚であって、大事なのはアクションそれ自体ではなくそれをどうキャメラに収めるか?である。

この1カットの中にベーダーに襲われ逃げ惑う子供たちとそれを守ろうとするデンジマンの姿がしっかり収まっているだけではなく、後楽園ゆうえんちの空間性と階段をうまく納め切っているのだ。
個人的にこの時代のアクションシーンはどちらかといえば竹本監督の印象が強かったので、広田監督がこういう意外なショットを撮れる監督だとは思わず、これはなかなかの拾い物だろう
考えてみるとものすごく馬鹿馬鹿しいことを大真面目にやっているわけだが、子供達の魂が吸い取られた危険な状況なのにこういったことをできる余裕というか遊び心が面白いところだ。
バイクVSカーなんて別に『仮面ライダー』をはじめとする70年代特撮の方がそういうのは無数に撮っていたわけであり、だからこの時代の文法になっていたものだからさして驚きの対象たり得ない。

基礎的なものはできて当たり前であって、それができた上であとはどれだけ細部をしっかり作り込めるかというところで、前半のアクションシーンの方がアイデアと技術が伺えて面白い。

子供達の魂がそこら辺のガシャポンじみた偽物感

明らかにガシャポン

さて、上記は良くできた細部だったわけだが、一方で出来の悪かった細部というのもあって、それこそが子供達の魂を怪人が奪ってしまった後に袋から出して見せた魂である。

ガシャポンの景品か!

思わず面食らってしまったわけだが、これは決してこの時代の限界だからとかではなく、単純に小道具をデザインした人たちが適当に手抜きしたとしか思えない雑なクオリティーだ。
冒頭でも述べたが、こういうところで手を抜いてしまうのは非常によろしくなく、せめて魂を球体で表現するにしてももう少しそれらしく見せられないものかと思えてならない
まあ私の場合は後年の『五星戦隊ダイレンジャー』の序盤に出てくる鍵道化師が子供達の魂を抜き取る描写の秀逸さを見ているので、余計にそう思ってしまうのかもしれないが。

表現が進化したダイレンジャーの魂

比較として「ダイレンジャー」3話の鍵道化師がゲスト・ゆみちゃんの魂を抜き取る描写を示していたが、今回に比べるとやはり13年も経っているのもあって技法も洗練されている
タイヤジコラーはいわゆる当たり屋のようにぶつかることであっさりと魂を抜き取ってしまうのだが、鍵道化師は一度子供達の胸を開けてから魂を抜き取っているのだ。
しかも魂の球体の表現もしっかり小道具として作り込まれていて、こういうところではどうしても初期の戦隊が後年の戦隊に負けてしまっているのではないだろうか。
無論こういう細かいことでいちいち論うのも良くはないのだが、今回の魂に関しては決して「細かいこと」ではなく物語の中核にも絡むことなので、無視することはできまい。

子供向け番組は特に他の作品と比べても予算や枠が制限された中で創意工夫して作らなければならないわけだが、今の時代はこういう昔の作品の撮影の技法がどうにも見るに堪えないものもあるようだ。
親友の黒羽翔は「昔の東映特撮は脚本はともかく撮影技術・演出などの映像のクオリティーでは円谷の足元にも及ばない」と言っていて、実際こういうのを見てしまうとそう思わざるを得ない。
まあ昔の東映特撮は特に「下手な鉄砲数撃ちゃ当たる」の感覚で濫作しており、その中で当たりが出ればそれでいいという時代だったので、時代性を考慮すると致し方ない面もあるわけだが。
逆にいうと、これが90年代に入っていくと作られていくシリーズも絞られるようになるので、こういう小道具のクオリティも含めた細部に対する意識が自然と向かっていくようになる

こういうところをどれだけきちんと手抜きせずにこだわりを持って作れるかが大事なのだが、この作品に関してはその辺りの意識もまだまだであると言わざるを得まい。

脳筋に見せかけて理性的なデンジレッド・赤城一平

危機を打開するデンジレッド

そして今回はおそらく11話目にしてほぼ初めてのデンジレッド・赤城一平のメイン回ということもあり、彼の人となりが浮き彫りになるわけだが、彼の造形自体はあまり珍しいものではない
ベーダー一族に囚われた中で教え子の魂が抜き取られたことに怒りを覚えつつも、決して目先の感情に振り回されず囚われた状況を逆手に利用してベーダー一族を倒してやろうと考えていたのだ。
まあそれをナレーションでも説明してしまっているのは「無駄な饒舌」というやつなのだが、赤城一平のキャラクター性は元を辿ればアカレンジャー・海城剛にある「カリスマ型リーダー」である。
優等生」と言い換えてもいいかもしれないが、この時代のレッドは他のブルーやイエローと違ってキャラ付けがしっかり固定されており、「レッドは真面目な優等生でなければならない」というお約束があった。

私が戦隊を意識して見るようになったのは「ジェットマン」からなので、最初にまともに見た戦隊レッドが実はこのカリスマ型リーダーとしてのレッドに対するカウンターとして打ち出されたレッドホーク・天堂竜だった。
しかもそれ以後は基本的に「完璧超人ではないレッド」をベースに育っているため、改めてこの時代に作られたアカレンジャーを祖とする戦隊レッドの胆力・統率力・判断力・度量は今見ても非の打ち所がない。
あまりも完璧すぎて逆に「本当に人間か?」と思う人もいるかもしれないが、Z世代が逆に昭和に憧れを持つようになっているのはこういう「完璧超人」な部分にこそあるかもしれない。
空手の教え子が自分の不手際でピンチに陥り、それに憤慨しながらも決して感情に流されず厳しく律した上で自分にできる最善の策を導き出して戦うことができるのが赤城のすごいところだ。

思えば2話冒頭でも後ろ向きなあきらに対して激昂する緑川を嗜めていたが、こういうピンチでも決して諦めない冷静さと度量の大きさこそがこの時代の戦隊レッドを大きく規定していた特徴である。
現在同時配信中の『デジモンアドベンチャー』の主人公・八神太一はこの辺りの戦隊レッドをモデルに作られていたようだが、90年代に入ったこともあってか幾分横暴さとしても目立つようであった。
空手を教えていることから体育会系の脳筋なのかと思いきやしっかりした合理的判断ができる人であって、だからへドリアン女王を侮辱され激昂したヘドラー将軍に痛ぶられても決して感情的にならない
その上でバイクを使って脱出し子供達の救出を優先するわけだが、今の戦隊レッドにはないスマートなかっこよさがあって、こういう頼れる人が逆に主流じゃなくなっているのが今の時代ではなかろうか。

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