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「強くある」ことと「強く見せる」ことは似て非なるものである!今のスーパー戦隊が見落としているもの

今回のこれを見ていると、今のスーパー戦隊が見落としているものを格闘家のプロからわかりやすく言語化してもらえた気がする。
特に私が強く共感した部分は二重作拓也が言語化してくれた以下の部分だ。

僕ね、自分で何かを証明しようとして失敗したことが山ほどあるんですよ。例えば、空手の試合1つ取っても、ハイキックをしこたま練習した、何回も何万回も蹴ってスパーリングして自信を持ったと……で、次の試合でエントリーするわけですよね?
でも、その試合って僕のハイキック発表会じゃないでしょう?本当はね……だけど、そこに俺はこれを磨いてきたんだ、これを作ってきたんだってことを証明しようとする自分がいることに気づくんですよ。
(中略)
そんなことは一旦フラットにして、目の前の相手に対してその瞬間その瞬間の最適解を出すのが試合なんですよね。だけどそれを準備したものを出す発表会に自分でしちゃってる

長年言語化に苦しんでいた部分を物凄く適切な形で言語化してもらえた気がして氷解した、正に今のスーパー戦隊シリーズにおいて根本から欠けているものだ
ちょうどそんな話が今週配信になる「シンケンジャー」の第九幕であるのだが、ここで言われていることは端的にいえば「稽古」「練習」と「実戦」「本番」は全く違うものということである。
こんなことを書くと「いやそんなことは分かってる」と誰もが口を揃えて言うだろうが、頭では理解できても自らの行動を通して実践できている人は相当に少ないのではないか?
格闘技に限らないが、稽古や訓練だとめちゃくちゃ強いのに本番に意外と弱い奴は突き詰めると正にこの「本番と稽古の違い」の本質的な部分を見落としていることにある。

特に実力がついていない初心者ほど、基礎が出来上がっていないのにいきなり応用や必殺技に走りたがる、それどころか実力が高い奴ですらそういうことはままあるものだ。
私が昔のスポ根ものが好きではなかったのも正にこの「必殺技の発表会」になってしまっていて、もっと根底の部分にあるはずの「実戦ならではの対応力の高さ・本当の強さ」が見えにくいからである。
それこそ『獣拳戦隊ゲキレンジャー』(2007)は特にこの落とし穴にはまってしまっていて、前半は修行して再戦という名の単なる準備した技の発表会になってしまっていた。
しかし、スーパー戦隊シリーズの場合は「準備した技の発表会」どころか「準備した新アイテム・新形態のお披露目会」という名の学芸会になってしまっているわけだが。

学生時代にもよくいたのではないか?やたら文武両道で親から生徒から先生から好かれて嫌な顔1つせず請け負ってくれるような、私が「出来ラッシャー」と皮肉っている優等生タイプの人間が。
そういう奴って例えば自宅学習、略して「宅習」だけはやたら上手くて発表会や学級委員・生徒会を率先してやるような私の大嫌いなタイプであり、いわゆる「カレカノ」でいう宮沢雪野のような人間である。
しかしそういう奴は小中学生のある段階までは優秀でも伸び悩み、大人になると意外に大したことのない奴になってしまうものだ、私の学年にもそういうタイプの人間はチラホラいた。
本当に不思議なくらい小学生の時は勉強もスポーツもできる自慢の子で、スクールカーストのトップに来るような奴なのに、中学以降がパッとせず大人になったら仕事できない残念な奴に成り下がる

神童も二十歳を過ぎれば只の人」なんて諺があるが、学生時代にテスト100点を取ったり運動会で一位を取ったり応援団長をやったりしても、それは所詮井の中の蛙でしかない
一歩外に出れば自分より勉強もスポーツもできるやつなんてごまんといるし、ましてや社会に出ると尚更「仕事ができるできない」という実戦の厳しさで判断されるようになる。
実際、学校で勉強したことが直接仕事に役立つわけじゃないし、会社は学校じゃないのだからあくまで利益を生み出すことが目的であり、自分が社内でNo.1になってなんの意味があるのか?
いわゆる「スキル」「資格」に走りたがる勘違いの若者が多いのも似たようなものだろう、「スキル」や「資格」に走りたがる若者こそ正に「実戦で求められる本物の強さ」を理解していない

それこそ数年前に私が絶縁した、10年の付き合いがあった大学時代の親友がそれに該当し、仕事も大してできないし賢いわけでも勉強している訳でもないのに、やたら「スキル」「資格」にこだわっていた
しかし、スキルや資格に走ったところで実戦においては何の役にも立ちはしないし、それで転職が可能になる訳でもないだろう、本当に大事なのは目の前に降りかかってきた問題に対する最適解を導き出すセンスである。
自分は何もできないんだ」という、ダニングクルーガー効果でいう「バカの山」から脱却して謙虚になって1つ1つを身につけていかなければ、真の意味で「強い人」になることはできない。
そして、本当に強い人は決して芯がブレることがなく常に自然体であり、罷り間違っても「自分はできる」なんてことを口にしないものだ、知れば知るほど「自分は知らない」という意識が強くなるからだ。

今のスーパー戦隊、配信している中だと「オーレンジャー」「キョウリュウジャー」辺りは正にそれであり、確かに彼らは劇中だと「強く見せている」しそう演出もされている。
しかし、その強さに何の魅力も説得力もないのはきちんと基礎基本から積み上げたようには感じられない、いかにもマニュアル然とした「技や武器の発表会」にしかなっていないからだ
それこそ「キングオージャー」だっていかに自分が優れた王様かを自己主張し合う「見掛け倒し」の物語に見えてしまい、だから視聴を切ったのである。
昨今だと、SNSなんかによくある「セレブっぽく見せてるけど実はめっちゃ貧乏」な似非セレブの人たちなんかもその典型であろう、真の金持ちは決してSNSで金持ち自慢なんかしない

そこに気づかない限り、スーパー戦隊シリーズが今後改善されていくなどということはあり得ないだろう。

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