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いつ死んでもいい

若い頃は。
人生は無限に続くと思っていたし、日々、とてつもなくダルくて、刺激がなければ自分で刺激を作るしかない!みたいなトゲトゲした感じで生きていた。

周囲からしたら、とんでもなく迷惑なヤツだったかもしれない。

そんなある日。
私の人生で最も尊敬する人間である、父が言った。

「俺は、いつ死んでもいいと思ってる。」
と。

人生に悲観しているわけでもなく、精力的に、私とは違ってバランス良く生きている父が突然「いつ死んでもいい」などと言い出したので驚いた。

こんなに明るい顔をして前向きに暮らしている父に自死願望が潜んでいたのかと本気でびっくりした。

私はきっと、目を丸くしていたと思う。
「どういう意味??」
率直に父に尋ねた。

彼の言うには、こうだ。


人間は、いつか必ず死ぬ。

自分では、まだまだ生きるつもりでも、突然死ぬこともある。
だから、俺は「いつ死んでもいいように」今を生きている。

やりたいことは、やる。
しなかった後悔なんてしながら死にたくない。
でも周囲を不幸にするようなことは望まない。
自分も周囲も幸せでいられるような生き方って、どういうことなのか、いつも考えながら生きている。

自分が明日死んだとしても「最後まで好きなように生きた、あの人は幸せだった」と思ってもらえるような生き方をする。
じゃなかったら、残された妻やお前たち(子ども)が悲しむだろう??

それとは逆に。
もし周りの誰かが明日死んでも悔いの無いような接し方をする。
喧嘩別れした相手が死ぬことほど、悔しいことはない。
捨て台詞で「死ね」って言った相手が死んだらどうだ?自分が生きている間、ずっと後悔することになる。

俺は。
最後に会った相手の顔が笑顔であるような人付き合いをしてるつもりだ。
もちろん、誰かが最後に会った俺の顔も、笑顔であるように心がけてる。


この話を聞く数か月前。
私を可愛がってくれた祖母が亡くなった。
もっと、あれもこれもしてあげれば良かった…。
でも、人は死んだら取り返しがつかない。

そう悔いていた私に。
父の言葉は、沁みた…。


父は生きるのに大切なことを、たくさん教えてくれた。

だから、父と同じように。

私が人生で得た大切なことたちを。
残しておきたい。

子どもたちにも。
そしてnoteにも。

誰かの。
そして何かの。
糧になれたら幸せ。

それが私の、したいこと。