村上春樹『ノルウェイの森』

 永沢という男はくわしく知るようになればなるほど奇妙な男だった。僕は人生の過程で数多くの奇妙な人間と出会い、知り合い、すれちがってきたが、彼くらい奇妙な人間にはまだお目にかかったことはない。彼は僕なんかはるかに及ばないくらいの読書家だったが、死後三十年を経ていない作家の本は原則として手にとろうとはしなかった。そういう本しか俺は信用しない、と彼は言った。
「現代文学を信用しないというわけじゃないよ。ただ俺は時の洗礼を受けてないものを読んで貴重な時間を無駄に費したくないんだ。人生は短かい」
「子供が幼稚園に入って、私はまた少しずつピアノを弾くようになったの」とレイコさんは話しはじめた。「誰のためでもなく、自分のためにピアノを弾くようになったの。バッハとかモーツァルトとかスカルラッティーとか、そういう人たちの小さな曲から始めたのよ。もちろんずいぶん長いブランクがあるからなかなか勘は戻らないわよ。指だって昔に比べたら全然思うように動かないしね。でも嬉しかったわ。またピアノが弾けるんだわって思ってね。そういう風にピアノを弾いていると、自分がどれほど音楽が好きだったかっていうのがもうひしひしとわかるのよ。そして自分がどれほどそれに飢えていたかっていうこともね。でも素晴らしいことよ、自分自身のために音楽が演奏できるということはね。
 さっきも言ったように私は四つのときからピアノを弾いてきたわけだけれど、考えてみたら自分自身のためにピアノを弾いたことなんてただの一度もなかったのよ。テストをパスするためとか、課題曲だからとか人を感心させるためだとか、そんなためばかりにピアノを弾きつづけてきたのよ。もちろんそういうのは大事なことではあるのよ、ひとつの楽器をマスターするためにはね。でもある年齢をすぎたら人は自分のために音楽を演奏しなくてはならないのよ。音楽というのはそういうものなのよ。そして私はエリート・コースからドロップ・アウトして三十一か三十二になってやっとそれを悟ることができたのよ。子供を幼稚園にやって、家事はさっさと早くかたづけて、それから一時間か二時間自分の好きの曲を弾いたの。そこまでは何も問題はなかったわ。ないでしょう?」

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