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これだけはやってはならない!?スーパー戦隊シリーズ全体に共通する失敗要因と年代・時代別の失敗要因を徹底分析!総合的な傾向と3つの対策も紹介

さて、スーパー戦隊シリーズを現在リサーチ中ですが、今回は「なぜスーパー戦隊シリーズは失敗するのか?」について私なりに分析してみました。
よく作品や商品を分析する時に「ヒットした理由」「成功体験」を語ることは多いですが、それらは実のところ何の参考にもなりません。
確かに成功体験やヒットした理由というのは誰もが知りたいし聞いていて気持ち良く、まるで自分が成功者になったかのように錯覚しがちです。
しかし、成功体験や勝利・ヒットというのは大体時の運や神がかった奇跡のような偶発的要素が多く、その人だから上手くいったことは無視されています。

逆に「失敗体験」「ヒットしなかった理由」というのは実は調べていくと意外と共通していて、個々に細かい違いはあれど根幹の部分は同じです。
ということは、スーパー戦隊シリーズの中で「失敗作」「駄作」「不評な作品」といったものがなぜそうなのかを掘り下げてみるのも一興ではないかと。
そこで今回は私が以前に評価した歴代スーパー戦隊のレビューを元にスーパー戦隊シリーズの失敗要素を徹底分析してみましょう。
そしてそこからシリーズ全体に共通する失敗と年代や時代別に発生している失敗を分析し、傾向と対策を私なりの見地で割り出してみます。

対象作品はD(凡作)〜F(駄作)で評価している作品、『ジャッカー電撃隊』『太陽戦隊サンバルカン』『超新星フラッシュマン』『光戦隊マスクマン』『高速戦隊ターボレンジャー』『超力戦隊オーレンジャー』『百獣戦隊ガオレンジャー』『忍風戦隊ハリケンジャー』『爆竜戦隊アバレンジャー』『獣拳戦隊ゲキレンジャー』『天装戦隊ゴセイジャー』『特命戦隊ゴーバスターズ』『獣電戦隊キョウリュウジャー』『手裏剣戦隊ニンニンジャー』『宇宙戦隊キュウレンジャー』『騎士竜戦隊リュウソウジャー』『魔進戦隊キラメイジャー』の17作品が対象です。

それではどうぞ。

<歴代で不評なスーパー戦隊シリーズの作品別・失敗要因>

『ジャッカー電撃隊』

・メンバーたちが没個性化してしまっており、強さを均質化してしまっている。
・組織規模とやっている内容がきちんと一致しておらず、一貫性がない。
・メンバー同士のラブロマンスを書けば盛り上がるわけではないのに唐突に入れたがる。
・作品の世界観をスポイルしてしまうような余計なテコ入をしてしまっている。

『太陽戦隊サンバルカン』

・司令官や悪の首領の存在感が強烈過ぎて戦隊のメンバーを完全に食ってしまっている。
・戦隊レッドに1度もメイン回がなく、他のメンバーもメイン回はあるもののキャラが没個性。
・大河ドラマ方式で勝負するわけではない場合、単発の話のアイデアを面白くしなければならない。
・下手に歴代戦隊との繋がりを持たせるような設定を入れてしまっている。

『超新星フラッシュマン』

・初めて「地球の平和を守る」以外の「家族と再会する」という目的ができたにも関わらず、そのためのドラマが構築できなかった。
・2号ロボと要塞型ロボを出したにも関わらず、しっかりと使われておらずデザインも微妙だった。
・主人公たちに「反フラッシュ現象」などという背負わせる必要のない無駄なハードルを背負わせてしまった。

『光戦隊マスクマン』

・レッドと敵の女幹部にラブロマンスを背負わせたにも関わらず成功せず、また他のメンバーが没個性化してしまった。
・神秘の力であるオーラパワーとF1レースというモチーフに関連性が全くなく、力の源がはっきりしなかった。
・歴代初の5体合体ロボを出したのはいいが、使い分けがイマイチであった。
・ラストの結末にまるでカタルシスがなく、イガムの唐突な改心とタケルとイアル姫の唐突な離別に納得できなかった。

『高速戦隊ターボレンジャー』

・歴代初の高校生戦隊なのに車を運転しており、完成されたヒーローで全然「高校生戦士」という設定が活かされていない。
・レッドが強いのではなく暴魔百足が弱く、前半で敵があっけなく死んでしまうため敵組織が没個性である。
・流れ暴魔たちの扱いも微妙であり、運命共同体が結ばれたとしても特に劇的な盛り上がりはなかった。

『超力戦隊オーレンジャー』

・ヒーロー像と敵組織の戦いが80年代までの軍人戦隊に逆行してしまっており、完全に時代遅れのオンボロ遊園地となった。
・ロボットや武器などのパワーアップアイテムは確かにデザインこそかっこいいが、見せ方や使い分けが微妙だった。
・「超力」という力の定義も劇中で一貫しておらずブレブレであり、それが終盤の展開の説得力のなさにもつながっている。
・命がけの殺し合いなのに敵が見苦しく「赤ん坊は殺すな」と命乞いし、挙句に「マシンにも愛はあった」という投げやりな結末を出している。

『百獣戦隊ガオレンジャー』

・玩具売上や視聴率などの「数字」を叩き出すためにストーリー・キャラクター・世界観を犠牲にした。
・6人の役者にヒーローとしての「華」がなく、変身前のキャラクターの個性が弱い。
・「単純さ」と「熱血」が一体化して思考停止同然の「雄叫びをあげて突っ込む」という作劇に走ってしまった。
・更に盛り上げるための手段として「奇跡の乱発」を用いてしまい、作品として破綻してしまった。

『忍風戦隊ハリケンジャー』

・キャラクターを前面に押し出したのはわかりやすいが、ストーリーの力が弱い。
・「アレ」やシュリケンジャーと御前様との主従関係など、仕込んだ要素が不徹底に終わってしまった。

『爆竜戦隊アバレンジャー』

・喋る相棒キャラという設定が試みられたものの、変身前のキャラクターも爆竜にもまるで華がない。
・最初から最後まで敵のままのアバレキラーも「腹痛が起きて撤退」を繰り返し、死で終えればいいだろうという安易な結末に終わった。
・深い文芸など書けもしないのに書こうとして失敗し、結局オタク向けのネタしかできなかった。
・チャレンジ精神と呼ぶべき要素が全て只の「試み」で終わってしまい、「子供を楽しませること」を忘れてしまった。

『獣拳戦隊ゲキレンジャー』

・「戦いを楽しむ」というジャンプ漫画の世界観と「正義の為に人を守りながら戦う」というスーパー戦隊シリーズの世界観の違いを理解できていなかった。
・敵がハードな修行をしているのにヒーローがぬるい修行をしており、敗北→修行→再戦を繰り返している為ヒーロー側が弱く見えてしまった。
・「みんなを守る」の「みんな」がはたして誰のことを指しているのか具体性がなく、戦いの動機の定義付けとパワーアップが連動していなかった。
・ヒーローであるゲキレンジャーよりも敵側であるリオメレの方がしっかりキャラ立ちしており、数字の上でも大ゴケしてしまった。

『天装戦隊ゴセイジャー』

・護星天使というヒーロー自体が漠然としていてアマチュアなのかプロフェッショナルなのかといったところがわからない。
・色分けはされているものの、4つの敵組織がきちんと差別化されていない為に短命で滅ぶ弱い敵組織に見えてしまった。
・暗躍し続けるのはいいものの、行動の指針もキャラクター自体もブレブレで全く筋が通っていなかった。
・ゴセイナイトもヒーローとしては確かに強いが、ストーリー上の内面の掘り下げが希薄でキャラ立ちは薄かった。

『特命戦隊ゴーバスターズ』

・ヒーロー側の設定と敵側の設定にズレがあって、まるで噛み合っていなかった
・震災と原発といった当時の問題に意識を向けていたのはわかるが、そのための取捨選択がチグハグだった。
・ドラマとアクション、メカニックなどがきちんと規定されていない為にまるで魅力がない。
・敵側であるエンターに魅力がある分ヒーロー側のゴーバスターズに魅力がなかった。

『獣電戦隊キョウリュウジャー』

・最後に恐竜戦士を10人揃えて「恐竜戦隊ジュウレンジャー」というギャグをやろうとして駄々滑りだった。
・まるで人間性が感じられず中身が感じられない変身前のキャラクター、更にキングを無条件に「凄い」と持ち上げ賞賛していた。
・佐橋俊彦大先生という大御所を使っているのに、その音楽はどれも精彩を欠いていて面白みがない。
・スーパー戦隊シリーズのファンを舐めた人が「キレンジャーの錯誤」のまま戦隊を作ってしまった。

『手裏剣戦隊ニンニンジャー』

・ヒーロー側の設定がまるで噛み合っておらずチグハグであり、プロフェッショナルかアマチュアかが不明だった。
・親子三代という「ガンダムAGE」と同じ構図にしていながら、その構成を物語の中でしっかり活かすことができていなかった。
・散々悪行を働いた敵組織の幹部を「ラストニンジャに憧れていたから」という主観的な理由で許してしまった。
・「家族」×「才能」という血筋系の主人公を贔屓して描いた為に「家族がいないやつが悪」という身も蓋もない結末にしてしまった。

『宇宙戦隊キュウレンジャー』

・「宇宙戦隊」という名前を冠していながら、登場人物のキャラもそれに負けてしまっていた。
・「キュウレンジャー」なのに9人ではなくなってしまっており、しかも「ラッキーと愉快な仲間たち」という悪い意味でのレッド一強になってしまった。
・敵組織が完全に小物化してしまっており、やることのスケール感が小さくなってしまっていた。
・2010年代戦隊の傾向として「レッド崇拝」という現象が起きており、それが「レッドに共感させる」という妙な作りとなった。

『騎士竜戦隊リュウソウジャー』

・倫理観がおかしい戦士たちなのであるが、それを魅力的に見せる為の作劇の工夫がまるでなされていなかった。
・公的動機と私的動機の天秤にかける内容が間違っており、負のご都合主義に陥ってしまっていた。
・「善悪の逆転」をやろうとして完全に失敗してしまい、またそれがリュウソウジャーのヒーロー像に深みをもたらしたわけではない。
・過去の失敗作が辿ってきた駄作のセオリーをほぼそのまま踏襲してしまい、意欲的なことをやろうとして失敗してしまった。

『魔進戦隊キラメイジャー』

・ヒーローたちを「力さえ持っていれば何をやってもいい学生サークル」のようなノリの軽い連中として描いてしまった。
・特撮にもバリエーションが少なく、武器も玩具も全く魅力がなくバトルの勝ち筋もテンプレ化してしまっていた。
・童貞の妄想の域を抜け出ないラブコメ描写が気持ち悪く、とても子供向けのものだとはいえなかった。
・2010年代のスーパー戦隊シリーズの悪いところばかりが詰まってしまっていた。

<大まかに共通するスーパー戦隊シリーズの失敗要素>


・メインとなる戦隊ヒーローの5人が立っていない
・敵組織の規模とやっている内容がまるで違う羊頭狗肉が発生してしまっている
・ヒーロー側が持つ力の源の定義が曖昧であり、具体的な定義付けがなされていない
・キャラクターを優先するあまりに物語が犠牲になったり、逆に物語を重視しすぎてキャラが死んでしまったりとバランスが悪い
・ヒーロー側も悪の組織も「戦う理由」がきちんと設定されていない為に、物語としての芯が弱い
・背景設定と世界観、登場人物のキャラクターのドラマに連動性がない
・そもそもシリーズとして再現不可能なテーマを設定してしまっている

<年代別で目立つスーパー戦隊シリーズの失敗要素>

70〜80年代戦隊

・まだシリーズとしての基盤が出来上がっていない為、単発回で話の面白さを維持するのが難しい
・主人公が持つ力の源とヒーローとしての戦いの様が必ずしも統一されているわけではない
・物語中盤で出てくる二号ロボや強化スーツ、武器などの扱いをどうするのかで苦心している
・「地球の平和を守る」とは別の戦いの動機を盛り込んだはいいものの、それを生かしたドラマ作りができていない。

90年代戦隊

・ヒーロー像の変化が大きく見受けられるが、まだ試行錯誤が見受けられる
・「ファンタジー」という新ジャンルがシリーズの中に導入されるものの、そこからどうヒーロー像を構築するかに苦心している
・異色作から王道的な正統派路線へ回帰していく為にどうすればいいか?というところに苦心している
・1号ロボと2号ロボ、さらにサブメカなども含めてロボットの使い分けに苦心している
・物語やキャラの構築自体は後期で完成を迎えるものの、玩具売上や視聴率などの数字で苦労している

00年代戦隊

・大量の玩具販促がある状態でキャラのドラマを展開にしなければならない為、尺が圧迫される
・玩具販促とキャラのドラマを連動させようという試みはあるが、どうにも空転しがちである
・平成ライダーとの差別化もあるせいか、初期〜中期は熱血単細胞の「バカレッド」が目立つようになる
・作劇として中身のないドラマが多くなり、そんなに大きなヒーロー像の革新はもう見られなくなる

10年代戦隊

・時代性を変に意識した問題に取り組もうとした結果、作品自体の芯が定まらずに難航してしまう
・話をわかりやすくする為に、バカレッドではなく準完璧超人のレッドを無条件に持ちあげさせる
・もはや玩具販促と物語の展開の連動性なんてまるでなく、玩具販促のために作品そのものが消費されてしまっている
・90年代戦隊まででシリーズの変革はもう済んだためか、ここからはもう大きな変化はなくなり数字も年々下がっている

<総合的なスーパー戦隊シリーズの失敗の傾向>


スーパー戦隊シリーズは子ども向け特撮番組の中で唯一切らさずに続いているシリーズだが、だからこそ歴史の蓄積と試行錯誤が他のウルトラシリーズやライダーシリーズと比べても顕著に出ている。
その中で今回はシリーズの中でファンからは不評といわれる、そして私自身が「これは失敗だ」と感じた要素を抽出してみたわけだが、昔も今も変わらない失敗要素もあれば年代別の失敗要素もある。
シリーズ全体を通して共通しているのはやはりキャラクターとストーリー、戦う理由といった基礎基本の構築がきちんとできていないが為に物語の芯が弱く安定性を欠いていることだ。
これは『ジャッカー電撃隊』をはじめとするシリーズの失敗作に共通しており、今も昔も変わらないが、結局どんな作品を作るにしてもまずは基礎基本を徹底することが大事なのである。

後は年代別の失敗要因がそれぞれにあるわけだが、70・80年代戦隊の場合は文法やお約束などの歴史の蓄積がない為に今日の視点で見直すと荒削りな面が出てきてしまう。
「追加戦士」「戦隊メンバー間の恋模様」「パワーアップ」「2号ロボ」「戦い以外の動機を持たせる」といった試みはこの年代には種まきがなされただけで、結実はしていない。
これが90年代戦隊の始まりである『鳥人戦隊ジェットマン』で結実するものの、同時に「ファイブマン」までのヒーロー像が使えない為に別のジャンルを導入する必要があった。
それが「ファンタジー」なのだが、これもまた色んな試行錯誤があって、うまく行っている要素もあればそうでない要素もあるので扱いがとても難しい。

そうした諸問題は後半の『激走戦隊カーレンジャー』〜『未来戦隊タイムレンジャー』までで解消され、この5作はシリーズにとっての円熟期というか1つの完成を見る時期ではないだろうか。
初期からシリーズが積み上げてきたものが洗練された形で集約され、文法やお約束といったものも含めて1つの完成を迎えるが、ここから先には大きな問題が生じてしまう。
それが「ガオレンジャー 」で露呈した「玩具販促のためにキャラやストーリーを犠牲にしてしまう」というものであり、ここからは「玩具販促による子供達のしゃぶ漬け戦略」が本格化する。
戦いの動機などのドラマは「タイムレンジャー」まででやり終えてフォーマットが固まったために、その先行者利益の上で後はどれだけ玩具販促や数字を稼ぐかという方向に躍起になった。

それが必ずしも悪いとはいわないのだが、それを繰り返しているうちにキャラもストーリーも過去作品の焼き直しを繰り返すようになってしまい、文法が凝り固まってしまう。
一見目新しいことをやろうとしても本筋がブレたりスーパー戦隊シリーズでは再現不可能なテーマだったりするためにバランスがうまく取れなくなってしまっていた。
そもそも「ヒーローとは何か?」「何のために戦うのか?」すら問うような物語自体が今はそんなに大きな意味をなさなくなってきているのかもしれない。

<スーパー戦隊シリーズが失敗しないための3つの対策>


ここまでは細かい失敗要因を分析してきたが、ここからはスーパー戦隊シリーズがどうすれば失敗せずに済むのかを私なりに考えて対策を出してみる。
既にスーパー戦隊シリーズがどうすれば生き残るべきかに関してはマーケティング戦略などのビジネスの面からその回答を打ち出している方がいるので紹介しておこう。

なぜ「失敗しないための」と書いたのかというと、人間は成功率を上げることは出来ないが、失敗要因を減らすことは今この瞬間にも出来るからである。
勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」とはよく言ったもので、勝つときや成功するときは大抵偶発的な要素がどこかに絡んでいるから、ヒットの要因を分析しても仕方ない。
それならば逆に失敗の体験談などを見て逆に「こうしなければいい」という反面教師を増やした方が相対的に成功へと近づけていけるのではないだろうか。
私は改めて「どうすれば失敗せずに済むのか?」という対策を色々あるが基本的な3つの要素に絞って書いてみたい。

1、まずはターゲット層を2〜5歳の子供に絞り、シンプルなキャラクターと物語にする

スーパー戦隊シリーズはやはりどこまで行こうと児童向けなのだから、あくまでも割り切った構成にしてシンプルにデフォルメされたキャラクターと物語にした方がいい
ライダーやウルトラシリーズならば多少年齢が上の層に向けて作ってもいいのだが、スーパー戦隊シリーズの最大の魅力は原初的でストレートなヒーロー像と悪の組織にある。
そもそも「ゴレンジャー」からしてシンプルなキャラクターと物語の構成が受けたから84話も展開できたわけであるが、どうしてもシリーズを重ねていくと欲が出てしまう。
だが、これは「ウルトラマン」を作った成田亨氏が語っていたことだが、人間は行き詰まると思考停止して物事を複雑化しようという方向性に行こうとするのだ。

思えばスーパー戦隊シリーズでもその傾向は当てはまるわけであり、失敗作や駄作と呼ばれるものの多くはその基礎基本を疎かにしたまま見切り発車で作られている。
きちんと詰め切れないまま物語をスタートしてしまうと、最初はイケイケドンドンでよかったとしても後半で息切れしたり迷走したりしてしまうという現象が発生したのだ。
何事もそうだが、結局のところ基礎基本を重視した上でその作品の特徴を生かした物語を作るという当たり前を徹底する以外に成功する方法はない。
「学問に王道なし」とはよく言ったものだが、スーパー戦隊シリーズでも結局のところ楽をして傑作を作ろうなどと思うと痛い目に遭ってしまう

2、特撮オタク層に向けた複雑な展開や高尚なテーマを盛り込もうとしない

1の言い換えとも言えるが、子供向け作品であるということはどういうことかいえば、特撮オタク層に向けた複雑な展開や高尚なテーマを盛り込もうとしないことが大事である。
どうしてもシリーズを積み重ねていくと複雑な方向へ行こうとするのだが、それで成功した例はほんの僅かしかなく、またそういう作品は10年に1度くらいしかないだろう。
歴代戦隊で中高生向けの物語を展開した作品といえば『超獣戦隊ライブマン』『鳥人戦隊ジェットマン』『未来戦隊タイムレンジャー』があるが、これらはそんなに何度も作れるものではない。
大体が10作に1作あればいいものであり、なおかつ基礎基本をおろそかにせずにどう作るべきかを徹底的に詰めたからこそ成功したわけで、しかもそれ相応に複雑な人間模様を書く力量が必要となる。

確かにオタク層方の評判は高い作品だって多いが、特撮オタクやファン層とはあくまで子供向けとしてのおこぼれを頂いている存在であって、作り手がそういう人たちをまともに相手してはならない。
富野監督が「ファンの存在はありがたいと同時にとても危険なものでもある」というようなことを度々語っているが、それはオタク層に阿ってしまうと偏った作りの物しかできないからだろう。
それに、大人を騙すのは数字やロジック・お酒の力などがあればある程度は可能だが、子供を騙すというか夢中になって貰える作品を作ることはそれ以上に難しい。
東映特撮、わけてもスーパー戦隊シリーズはあくまでも活劇であって高尚な文芸作品などではないのだから、下手に複雑なことをやろうとしない方がうまくいくのではないか。

実際に世の中で成功しているシンプルなものに「ドラえもん」「サザエさん」「ちびまる子ちゃん」「クレヨンしんちゃん」「アンパンマン」といったものが挙げられる。
これらは決して複雑な展開や高尚なテーマが盛り込まれているというわけではないが、それでもいつの時代も子供に親しまれ愛されているのはシンプルだからだ。
この「シンプル」をどれだけ突き詰めて普遍性のあるものにできるかが大事であり、ここを見失わなければ面白い作品を作ることはできる。

3、「新しいもの」を目指そうとするよりも「古びないもの」に目を向けて作る

そしてこれが最も大事なのだが、「新しいもの」ではなく「古びないもの」を目指して作る、すなわち「トレンドを追わない」ことが大事だ。
歴代戦隊を見ていると時代と共に色褪せていく要素があるわけだが、その1つが時代によって大きく左右されてしまう科学技術である。
例えば『電磁戦隊メガレンジャー』で出されていた格ゲーや最先端のデジタル機器はあくまで「97年の最先端」であって、今現在の最先端ではない。
科学技術は常に更新されていく要素だし、実際に携帯電話で変身する戦隊はその後増えたがいずれもがやはり今見るとガラケーなので古臭く感じられる。

この点で言えば、例えば「恐竜」「動物」「ファンタジー」といった古代から存在し続けるモチーフやそれに関連するドラマはいつまでも古びず普遍性がある。
また、上記したオタク受けしそうな複雑な展開や高尚なテーマもやはり時代に応じて変わっていくものであり、決して普遍性があるものだとはいえない。
例えば「ライブマン」の学生運動が示す物語はそれを体験していない世代には共感仕様がないし、「ジェットマン」のトレンディな恋愛模様は今見直すと「クサイ」という人も少なからずいる。
そして「タイムレンジャー」の時空警察や5人の「明日を変える」というドラマもやはり新世紀を前にどうすればいいかわからず閉塞感を覚える若者たちという当時の時代性が大きく影響していた。

このように、作品ごとに「いまの時代に通用する」ものと「もうすでに耐久年数が過ぎてしまっている」ものとで峻別し、その上でどれだけ前者の要素が多い作品を作れるかが大事だ。
後者が全くない作品などは1つも存在しないが、やはり時代性に左右されない普遍性ある作品は今でも残り続けているし語られ続けているのではないだろうか。
いい意味で「トレンドを追わない」ことは目先ではうまくいかないかもしれないが、長期的に見ると末長く愛されるものになりうるのではないかと思う。
むしろこれらを見失っているからこそ、今シリーズが困窮してしまっているのではないだろうか?

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