価値観て簡単に言うけどさ
これまで「価値観」という言葉を、あまり深く考えることなく使っていたなあと反省するこの頃。
・会社の求める価値観とは違う
・あの人とは価値観が合わない
・母は自分の価値観を押し付ける癖がある
・付き合いのある友人は価値観の合う人ばかり
使用する例文として思い浮かぶのは上記のようなものだろうか。辞書で調べると大体”いかなるものごとに価値を認めるかという判断基準”といった表現がされている。
要するに、何に価値を見出すか、ということらしい。
プライベートな話題で申し訳ないのですが…結婚してから夫と分かり合えず口論になることが多く、結婚8か月にもかかわらず離婚をするか真剣に悩んでいる今日この頃の私。
先日両親に相談した際にそれでもやり直せる道があるなら、やり直してみたいんだと打ち明けた時に、父が「価値観を確かめ合うとよいかもね」とアドバイスをくれた。
価値観、かぁ。
全くすべて考えや趣味趣向がピッタリ同じ人はいない、それは私も理解しているしある程度お互いが許しあって理解しあうのが夫婦として円満に関係を築くコツだと思っていた。
けれど「価値観」、つまり人生において何に価値を見出し、優先させていくかということがあまりにもかけ離れていると、分かり合えないだろうしお互いが我慢ばかりで辛いのでは、という内容の目からうろこのアドバイス。納得だった。
喫煙者か否か、食の好みは合うか、お酒は飲むのか、趣味は。
そんなことはその人の表面に現れるごく一部のもので、たとえ異なっていても何とでもなる。(もちろん人や環境により許容範囲というものはあるでしょうが)確かに友達や家族を考えてみても喫煙者もいればそうでない人もいるし、私はお酒が好きだけどお酒を全く飲まない仲の良い友人もいる。
でも価値観はどうだろう。
ちなみに私の中でブレストした結果、今の私は「自立することに重大な価値がある」という価値観を持っていることに気づいた。誰かの機嫌や反応に従うより、自分自身で決定し、稼ぎ、責任を取り、生きていくことに価値を感じるようだ。
お金持ちと結婚して玉の輿に乗る願望を抱いたこともないし、大きな決断を自分でできた時や、会社にとって大きな損害になってしまうようなクレームに対して最後まで向き合い責任を取りきれたときに喜びを感じる。生き甲斐を感じる。
そういう考えのうえで振り返ると、仲の良い友達は決まって自立しているし、私の実家は経済的に裕福な方だと思っているが(思い込みかも)自立を重んじていた為独り暮らし中の仕送りは一切ないし、生活費という面で経済的な支援を受けたのは高校生のお小遣いまでだ。
だから夫が決定できないことを許せないし、自分の決定に最後まで責任感を持って対処することができないこと、いまだにケータイ代を親に払わせていることに突っかかってしまうのだ。
きっと生きていくうえで大切なものは常に変わり続けるだろう。
だからこそ、それぞれの人が大切にしているものや何に価値を見出しているかの「価値観」をいろいろ知りたいと思う。
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