うまく言語化できないのは言葉にしていないから

いや、言語化できてないから言葉にできないのでは?という矛盾はありつつ、たまに読み返す「思考の整理学」という本に書いてあった一節がとても刺さったのでまとめておく。

余談)この本は大学1年生のときに生協で手にとって以来何回か読み返していて、行方不明になるたびに買い直しているので(Kindle版含め)数冊手元にあったりする。

とにかく書いてみる

おもしろいのは、書いているうちに、頭の中に筋道が立ってくる。頭の中は立体的な世界になっているらしい。あちらにもこちらにもたくさんのことが同時に自己主張している。収拾すべからざる状態という感じは、そこから生じるのであろう。
書くのは線状である。一時にはひとつの線しか引くことができない。「AとBとは同時に存在する」、と考えたとしても、AとBとを完全に同時に表現することは不可能で、かならず、どちらかを先に、他をあとにしないではいられない。
裏から言うと、書く作業は、立体的な考えを線状のことばの上にのせることである。なれるまでは多少の抵抗があるのはしかたがない。ただ、あまり構えないで、とにかく書いてみる。そうすると、もつれた糸のかたまりを、一本の糸をいと口にして、すこしずつ解きほぐして行くように、だんだん考えていることがはっきりする
外山滋比古. 思考の整理学 (ちくま文庫) p.136

この「書く作業は、立体的な考えを線状のことばの上にのせることである」という表現がとてもしっくりきた。

何らかのトピックについて色々調べたり、それについて考えたりしていると、「大枠こんな感じだろうなー」というなんとなくのイメージが頭の中に出来上がる。ただ、いざ説明しようとすると上手く出来なくて、ということはまだ考え切れていないのだろうと、ついついまたインプットしたり考えたりしてしまうことがある。これだと頭の中のふわふわした立体が大きくなるばかりで、いつまで経っても考えがまとまらない悪循環に陥ってしまう。考えがまとまらないのは考え切れていないからでなく、まとめようとしていないからであって、書いてみるなり、誰かに話してみるなり、何かしらの形で言葉にする行為を意識的に取らないといけない。

インプットした1つ1つの情報をそれぞれ解釈する、咀嚼するところまでは頭の中で出来るが、それらを統合する、構造化するためには一度頭の外に吐き出さないといけない、という風に理解した。

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