【エッセイ】声にもならない声で泣く

 以前のエッセイでも書いたことだが、俺は地元に帰省するたびに祖父と喫茶店に行く。コーヒーと、俺は時々ケーキを頼んで、2時間ほどの談笑をする。この前の冬の帰省でも、もれなくそうだった。
 いつもは祖父が俺を迎えに来てくれて、そのまま喫茶店へ向かうのだが、その日は少し違って、喫茶店に行く前にまず昼食を一緒にとった。最近開店したばかりのうどんチェーン店で、べつに特別なお店ではなくて、ただ、「祖父と外食をするのは高校生ぶりだろうか」と思った。
 
 高校生の時は自転車で通学していた俺は、雨降りの日には祖父の車で送迎してもらっていた。理由は俺が雨合羽を着るのが嫌いだからというわがままで、祖父も朝から車を出して夕方には高校に迎えに来るのは大変だったと思うが、それでも毎回当たり前のように送迎してくれていた。むしろ俺が朝起きた時には祖父から「今日は雨だから7時45分に迎えに行くね」とLINEが入っていたほどだ。雨の降っていない夏の猛暑日や冬の寒さが痛い日でさえ、祖父は自ら送迎を申し出てくれていた。母親には「あんたを送り迎えするのも孫との時間で、じいちゃんは嬉しいんや」「それに、じいちゃん、心配性やしな」と言われていたので、なるほどそういうものかと思っていた。それで、テスト週間だったりして下校時間が早い日には、よく祖父と昼食を食べて帰っていた。だいたい蕎麦で、とり天や、それこそ喫茶店に行ったりした。テレビでも取り上げられた蕎麦屋さんに連れて行ってくれたこともあった。昼食を一緒にとるのも、「孫との時間」だっただろうが、俺も祖父とご飯を食べるのは好きだった。祖父はいろいろと物知りで、俺の知らないことを教えてくれる。特に植物の話が好きで、お店の外に咲いている花や植っている木の名前、特徴をつらつらと話してくれた。さすがガーデニングが趣味な祖父。思えばその時の経験が「一緒に喫茶店に行く」という習慣を形作ったのかもしれない。

 それでその日はうどんを食べて、その後に喫茶店に行った。そして喫茶店を出ると祖父は俺を実家に送り届けて帰るのだが、その日はそこも少し違っていた。喫茶店を出ると祖父が「一緒にうちで酒を飲もう」と誘ってきた。俺が帰省した時に祖父と喫茶店に行くのとは別で、祖父母宅で晩酌をするというのも、帰省時のお決まりであった。しかし今回の帰省では既に晩酌のお決まりは済ましていたところだったので、俺は「また?」と聞いた。祖父は「まぁ、いいやん」と。確かにこの後は何も予定ないし、お酒は好きだし、いいか。そう思って一緒に祖父母の家へ帰り、お酒を飲んだ。3〜4時間の晩酌をして、迎えに来た母親に連れられて俺は実家に帰った。なんとなくその日は一日を祖父と過ごすことになったが、そんな日はだいぶと久しぶりだったのでいい日になったな、と思った。祖父に「孫との時間」をプレゼントできたな、などと思っていた。ただ実家に帰ったところで、俺は祖父にいつも言おう言おうと考えていたことを言えていなかったことに気がついた。それは「一緒に絵を描こう」だった。

 ガーデニングが趣味の祖父にはもうひとつ趣味があって、絵を描くというものだ。基本的には風景画を、たまに静物画を。俺は祖父の描く絵が好きで、22歳の誕生日には1番気に入っていた絵をプレゼントしてもらった。実は俺も絵を描くことが好きで、それは幼少の頃からだった。そしてそれは祖父の影響が強い。俺が祖父母宅で暇つぶしに絵を描いていたら、祖父が「ここはこうしたらどうだ」「これを1人で描いたのか、すごいなぁ」などと声をかけてくれていた。そして小学生の時に俺が描いた絵を、あろうことか祖父は高級な額縁にはめて家に飾っている。「この絵は本当に色使いがすごい」なんて言っている。正直俺からすれば適当な暇つぶしの絵なのだが、そう言ってくれるのは素直に嬉しい。それで、今度はしっかり描いた絵を飾って欲しくて、それなら祖父と一緒に絵を描こうじゃないか、ということで前々から誘おうとしていたのだが、今回も言いそびれてしまった。まぁいいか、次の夏の帰省時にでも言おう。

 帰省が終わり、福岡に帰ってから数週間、俺は就活を一段落させたので親に連絡をした。

「もしもし、志望してたところ、内定もらったわ。もう就活終わり」

きっと喜ぶだろうなぁと思ってウキウキしながら報告をしたら、電話の向こうから想像の何十倍も元気のない母親の声が返ってきた。

「ああ、そうなん。よかったなぁ。早く終わってホッとしたわ。」

「なんか元気なくね?」

「ああ、そうなんよ。ちょっとバタバタしてて、あんたに連絡せんとと思いよったんやけど、」
「じいちゃんな、脳梗塞で倒れたんよ」

えっ…。

驚きで上手く声が出なかった。脳梗塞?急に?なんで?
それから母親は、脳梗塞が突然起きる病気だということ、祖父は一昨日倒れたばかりで今は意識不明の重体だということを教えてくれた。

「とりあえず意識が戻れば命の心配はないんやけど、こんな時期やから、感染症の恐れもあって会うこともできんのよ」
「この前の帰省であんたと一日おれてよかったよなって、ばあちゃんと話してさ」

「いや、まだ死ぬって決まったわけやないんやから、じいちゃんなら大丈夫やろ。なんかタフやん。」

そうやって母親に言いつつも、内心は動揺しっぱなしだった。もしも、もしものことがあったら…。

「とりあえず進展があったら、また連絡するわ」

母親はそう言って電話を切った。

 それから10日ほど経った頃、母親から連絡がきた。
「じいちゃん、意識戻ったよ」
それを聞いた俺は心の底から安堵した。この10日間は祖父のことで頭がいっぱいだった。バイト中もぼんやりすることが多く、周りからよく心配された。1人でいる時は気を紛らわせようと本を読もうとしたが、内容がまったく頭に入ってこない。何をしていても不安な気持ちが拭えなかった。だから本当に安心した。しかしその連絡には続きがあった。

「ただ、後遺症で、言葉が理解できんのよ」

 脳梗塞の後遺症のひとつに言語障害が起きることはままあるそうだ。人の言葉がうまく理解できず、そして話すこともできなくなってしまう。祖父はいわゆる失語症を患ってしまった。

「そうなんや…」

「でもリハビリで治る可能性はあるって。今度そのためのリハビリセンターに移動する時、じいちゃん会えるらしいから、あんた帰れる?」

「もちろん帰るわ」

そうして俺は、急遽2度目の冬の帰省をした。

 母親に連れられ、俺と弟2人は祖父が入院している病院に向かった。事前に母親から「ちょっとショックを受けるかもしれんけど…大丈夫?」と言われていた。確かにショックはあるだろうが、それよりも祖父に会いたいという気持ちが強かった。意識が戻ってから少し日が経ち、祖父はなんとなくこちらの言葉を理解しているような反応を示すようになったという。ただし発話の方はやはり難しく、何か言っているが、何を言っているのかわからない、というような状態だそうだ。
 病院には、祖母が先に着いていた。5人で待合室に座っていると、1人の看護師が近づいてきた。

「もうすぐあちらからいらっしゃるので、みなさんこちらへお願いします」

そう言われて誘われるがまま、開きっぱなしになっている自動ドアの前に立つ。このドアの向こう側から、祖父がやってくる。少し緊張していた。

「いらっしゃいました」

看護師がそう言うのと同時に、車椅子に座った祖父が見えた。記憶の中の、ついこの前までの祖父とは、確かに違っていた。ひどく痩せていて、身体に力は入っていない。どこかうなだれている。

ああ、じいちゃん…。

その時、祖父がこちらに気づいた。そして俺を見た瞬間に、泣き出した。顔を歪めて、涙を流した。
「あんた、じいちゃん、泣きよるで」
そう言う母親も泣いていた。
弟らも恥ずかしそうに、泣いていた。
祖母は穏やかに、祖父の隣に歩み寄った。
祖父の涙を初めて見た。
こんなに弱々しい祖父を、俺は初めて見た。
俺も泣いてしまいそうだった。

 でも俺は、泣くために会いに来たわけではない。目の前に来た祖父の隣にしゃがみ込み、手を握りながら声をかけた。

「じいちゃん、頑張ってな。早く元気になってな。俺、就職決まったんで。銀行員や」

祖父はなんとなく聞いてくれているのだろうか手を握り返しながら、何か話そうとしていた。

「おじいちゃんは今、頭の中の言葉の引き出しに鍵がかかってしまっていて、うまく話せないんです」

医者が教えてくれた。

「ただ、話していることは断片的に理解できているようなので、話しかけてあげてください」

それなら俺は、じいちゃんに言いたいことがあるんだ。伝えたかったことがあるんだ。

「じいちゃん、早く元気になってな。また一緒に、コーヒー飲みに行こうな。また連れてってな。」
「それでさ、じいちゃん…」

今度一緒に、絵を描こうな。
そう言いたかったのに、言えなかった。これ以上言葉を口にすると、目の上で留めていた涙が全部こぼれてしまう。泣いてはだめだ。俺まで泣いていたら、じいちゃんが悲しい気持ちになってしまう。自分のせいでって、思ってしまうかもしれない。じいちゃんは心配性なんだから。だから言えなかった。

「それでさ、じいちゃん…、まあ、早く元気になってよ。リハビリ頑張ってな。」

 祖父はその後、リハビリセンターへの移動のために車に乗せられた。まだ声が震えている母親が

「じいちゃん、なんて言いよったか、わかった?」

と聞いてきたので、

「いや、なんもわからんかったわ。まあ、もともとお酒飲んだら呂律回らんなってなんて言いよるかわからんかったしな。いつものじいちゃんや。」

母親は笑っていた。

 伝えたいことが伝えられない。伝えたいのに、伝えられない。それはどれだけもどかしくて苦しいことなんだろう。特に祖父は話すことが好きだったから、きっと想像できないほど辛いはずだ。でも、頑張ってよ。頑張って元気になってよ。まだまだ祖父に伝えたいことはいっぱいある。これまでの感謝の気持ちと、これからのこと。雨合羽着たくない、なんてわがままより、もっとわがままかもしれないけど、早く元気になって欲しい。

 一緒に絵を描こうって伝えたい。



(了)

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