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全国大会編の手塚国光の心理を考察!なぜ越前にS1を譲り最後は「プロになる」と回想で漏らしていたのか?

手塚のキャラクターに関しては以前考察しましたが、今回はそれを受けて改めて全国大会編における手塚の心理というか内面について考察してみます。
個人的に不思議だったのが最初の比嘉中の部長対決以外で彼がS1を務めたことはなく氷帝戦以降は全て越前に譲っており、後はS2・D1・S3というところを担当しているのです。
全ては許斐先生の采配なので真のところはわかりませんが、劇中のこととして見るとオーダーを組んでいるのは乾と竜崎先生だと思われますが、手塚はこの采配で納得したのでしょうか?
大石が全国大会前に手塚と試合をした時にはまだ百錬自得の極みを出していませんでしたが、それでも完治したこともありかなり吹っ切れた様子であることが伺えます。

彼の全国大会での戦績と試合内容で何を見せたのかを軽く振り返ってみましょう。

  • VS木手(比嘉戦):手塚ゾーンの復活と百錬自得の極みの初披露

  • VS樺地(氷帝戦):ゾーンと百錬自得をコピーされるも雨天により経験の差が露呈する

  • VS千歳(四天宝寺戦):百錬自得VS才気煥発の変則シングルスマッチで才気煥発を習得

  • VS真田(立海戦):上記の技を真田に攻略され、手塚ファントムと零式サーブを初披露

このように見ていくと、無我の扉の奥に踏み込んでいるのと同時に自身の技を真田との試合の中で進化させるという神業を見せています。
それでも私から見ると手塚は心底楽しそうに試合をしているようには見えず、特に立海の真田戦はギリギリの攻防だったとはいえ真田に負けたのです。
その分成長が目覚ましいのが越前と不二をはじめとする他のメンバーなのですが、手塚は技や技術の進化以外に何か特別なことをしているわけではありません。
そんな彼は決勝を前に大石に「プロになるためドイツに行こうと思っている」と話しており、すでに将来のことを見据えていたようです。

しかし、真田戦で回想が出てくるまで手塚がドイツのプロ入りを決意したというのは読んでいた当時はあまりにも唐突で、一体なぜドイツか、そもそもいつの時点でプロ入りを決意したかも明確に示されていません。
そこを心情面から考察してみると大きなきっかけとしては2つあって、1つが九州で療養している時に出会った千歳千里の妹・千歳ミユキ、2つ目が越前リョーマの大きな成長と進化にありました。
まず1つ目は樺地戦で詳細が描かれていますが、手塚は九州の宮崎で療養している時に(宮崎県民なのであのコートはおそらく青島運動公園かシーガイアリゾートだと思われます)イップスに陥ったのです。
しばらく左肩が上がらない状態になっていたのですが、これは関東氷帝で跡部に負けたトラウマが大きく影響しており、また大石に任せた青学のことが気がかりだったのでしょう。

しかしその一方で療養に専念したことで「青学の部長」としてではなく1テニスプレイヤーとして接してくる千歳ミユキの存在は手塚にとっては大きな刺激となったのは間違いありません。
テニス自体はそんなに上手くないミユキですが、それでも越前リョーマや遠山金太郎のようにハキハキしていてテニスに対して前向きかつ純粋です。
そんな彼女と一緒に過ごす中で手塚は小学生の頃テニスを楽しくやっていた時の気持ちに戻ることができ、自分のテニスの原点と向き合うことができました。
だからこそ百錬自得の極みを取り戻すことができたと同時に、自分が何のためにテニスをするのかという原点をもう一度取り戻して完全な手塚国光となったのです。

そして何より大きかったのが手塚を抜きにした状態の青学が幸村抜きの立海を関東大会で破って優勝したことであり、これも手塚にとっては大きかったのでしょう。
もし関東大会決勝で青学が負けていたら手塚は安心して治療に専念できず、それこそ幸村のように「青学の柱」として「自分がいないとダメだ」という呪縛に囚われたかもしれません。
新テニに入るとわかりますが、手塚は本来独覚者であり誰かのためとかチームのためとかではなく自分のためにテニスをすることが生き甲斐なのです。
以前に書いたように「全国大会ナンバーワン」という目標にしたって自分がその高みに登りたいからであって、利他的ではなく利己的な視点でその想いを述べています。

そしてもう1つのきっかけである越前リョーマの大きな成長と進化ですが、越前は特に関東大会決勝で真田弦一郎という手塚・跡部に匹敵する強敵を打ち破ったのです。
これもまた手塚にとっては大変うれしいことだったに違いなく、越前が自分と同じくらいの高みに登ってきているという事実が手塚の心理面をかなり軽くしていました。
特に氷帝との再戦で越前に青学の柱を譲ってからは自分のためにプレイすることができ、特に樺地戦と千歳戦はチームのためではなく自分のために戦えたと思います。
ところが、そんな2試合を経ての真田戦でも手塚は苦しそうに戦っていましたが、一体なぜあの時の手塚は自分の腕を再びチームのために犠牲にしようとしたか、そしてなぜドイツ行きを決意したのか?

この2つの断片的な事実を繋げられる解釈としては「真田と戦うことで自分の限界を超えることができる」ことを越前から教わり思考の枠を破ることができたのでしょう。
手塚は最初の練習メニューでも言われているように完成した強さを持つがゆえに柔軟性に欠ける男であり、手塚ゾーンと百錬自得の極みから進化しようとはしませんでした。
その壁を壊すきっかけを与えてくれたのは越前であり、越前から「手塚ゾーンで相手の球を外に出せばいいのに」というアドバイスを貰ったのです。
手塚は「左肘に物凄い負担がかかるから無理」と言いましたが越前は「理論上可能なら可能っすよね?」と言い、越前も越前で手塚をそれだけ高く評価していました。

そして真田もまた自分を倒すために風林火陰山雷を出してきたことで自分のテニスが破られたわけであり、そこで泣き寝入りするわけにもいきません。
これで手塚が無茶をしたことに関しては越前のお陰と分かりますが、そのことと大石にドイツ行きを告げたことは一体どこから出てきたのでしょうか?
色々考えられますが、手塚はもう自分がいなくても青学を任せられると思ったこともありますし、後は日本で自分を楽しませてくれるプレイヤーは既にいなかったのでしょう。
不二は勝ちへの執着に目覚めたもののNo.2ですし、越前もまだ成長段階にあるため自分と真の意味で同じところのいるプレイヤーはいませんでした。

だからこそ手塚は青学が優勝した後ドイツに行くことで自分を更なる高みへ押し上げ、また青学の柱の呪縛から解放されると思ったのでしょう。
そもそも青学の柱にしても自分の意思でなろうと思ったわけではなく、大和部長に半強制的に押し付けられたものであり、それが手塚の心の呪縛になっていました。
そんなしがらみから逃れるためには青学テニス部部長という肩書きを捨てる以外にはなく、かといってそれを継承できる人がそんなにいるわけもありません。
手塚はそんな風に色々考えた結果、越前に青学の柱を託して(押し付けて)早いところ自分を重責から解放してのびのびとテニスをしたかったのでしょう。

こう考えると切なく悲しい話ではありますが、もう手塚の心は千歳ミユキと出会い百錬自得と手塚ゾーンを取り戻した時点で、青学テニス部にはなかったのかもしれません。
だからこそ手塚は越前が幸村を天衣無縫の極みに到達して倒して優勝を決めた時に久々に笑顔を見せたわけであり、手塚のあの笑顔は解放のカタルシスだと思われます。
何やら仏頂面で腕を組んでいるために気難しい人と思われがちな手塚ですが、根っこのところは単純に自分のためにテニスをする環境が欲しかったのでしょう。
そしてそのためには青学テニス部という狭い部活の環境や「青学の柱」などというものは手塚の中で取るに足らないちっぽけなものに思えて興味も薄れていたようです。

しかしテニスは器用な天才でも性格面は不器用ですから、本当の意味で「青学の柱」という呪縛から解放されテニスを楽しむようになるには「新テニ」の大和部長との再会が必要となるのですが……。
結局のところ全国大会編の手塚は自分のテニスを取り戻せたはいいものの、環境が自分のためにテニスを楽しむことを許してくれなかったために楽しくなかったということでしょうか。
そう考えると、全国決勝で越前がその「青学の柱」の呪縛から解放され、五感剥奪という喪失と絶望を味わってもなおテニスを楽しみ天衣無縫の極みに目覚めたのは手塚にとっても大きな救いとなったことでしょう。
いやあよく出来てるなあテニプリは。

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