見出し画像

「See-Voice」を聴いて

ニューアルバムリリースおめでとうございます🎉
Twitterじゃ感想を書き切れないので、重い腰を上げ、noteを初めてみましたー。

第一印象。

See-Voice
海の声。声をみる。ダブルミーニングの素敵なタイトル、大好きな谷口吉生建築がジャケットになっていて、また何かすごいことになりそうだといった印象でした。ジャケだけみて、葛西臨海水族園とその周辺にまつわる音楽なのかな?とか、海の声って何?とか、妄想を膨らまして待っていました。

読んでみて、聴いてみて。

特設サイトを見ながらアルバムを通しで聴いて、思ったことを書き殴りました。

海は引きで見れば、きらきら水面が反射したり、鮮やかな青色で美しくみえたり、逆にあまりの広さになんだか怖いなと感じたりすることがある。少し近づけば、ゴミなどの不純物が意外と多くて、本当は青色でもなく無色透明でなんだか空っぽだなと感じたり。かと思えば、色んないきものたちが泳いでいて生命の神秘を感じたり。また、深く潜れば潜るほど、段々と音や光が届かなくなり不安や水圧に押し潰されそうになって、もう二度と戻れなくなるかもしれなかったりして、、
人もそうで、遠くから見れば素敵だなとか強そうだなと思う人でも、近づけばそれぞれの闇や醜いところ、弱さや脆さが見えたり、逆に近づくからこそ見える美しい部分があったりする。

自分自身とは何か深く考えれば考えるほど、不安になったり、いや、まだやれる、大丈夫!となったり、また不安になったり。
自分とはこういう人間だと、ほんとは違うのに表面では着飾ったりしてみて。何か人と話す時でも、他人の言葉を自分自身の言葉のように話したり。他人に見せる自分なんて結局誰かの受け売りで、今まで生きてきた中での経験、たまたま通ってきた道、目に入った作品など、自分以外の要因によって形成されたものに過ぎないんじゃないかと、自分ってなんだと、また落ち込んだり。いやいや、進んできた道や手に取った作品を選んだのは自分じゃないか、そうやって自分が生まれるんじゃないか、そんなもんじゃないか!とまた元気になったり。
もぐっては息継ぎ、また深く潜っては息継ぎの繰り返しで。深く潜り過ぎて息が続かなくなって、、ギリギリのところで助かる人や、助からない人がいたりして。

自分ってなんだろうと初めて考えて、あまりの深さに怖くなった日、確かトイレにいた。特に雑念もなく、お腹の痛さに思考が鋭くなっていたのか、あるいは逃避のためなのかはわからないが、いつの間にか自分自身に広がる深い深い海の中に意識が移っていた。自分ってなんだろう、どうして自分ってわかるんだろう。幼いながらも、その深さに怖くなっているうちに腹痛は消え、なんならさっきまで考えていた自分の中に広がる深い海も忘れ、まあいっかと、元気に登校していたのを思い出す。
社会人になった今も大体はそんな感じであるが、さまざまなモノの解像度が上がったせいなのか、ストレスからなのか、たまに戻れなくなりそうな時があったりする。

撮影:hysd1


「DreamWalk - 熱海」という土地性も「Night Flow - 夜のきらめき」という刹那性も、これまでずっと自分たちが作ってきたものは 限定された情景の美しさを切り取った音楽でした。ところが『See-Voice』には特定の景色や時間が存在しない。 海、水、あるいは水族館のガラスドームといった建造物も全てはメタファーであって、結局のところ見つめているものは鏡に映った自分の顔に他なりません。

(see-voice特設サイトより抜粋)


今回のアルバムには特定の情景や時間はないと、特設サイトのまえがきにあったが、ジャケットを葛西臨海水族園にしたのは大正解だと思う。
谷口さんの建築と風景の接続の方法として、疑似の近景としての大きな水盤により、東京湾の風景と水族館を連続させ、来館者に海を感じさせている。エントランスのガラスドームは、日の光が手の届かない水面から差し込んでくる様子を想起させ、黒いトンネルをゆっくり沈んでいくエスカレーターのアプローチによって日常から一旦離れて、これから生き物の住む海の世界へと潜っていくという臨場感を与えている。こうした数々のメタファーによって生まれた建築は、このアルバムのメタファーとしてふさわしいと思う。

擬似の近景としての水盤 撮影:hysd1
ガラスドーム内部 撮影:hysd1
ガラスドーム 撮影:hysd1

いつも自分が曲を聞くときは、自分の中の記憶や景色が浮かんでいる。例えば地元の最寄り駅から家までの道やよく散歩する河川敷。その曲をよく聴いていた過去の記憶。その曲のライブ映像やPV。聴いている時の目の前の風景そのものなどなど。割と明確に曲と結びつけられて頭に浮かぶ。
このアルバムを通しで聞いているとなんだか幻想的で、みたこともあり、みたこともないような、実際に行ったことのある場所や、とても好きな作品の世界の中の景色が程よく混ざったような、混ざっていないような、なんとも言えない情景が浮かんでいた。それも、先入観からなのかはわからないが、海にまつわるもので。
音楽についてはあまりくわしくないので、専門的なことは語れないが、とにかくどの曲も音の数が多い印象だった。情報量で頭がいっぱいになるかと思いきや、その音たちが海を連想させる爽やかな音だったり、絶妙なリズムで奏でられていたり、欲しいタイミングで欲しい音が来るような、とにかく聴いていて心地が良かった。
特設サイトに、アルバム制作でインスピレーションを受けた作品として記載のあった『ヨコハマ買い出し紀行』(海に沈みゆく人類の滅亡を描いた終末ものとは思えないどこかノスタルジックでゆったりとした時間の流れがとても心地良い作品)

ヨコハマ買い出し紀行/芦奈野ひとし 出版:講談社

記載はなかったが、雰囲気が少し似ている水の都ネオベネツィアが舞台の『ARIA』。

ARIA/天野こずえ 出版:マックガーデン

こういった、自分が過去に見たことのある作品に出てくる海のシーンや、先にも書いた葛西臨海水族園に訪れた際に体験した、海をメタファーとした空間体験の数々。もちろん実際にこれまで訪れた海の景色などが、断片的に繋がっていたり繋がっていなかったりした状態で頭に浮かんだ。
この情景は、自分が見たいものなのか、心地の良いものなのかすらわからないが、、確かに自分の中からしか生まれない情景であった。

海の声(自分の声)はまだ聞こえないけれども、自分てなんだろうと、自分自身がわからなくなるほど深い海に溺れそうなときにスッと光が刺し、手を差し伸べてくれるような、そんな救いのアルバムだった。

ちなみに今のところ一番好きな曲は、「海鳴り」です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?