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『デジモンアドベンチャー:(コロン)』(2020)簡易感想〜無印よりはすんなり見られたが、全体的に「背骨の強固さ」が足りない作品〜

『デジモンアドベンチャー:(コロン)』(2020)を見たので簡潔にだが感想・批評をば。

評価:E(不作)100点満点中40点

率直に言えば「無印よりはすんなり見られた」が、それでも全体的に「背骨の強固さ」が足りていない、根本的に「詰め不足」と言わざるを得ない出来の作品だったというのが本作全体の感想になるだろうか。
本作はまずテレビ東京で作られたという制作事情からしてそうだったのだが、そもそも「どの層に向けて作った作品なのかがわからない」というのが最大の難点として挙げられる。
まあとは言え「tri.」という黒歴史や原作の設定を台無しにした「ラスエボ」の不出来っぷりを見るに「それでもあれらよりはマシだった」と言えてしまうのが本作の恐ろしいところなのだが。
決して素材そのものは悪くなかったし、最終回が不出来なら不出来なりの軟着陸を見せていたのでホッとしたのだが、それでも「Vテイマー01」の傑作ぶりや「02」後半の大輔の突き抜けた格好良さにはハマらなかった

要するに、一瞬で私の心をグッと鷲掴みにしてしまうだけの「何か」が本作にあったのかと言えば決してそうではなく、結局のところは「痒い所に手が届かない作品」に終わってしまったように思われる。
まあそれもこれも全ては原典となる無印自体がそもそも「ポケモン卒業生」というニッチな層を狙った隙間産業として作られた作品だったからなのだろうと思うのだが、以前にも書いたように私はその無印からして全く受け付けなかった。
なぜかと言えば一番の理由は「ウィルス種=闇=悪」という極めて単一的かつ主観的な客観性を欠いた価値観の押し付けが不快だったからだが、もう1つの理由としては「ポケモンを見下して舐め腐っている」のが作品全体から伝わるからである。

ポケモンはモンスターや人間の豊富なキャラデザの素晴らしさはあるが、バトル中心でバトルが終わればハイ友達という単純なストーリーがあまり胸に来ない。子どもの学校生活が全く描かれないのも不満の一つだ。

イービルリングで手駒を増やし、労働力・戦力として領土を広げるその姿は、「○○モン、ゲットだぜ!」と言わんばかりでした私が○ケモンが好きになれないのは正にこの点です。トレーナーのやっている事は本質的にデジモンカイザーのやっていることと変わりません)。

このようにデジモンファンは(全員が全員ではないだろうが)やたらとポケモンを幼稚で単一的と見下しデジモンを「大人の鑑賞にも耐えうる高尚な文芸作品」とでも言わんばかりのキリスト教徒みたいな崇拝をするのが私は反吐が出る程嫌いである。
そしてその中でも「デジモンアドベンチャー」の初代をやたらに思い出補正込みで評価する「無印信者」と呼ばれる連中とはできれば一生関わりたくないのもあって、余計に無印を好きになれないまま今日に至っているのだ。
こうやってポケモンをやたらに批判してデジモンを過度に持ち上げるファンジンはそもそも「ポケモン」が「モンスター育成ゲーム」のファーストペンギンとして前例のない土台を0→1で築き上げてくれたから「デジモン」の後発者利益が成り立つことになぜ気づかないのか?
言うなればデジモンはロボアニメにおける「ガンダム」「エヴァ」と似たようなもので、アニメ界のエポック()と言われる両者だってその大前提にダイナミックプロの「マジンガー」「ゲッター」「コン・バトラー」「ボルテス」の築き上げた土台があってこそ成立するのだ。

つまりポケモンやたまごっちという先行者利益があるからこそ、デジモンがその両者が敢えてやらない「人間ドラマ」だとか「心の成長とモンスターの進化の相関」と言ったテーマができていることに気づいていないのである。
それにポケモンはあくまでも天才クリエイター・田尻智の幼少期の昆虫採集が原体験としてあり、それをゲームの中で再現しようというところからあのシリーズが始まったのであり「子供の学校生活」とか「家庭の問題」とかは描く必要がない
というより、私もそうだがポケモンやたまごっちを大好きでいるメイン層はそんなくだらない火サスじみた人間模様のドロドロなんかモンスター育成ゲームに求めていないのであり、デジモンは敢えてそこをやったという奇を衒った感じが受けただけだ。
だからこその「ポケモン卒業生集まれ」という関弘美のやり方がヒットしただけであって、別にデジモンそのもののやろうとしたことなんか珍しくも何ともない

私の場合はそもそも「無印があんなに素敵だったのに」といった「思い出補正」が全くない、強いて言えば「02」から「Vテイマー」に入って未だにVテイマーの八神タイチとゼロマル、そして本宮大輔とブイモンのコンビが大好きという少数派のファンなのである。
したがって、本作を評価する上で「無印至上主義」というものは全くなかったのでその辺りをフラットに見ることができたし、何だったら進化やバトルの演出は無印なんかよりもクオリティが断然上だったので、総合得点は無印よりも高い。
特にウォーグレイモンとメタルガルルモンのワープ進化をCGではなく手描きで掘り起こしてくれたのが熱くていいと思ったし、いわゆる本作における「暗黒進化」の演出が決して太一個人の意思で暴走したわけじゃないというのもよかった。
無印の暗黒進化は太一の意思の強さが傲慢さ・無謀さに変換されてああなってしまったから起こったわけだが、本作の暗黒進化は瘴気という外的要因により本人の意思とは無関係に引き起こされている、言うなれば「02」の11話に近い状況だ。

関弘美が担当していたアニメシリーズの暗黒進化は「主人公の心の暴走」という主観的なもので引き起こされているのだが、本作ではそうではないという差別化も良かったし、あとは散々擦り倒されて株が下がりまくりのオメガモンを復権させたのもよかった。
3話からいきなり出していたので「大丈夫か?」とは思ったのだが、これもあくまでターニングポイントのみに押さえて使い、またラストの方ではAlter-sというオリジナル形態を出してきたのも個人的には決して悪くないと思っている。
「ウォーゲーム」の時の神がかった演出が特別だっただけで、それがかかってないオメガモン自体は意外と普通の究極体であり、他にもゴッドドラモンやセラフィモンの「歩く敗北フラグ」の払拭なども非常によかった。
あとは八神太一と石田ヤマトが無印に比べてブラコン・シスコンじゃないのも賛否両論あるとは思うが、個人的には無印のあの偏った肉親愛が超絶気色悪くて受け入れられなかったので、それがないのは逆にスッキリしている。

そして何よりも無印の一番の癌細胞だった「ウィルス種=闇=悪」という偏った価値観がないのも非常によかったところで、ナノモンやエテモンが味方になっていたり和解していたりするのが個人的にはとても好感度が高い。
アズマケイさんの書いた「おれとぼくらのあどべんちゃー」に影響を受けたかどうかは定かではないが、少なくとも無印の時に地雷だった要素がほぼ全て緩和されていて、それだけでも心おだやかに見られたのはよかったところではある。
とは言え、では100点満点だったかというとそうではなく全体的にはやはり「物足りない」と感じたのは事実ではあり、何が物足りないのかというと「なぜそのキャラはそう思考して動くのか?」という「背骨の強固さ」であろう。
ここがおそらくは無印と本作の大きな違いであり、本作を批判している無印信者が口を揃えていうのは「無印に比べて本作の太一たちは人間味がなくただの別人28号にしか見えない」という意見だ。

もちろん詳細に描いたからいいというものではないし、私は正直無印組のキャラづけが生理的に受け付けなかったので鵜呑みにはしていないが、本作最大の問題点は「形式的に無印をそのまま継承してしまったこと」であろう。
特に一番キャラ付けが変わったのが原作だと「みんなのお母さん」でありながらその本質は「ただの甘えん坊」だった空が本作では常に臨戦態勢で、下手すれば太一やヤマト以上に好戦的な武闘派として描かれていた。
むしろ本作では空こそが「勇気」の持ち主なのではないかと思ったのだが、なぜか形式的には「愛情」となっており、いや流石にこのキャラ付けで「愛情」にはならんだろうとはさしもの私でも思えてならない。
他にも「相手を慈しむ純真さ」ではなく「自分の好き勝手やる我儘」しか残らなかったミミや「仲間のために無茶もして頑張る誠実」ではなく「単なるビビリでヘタレ」なだけの丈なども似たようなものである。

太一のリーダーシップやヤマトのヤマトの友情にしたって最初からそうだったわけではなく、冒険の中で「磨かれて行った」からあの個性を掴んだというのは間違いなくあるわけだ。
そこをやらずに太一たちのキャラを本作のように描くのであれば、「心の紋章」という個性自体を取り除いて別の要素で埋め合わせをするべきであって、本作はそこの「背骨の強固さを埋める別の何か」が根本的に欠落している。
もっと端的に言えば、本作の太一たちは「Vテイマー」のような「超越的ヒーロー」として描かれているのか、それとも無印のような「等身大の小学生」として描かれているのかという本筋からしてぶれてしまっている。
例えば「Vテイマー」のタイチとゼロマルは無印とは違い超越的な存在として描かれていたが、それは現実世界の彼らが「勝率100%コンビ」として描かれていたという強固なバックボーンがあったからだ。

そのタイチとゼロマルが戦った宿敵の彩羽ネオやエイリアス3の藤本秀人・豪徳寺マリ・シグマもみんなタイチとゼロマルに負けず劣らず屈強な究極体を操る化け物揃いである。
本作はだから「Vテイマー」路線で行くのかと思いきや、デジタルワールドに行く前までは等身大の子供として描かれていたので、彼らが一体どのようにしてデジタルワールドで見せるあの強さを得ていたのかがわからない。
しかもその最初に設定された「記号としての強さ」ですら後半に向けて深まっていき磨かれて行くわけでもないから、見ている側としてはどこで強くなったのかのかが可視化されてないという状態なのである。
また、本作は太一にしろ空にしろ仲間たちがベラベラ喋りすぎであり、特に太一は「うるせえからもう少し黙っとけ」と何回思ったかわからないくらいによく喋る、あのムードメーカーの大輔ですら無駄なことは喋らなかったというのに。

そして何より、こんなことを言ってしまってはなんだが私が一番「デジモン」を見ていて盛り上がるのはやはり「Vテイマー」のタイチとゼロマル、「02」の大輔とブイモン、そして「デコード」のリナとブイブイのブイモンテイマーズが動いた時だ。
これはもう理屈ではない、ブイモンテイマーたる彼らこそが私にとって一番活力を得られる「ヒーロー」であり「癒し」であって、それは無印組8人が揃おうが大門マサルがいようが、他のキャラクターでは到底感じることのできないものである。
それくらい私の中ではデジモン=ブイモンテイマーズ=八神タイチ&ゼロマル、本宮大輔&ブイモン、四ノ宮リナ&ブイブイの三巨頭が圧倒的存在感を持って君臨しているので、太一たちはどんだけ活躍しようがテンションが上がらない
そこを大前提に置いた上で、客観的にも主観的にも「無印よりはマシだが諸手上げて褒められた出来ではない」という評価として、100点中40点に落ち着いたというところだろうか。

まあこの俺様にE(不作)という評価をデジモンで出させてやっただけでも大したものではある、大嫌いだった無印組にここまでの点数をつけさせただけでも「Tri.」「ラスエボ」よりはいい仕事をしたと言えるだろう。


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