全ては知名度なのか。

初投稿後、初めていいねを貰った。

大体こういう名も無い投稿にいいねしてくるのは、いいね返しもしくは自分を知ってもらうための作戦「いいね配り」であると考えている。

その作戦にまんまと引っかかって覗きにいって見た。

すごく面白い文を書く人だった。

あぁ、こんなにも知らない所に面白い、生き生きとした文を書く人がいるんだなと。

本当に楽しく文を書いている人の文字は踊って見える。吐き出た考えや想いが、読んだ時に出来たて状態で再生されるのだ。

あぁ、そんな言葉が書きたい。

恐らく自分の配信活動しているアカウントでシェアをすればある程度の人達はフォローして、いいねもしてくれると思う。
でも、それじゃこの界隈の人に失礼だとも感じる。コンテンツというものは、知名度に左右される事が今日ではほとんどだ。結局の所、知名度がある人は何を投稿してもある程度の閲覧数、再生数を稼いでしまう。それは、その人の事を知っているからである。

ならば、こんなエッセイなど誰が読むのであろう。どこの誰かも分からない流れ者の文などそもそも目に止まらないでは無いか。仮に、星野源さんだってそうだ。全く同じ文だったとしても、どこの誰かも分からない人が出版していては、買われることは無いであろう。星野源さんが書いているから買うのである。詰まるところの人の目に触れるためには実力ではなく、知名度が必要なのである。

ここで改めて考えてみる。
そう、知名度のある方は実力があるのだ。

だからこそ、自分の文章力の実力を試したい。
届け!!!!この想い!!!!!


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