池田理代子『ベルサイユのばら』

愛蔵版 まえがき

 この物語はあくまで歴史をもとにした創作であり、従ってストーリー進行の都合上意識的に史実を変えた部分も多くありますが、できるだけ妥協せずに、歴史的事実を追うように努力しましたので、小学校低学年の読者にはかなり難解なものとなったようです。
 特に、オスカルの死後は10週で終了してほしいという編集部からの要望だったので、革命時代の事実関係について、理解しにくいという読者の声もありましたが、描かねばならないと思われる事柄は、一応取り上げたつもりです。
 また、連載期間中、特に質問の多かった事柄について、いくつか説明したいと思います。オスカル、アンドレはじめジャルジェ家の人々は、まったく架空の人物であり、特にモデルもありませんが、オスカルの父だけは、実在のレニエ・ド・ジャルジェ将軍をモデルとしました。
 また、ロザリーとジャンヌ、ポリニャック夫人の関係もフィクションで、以下、シャルロット、アラン、ジェローデルも架空の人物です。
 ベルナール・シャトレについてはお気づきの方も多かったように、かのカミーユ・デムーランがモデルでありますが、黒い騎士とデムーランとはまったく関わりはありません。 

第1章 新しい運命のうずの中に

ねえ……
いつか本で読みましたけど……
女の人はひとりの男の方をおしたいするようになって
そしてお嫁にいくものなのでしょう?
マリーはなぜ……
顔も知らない殿下のところへ嫁いでいかなくちゃいけないの?
マリーは…
恋というものもしてみたいし…
まだまだみんなと遊んでいたいのに……

おねえさまがたもみんなそうでございましたよ
それよりもフランス王妃になればどんな望みも思いのままですわ!
だれもが夢みることですのに
それよりお庭にでてお遊びなさいませ
あたたかくていい気持ちでございますよ

そうね…!
くよくよ考えてもしかたないんだわ
いつもたのしいことだけを考えてるようにしましょう!

マリーさま
いよいよお引渡しの儀式がはじまります
おめしかえをなさいますよう……

この服を…
ぬぐのですか?

オーストリア製のものはすべて……
1本の糸すら身につけていくことはゆるされないのです
ぜんぶフランス製のものにきがえていただきます

なにもかも…すべて…ですか?

はい
レースもリボンも十字架も指輪も…下着もでございます

さあ!
そこにいるのがそなたの夫
わたしの孫の王太子ルイだ

(この人ったら……
 なんてかたくるしそうに
 まるででくのぼうのようにつったっているのかしら
 この人がわたしの夫……?
 この…どろんとした目の…この人が……)

これ! なにをぼけっとしておる!
花嫁どのにあいさつのキスをせんか!

(こんなものなの……?
 夫になる人からのはじめてのキスをうけても……
 なんの胸のときめきもない
 これから何十年も生涯をともにする夫なのに……)

アントワネットさま……
いいですか!?
ここまもうオーストリアではございませんのですよ!
それにアントワネットさまはもう自由に遊びまわられたころの子どもとはわけがちがうのです!
ベルサイユではとくに礼儀や洗練された作法が重んじられています
それなのに王太子妃ともあろうお方が……!

でもオーストリアではだいじな儀式や公式の行事のとき以外は
おかあさまはゆったりした服を着せて自由にさわがせてくださったわ

オーストリアとフランスではちがいます!
わがフランスでは体面や礼儀作法がとてもきびしいのですからね!
ベルサイユ宮殿へのはじめてのおめみえなのですから……
厳粛な作法をやぶったりなさいませんようご注意くださいまし
そうそう
それからひとつだいじなことをご注意申しあげておきますが……
このベルサイユでは
公式の場で身分のひくい婦人のほうから自分より身分の高い婦人に声をかけることはぜったい許されておりません
王妃さまがお亡くなりの今は王太子妃であるアントワネットさまが宮廷でいちばん地位の高い女性ですから
どうぞ宮廷の婦人たちにことばをおかけくださいませ
みんな アントワネットさまのお声をまっておりますから

宮廷でいちばん……
地位の高い女性……
だれもわたしに声をかけられる人はいない……
みんながわたしから声をかけられるのをまっている…!

ノアイユ伯婦人
王太子殿下はぜんぜんダンスもなさらないし
女の人たちとおしゃべりもなさらないけど
いったいなにがお好きなのかしら?

王太子さまはおとなしい内気な方なのです
読書がお好きで…

読書!?
まあ! わたし本なんてだいきらい!

それから狩猟と
そして錠前づくりがご趣味です

じょ…錠前……!?
あ…あの…
か…鍛冶場でトンテンカンテンやってつくる…?
と…とびらにつける…あの鍵……!?

あなたはちっとも
ほかの人のようにおしゃべりしたり踊ったりしないんですね
こんどわたしの午後のサロンにいらっしゃいな

せっかくながらアントワネットさま
オスカルは女とはいえ軍人でございます
わたしのすべきことはおしゃべりやダンスではなくフランスと王家をお守りすることだけでございます

メルシー伯
わたくしは…
フランスに嫁がせたアントワネットのことがどうしても心にかかってしかたないのです
あのはあのとおりかわいらしくて
どんな人間をもとりこにせずにはおかない魅力と陽気さをもっていますが…
人がよくてふかく考えることが大きらいだし
だいいち まだ若すぎて とても自分で自分をおさえてなどいけません…
外国の宮廷でちやほやあまやかされてアントワネットがだめな人間になってしまいはしないか
自分の地位をいいことに勉強をほったらかしにして遊びほうけているのじゃないか…と
メルシー伯
どうか このマリア・テレジアの使いとしてフランス宮廷にいきわたしのかわりにあのを指導してはくれませんか

陛下!
陛下のおたのみとあれば
このメルシー伯
どんなことでもすべてを犠牲にして お役にたつつもりでおります

お化粧……
お食事……
着がえ……
ミサ……
夜会……
みんな みんな しきたりや
作法にしたがって
おおぜいの人たちのまえで……
これじゃまるでがんじがらめだわ
自由に遊びたい…!!
好きなだけそこらじゅうを走りまわって
わらって
わらって
そしておしゃべりして……
あ……
昔のように……

まあ!
きょうはまたデュ・バリー夫人のごきげんのいいこと!

じゃやっぱりあの手紙は……
もしかしたらきょう
アントワネットさまはデュ・バリー夫人にお声をおかけになるかも…ね


(わたしは…
 なんの地位もない下町の平民に生まれて……
 とうとう伯爵夫人という称号も手にいれたし……
 国王の寵愛もすべての権力も
 宝石やドレスやお城や……
 のぞむものはなにもかも手にいれたわ
 このうえはなんとしても王太子妃にことばをかけさせてわたしの力が王太子妃よりも上だということをみとめさせなくては…!!)


(いけない…!
 たとえ国王陛下のご命令でも……
 あの女にことばをかければ……
 売春婦や愛妾が堂々とこの宮廷に出入りするのをわたしがみとめたことになる…!!
 そんなことは絶対ゆるされないわ!
 もう これはおばさまたちにいわれたからでもなんでもなくて…
 わたし自身の問題……
 そう…!!
 わたし自身の……
 王太子妃としての尊厳と誇りの問題なのだわ!
 ひとことも話しかけまい!
 ぎゅっと唇をひきしめて……
 あの女への軽べつのありったけをこめて…!
 わたしは正統なフランス王太子妃なのだから!!)

あけて1772年1月1日
なんとマリー・アントワネットがフランス王太子妃としてベルサイユにきてからおよそ2年もたって
はじめてデュ・バリー夫人は最初のことばをかけてもらったのである!
貴婦人たちが新年のあいさつのためにアントワネットの前に順々に歩みよったときであった


きょうは…
ベ…ルサイユは
たいへんな人ですこと!


(きょうはベルサイユはたいへんな人ですこと……
 きょうはベルサイユはたいへんな人ですこと……
 きょうは……
 ベ…ルサイ…ユ…は……
 負…けた…!!
 王太子妃が…
 王太子妃が娼婦にやぶれた……)


オ…オスカル……

アントワネットさま……

いちどだけ…
わたしはあの女に声をかけました……
でも…でももうこれきりで終わりです!
もうあの女にはぜったいに……
ぜったいにひとことだって話しかけません!!
フランス宮廷は堕落しました
王位継承者の妃が娼婦に敗北したのです!!
フランス宮廷は……

(なんという…
 なんという誇り高い人だ……
 この方は生まれながらの女王……!
 わずか16歳にして……この方のお心はすでにフランスの女王なのだ…!!)

ほんとうにとっても愛してるんだけど…
あの人があんまりきれいでかわいらしくて……
そ…その
どうやって話をしたらいいかわからなくて……
あの人はなにをいってもなにをやってもすばらしいのに
ぼくときたら
近眼だしスマートじゃないし
はずかしがり屋だし……

宝石を手に入れるのにもはや他人の力や好意にたよる必要などないことを マリー・アントワネットは知っていた
16歳の少女の胸にあらたに生まれた自尊心とほこりはすでにどんな力にもうごかされないたしかなものとなっていたのだ

(ちょっと手をふっただけなのに……
 すばらしいわ…!!
 王太子妃という地位にあるだけで……
 こんなにもおおくの人たちの愛情をえられるなんて
 なんてしあわせなことなのかしら…!!)

妃殿下
妃殿下はただいまここで妃殿下に恋している20万の人々をごらんになっているのでございます



もしも…
もしも
この日の感激を
しあわせを
民衆の愛情を
アントワネットがいつまでもわすれないでさえいたなら……
彼女は悲劇の王妃にならずにすんだかもしれなかった……!!

第2章 栄光の座によいしれて

そのとき ともに18歳であった若きふたりのまなざしの中に
一瞬 きらめいたものはなんだったろうか……?
王妃の地位を約束されただたいくつすることだけをおそれていればよいベルサイユ一の美人と
北欧の 美しく高貴な騎士ナイトとの偉大な歴史的愛の第1幕は
ふたり自身もそうと気づかぬうちにはじまったのであった……

ベルサイユの数々の舞踏会でフェルゼンは
当時ベルサイユに滞在中の外国人の中ではもっとも好意をもって上流社会にむかえられる
ひかえめで無口でおだやかで
かといってけっして陰気ではなく
人間味にあふれた男らしいフェルゼンに
ベルサイユの若き貴婦人たちは胸をときめかせてうわさ話に花をさかせる
彼に熱心なラブレターをおくる人妻もあったほどである



アンドレ
おまえ このごろ
アントワネットさまのようすになにか気づいたことはないか

アントワネットさまの?
いーや
べつに……あいかわらずおてんばで
わらったり
しょっちゅうノアイユ伯夫人からおこごとだ

そう…か…
おまえが気づかないのなら…
まだ 心配することはなさそうだな

あのフェルゼンとかいう男のことか?

アントワネットさまはこのベルサイユにはめずらしくじぶんの感情に正直なお方だ
そのことがどんなにあの方を危険にさらすことになるか……
この宮殿で作法やしきたりを無視して人間らしくむじゃきに自然にふるまえば
それは孤立か追放を意味する……
そんな事態がおこらねばよいが……

さすがするどい! 女の直感だな!

いいかアンドレ
これからはいままで以上に注意して妃殿下のおそばについてくれ
悪いうわさがたってからではおそい

よし! わかった

アンドレ
この不祥事をひきおこした責任の大きさはかくごしておるであろうな!?
王太子妃にケガをおわせた
偶発事とはいえ死刑はまぬがれまいぞ!!
アンドレの逮捕状を!!

お待ちを……
ノアイユ伯夫人
メルシー伯
王太子殿下
フェルゼン伯
そしてほかの方々!
みんな見ておられたはずだ!
不注意とはいえアンドレに罪はない!
もしも…
もしもどうしてもアンドレをおとがめになるならば……
ジャルジェ家の名において正式の裁判を要求いたします!
さもなくば……
アンドレの責任は主人であるわたくしの責任……
まずここでこのオスカル・フランソワの命をたってからにされるがよい!

よかったな……
王族にケガをさせて首がとばなかったのはおまえくらいだぞアンドレ
むかしならやきごてと煮え湯で拷問のうえ車裂きだからな

オスカル…

おいおい!
うぬぼれるな
おまえのためではないぞ
ばあやのためだ
この年でたったひとりの孫のおまえに先だたれてみろ
ジャルジェ家は葬式をふたつださねばならんからな!



(オスカル…
 おれはいつか……
 おまえのために命をすてよう…
 おまえがきょうこのおれのために命をかけてくれたように…
 いつかおまえのためにアンドレはこの命をかけるぞ…)

オスカル!

ん?

おまえ……
さびしくはないのか……?
女の身でそのようなかっこうをして……
女としてのしあわせも知らずに青春をおくるのか……?

わたしは……
父 ジャルジェ将軍のあとをつぐために生まれたときから男としてそだてられてきた
これで不自然だとも思わないしさびしいと思ったこともない

いままでのおつとめ
ごくろうさまでした
オスカル これからは近衛連隊長として
いま以上に親しくわたしのそばについてください
年金と棒給もいままでの倍にあげるようとりはからいました

まだ20歳にもならないわたしにありがたきおことば
身にあまる光栄でございます
しかし……!
ただいまわがフランスはけっして財政が豊かというわけではございません
どうか年俸は現在のままにおとどめおきくださいますよう!
さもなくばこのたびの昇進おうけするわけにはまいりません!

オスカル……
…わかりました オスカル
でも…
ああ
でも…… !
望みがあればなんでもいってちょうだい!
もっと高い地位でも…
馬でも召使いでもお城でも!!
これからのわたしなら
どんなことでもかなえてあげられるわ!
大好きなオスカル!
あなたに喜んでもらえるにはどうしたらいいのですか?

アントワネットさまがりっぱな女王陛下におなりあそばすこと……
…それだけでございます
陛下 !

オスカルさま
宮廷よりこのたびのお祝いにと数々の品がとどいておりますが

せっかくだがおうけすることはできないと
ていちょうにおことわり申し上げてくれ

オ…オスカルさま!?
なんてもったいないことを!!
王妃さまからの贈り物をおことわりするなんて!

それがアントワネットさまのためだからだ!
アントワネットさまはご自分の感情にすなおに……
好きなもののためにはその好意をかくさずにつくそうとなさる……
とくにいまはご自分の地位と権力にうっとりなさって……
だがアントワネットさまのお使いになるお金はすべて国民の税金……
わたしにはアントワネットさまのそのすなおさがおそろしいのだ
税金をとられる国民たちがどのような目でアントワネットさまを見るようになるか…

ばかな!
おまえのとりこし苦労だよ
民衆は王妃さまに夢中じゃないか

そうであってくれれば…と祈っている

しあわせそうなマリー・アントワネット
あなたはますます美しくなっていくわ…!
ベルサイユの妖精
ばら……
ロココの女王……
宮廷の貴族たちのそんなささやきはわたしをよわせてくれる……
でも…
なにかもうひとつみたされないこの思いは…
いったいなに…?

いったいなんということでしょう!
フランスから送られてきたあの子の肖像画ですって!?
まあ!
送り先をまちがえたのではありませんか!?
これはフランス王妃の肖像画なんかじゃなくて
はでにきかざった女優の肖像画でしかありません!
このように
おろかしく
けばけばしく
かざりててているのが
わたしの娘だなんて!
こんなものはすぐフランスに送りかえしておしまいなさい!
ああ…!
いとしいマリー……
あなたにはわからないのですか!?
若くて美しい女性……
ましてや優美さと魅力にあふれた女王には
こんなごてごてしたかざりなど必要ないということが…!
かえってつつましい上品なよそおいこそが女王の気品をいっそうめだたせるということが…!
あんなぜいたくな宝石やら羽かざりやらにうつつをぬかして
いったいどのくらいばく大な税金が支出されてるかあの子は知っているのだろうか…?

ごきげんいかが?
ポリニャック伯夫人

まあっ!
王妃さま……

まえからお話ししたいと思っていたのですよ
どうしてめったに宮廷にでていらっしゃらないの?

王妃さま……
それは……
あの……宮廷にでて体面をたもっていけるだけの
十分なお金がないからでございます

(ま…あ!!
 お金がないなんてこの世界でいちばんはずかしいことをちっともかくさずに……
 なんという清らかな魂をもった人なのかしら……!
 この宮廷にこんなにも気どらない心をもった女性がいたなんて!)
ポリニャック伯夫人
わたしがいつもあなたとお話しできるように一家みんなでベルサイユ宮にうつっていらっしゃい

王妃さま!?

アントワネットさま
ポリニャック伯夫人が……

ま…あ!
ポリニャック伯夫人!?
すぐとおして!
午後からカルタ遊びをするのよ

アントワネットさま
じつはきょうは……
宮廷をさがらせていただきたいと思いお別れを……

ポリニャック伯夫人……!?
な…なぜです!?
まだ宮殿にうつってきてまもないのに……

せっかく王妃さまのあたたかいご友情でお近づきになれましたのですが……
やはりわたくしのように地位も財産もございませんと宮廷ではずかしい思いをしなくてはなりません
娘に着せてやるりっぱなドレスもございませんし
召使いの数にしても…
馬車にしても…
厩舎の大きさにしても
夫がどんなはずかしい思いをしているかと思うと……
やはり宮廷をさがったほうが……

いいえ!!
いいえ けっして宮廷をさがってはいけません!!
なぜもっと早くそのことを相談してくれなかったのです!?
ああ!
たいせつなお友だちポリニャック伯夫人!
わたくしをなんだと思っていらっしゃるの!?
親友をたすけるためにわたしがここにいるじゃありませんか!
あなたのために新しい予算を大蔵大臣にくませましょう
宮殿にポリニャック家専用のうまやをつくらせ
あなた専用の馬や馬車もいまの5倍にふやしましょう
あなたの召使いには国家からお給料をはらわせますし
あなたの夫ポリニャック伯爵には郵政大臣の地位をあげます!

お…お!! 王妃さま!!

(ああ…
 わたしは
 なんてしあわせなのかしら……
 この手でたいせつな親友をしあわせにしてあげることができて……!)

自分が幸福ならば国民もまた幸福なのだと思いこんでしまったこと……
それがマリー・アントワネットの最初のあやまちであった

ちきしょう!!
公爵ならなにをしてもゆるされるのか!?
ちきしょうっ!!
公爵家がなんだ!!
そんなにえらいのかあんな男が!!
アンドレなにかいえ!!
なんとかいってくれ!!

(一見 氷のようにひややかなくせに……
 胸の中はまるで炎のように燃えさかっている……
 血の気の多い激しさ……
 おれは…
 そんなおまえが好きだ……)

ア…アンドレ
剣をもて
またけいこをつけてやるぞ

よし!

きいておられるのですか!?
このたびアントワネットさまがポリニャック夫人とその家族のためにお使いになったお金は
おどろくほどばく大な額にたっしておりまして

メルシー伯
そういうことは大蔵大臣のネッケル氏にいってちょうだい
わたくしはただ親友がこまっているのをたすけてあげただけですもの

アントワネットさま!
ポリニャック伯夫人はアントワネットさまのご友情をいいことに
地位やお金をまきあげようというつもりでいるのがおわかりになりませぬか!?

メルシー伯!!
い…いっていいことと悪いことがあります!
あの 清らかな魂をもった人をそのように……
いくらおかあさまの腹臣でもゆるせませんよ!

つい……
どうかおゆるしを……

アントワネットさま……

オスカル……
だれも…
わたしのたいせつな親友のことを理解してくれないのです……
あの人は…
ポリニャック伯夫人は……
みんながいうような人なんかじゃないのに……
おかあさまかおねえさまのように…
あの人の話すひとことひとことが
宮廷でのきゅうくつさをわすれさせてくれ
わたしの気持ちをなごませてくれるの……
あの人とふたりきりになるとわたしはもう
王妃ではなくなってわたしというひとりの人間にもどるのです……
あの人とはなれてくらすなんて
そんなこと……できないわ!

(…ふしぎだ……
 アントワネットさまはおさびしいのだろうか……?
 ヨーロッパ一のフランスの王妃としてあらゆる人にかしずかれ……
 宝石と花にうずもれて
 オペラや競馬や舞踏会で毎日をおくっておられるのに……)

王妃さま
じつはわたくしの弟が
陸軍大佐の地位を希望しておりまして……
きょうはそのおねがいに……

まあ!
そんなことおやすいご用よ!
ポリニャック伯夫人
もっとそばにきて!

(なるほど…
 魅力的な貴婦人だ……
 ちょっと母上ににているか…な…?
 ラベンダーの香りのするような……
 いつまでもむかいあってしっとりと話していたいような…
 だが…
 あのように地位をねだるなどとは…!)

ええ ええ!
わかっておりますわ!
王妃さまのわたくしへのご友情を宮廷中がねたみの目で見ているということは!
いく先々でわたくしをいじめようとみんなが待ち構えているということも……
ああ!!
でも王妃さままでがそんな中傷を本気になさろうとは思いませんでした!
まだ…
いまでしたらわたしたちは
別れても不幸になるほどはしたいあっておりません
でもやがてわたくしは王妃さまのおそばをはなれられなくなるでしょう…
王妃さま……
そのようなときがこないように…
いまのうちにお別れしましょう
わたしは宮廷をさがらせていただきます
ああ でも…!!
どうかわたしの真心だけは信じてくださいまし!!

ポリニャック伯夫人…!
ああ! どうかゆるして!
ゆるしてちょうだい!
あなたの真心を一時でもうたがったりしたわたしを……
このとおりあやまります

王妃さま!

第3章 ゆるされざる恋

このリージェル嬢はイギリスの婦人だが
財産もそうとうなものだし地位も高い
いまだいぶ話が進んでいるところだ
故郷くにの父上に手紙で相談して婚約をきめるつもりでいる

…美しい人…か…?
人柄は?
趣味や教養は……?

そんなものは知らん
なにしろあったこともないのだから
故郷くにの父上にとって利益になるかどうかしかわたしには問題ではない

愛してもいないのに結婚するのかフェルゼン!!

オスカル……
では……
愛していれば…
……
愛してさえいれば
結婚できるのか…
……?

ばかなロザリー
ばかなロザリー!!
なにを期待していたの!?
はじめからわかりきっていたじゃないの!
オスカルさまは……
オスカルさまは王妃さまのことしか考えていらっしゃらない!!
あきらめなくちゃいけないことなのに…
あ…あ!
でも…
美しすぎる…
まるで光のしずくのようにきらめきながら踊っていらっしゃった…
お美しいおふたり……!!
わかっていたはずなのに……
どんなに好き…でも…
あきらめなくちゃ
い…けないこと
なの…に…
オスカル
さ…まあ……




アンドレ!

ロザリー……
かわいそうに……
知らなかった……
だけどおまえはいい…
あきらめて泣いて……
そして いつかだれかほかの男とほんとうの恋をして……
だがおれの苦しみはおまえ以上だ…
オスカルの心をほかの男がとらえていくのを……
ただ だまって見つめていなければならん…

オスカルさまの心を…
男の人が…!?

いつかは気づいてくれると
絶望的な期待にすがりついて…
いまいましい身分のちがいを
ただ 毎日のろっているばかりだ……
たぶん 一生……

そう…だったの
たぶん あなたは
もう ずっと…
ながいこと
オスカルさまのそばで…
オスカルさまだけを見つめて…
…ちっとも知らなかった…
でも……
さびしい……
とても…
さびしいわ……

あの若者がアメリカへいってしまうのか…
ほかの貴族たちとちがって
おべっかもつかわない
野心もない
よい友人だと思っているのに…
残念だな…

フェルゼン
りっぱだ……
男性が真の愛のためになしうるこれ以上に気高く尊い行為をわたしは知らない…
死ぬなフェルゼン!
かならず…
かならず生きてかえれ!!
生き…て…
かえれ…!!

オスカル…
かわいそうに…
どれほど苦しいだろう
どんなかっこうをしていても
おまえはまちがいなく女だ…
こみあげる心の苦しみをひとりでは
かかえきれないこともあるのだろうに…

第4章 黒い騎士をとらえろ

こっちへ……
おいでロザリー

オスカルさま?

ひと晩中おきていたのか……?
すまなかった心配かけて……

いえ…
い…え…
もう…
そんな…
オスカルさまがご無事でもどっていらっしゃっただけで あたし…

もしわたしがほんとうの男性だったら…
まちがいなくおまえを妻にするよ……
ほんとだ

オスカルさま!

(いっそほんとうの男性だったら…
 どれほど楽だったか……!)

ふりそそぐ金色の光の中……
もえるような紅に映える近衛服
ブロンドの髪 ひるがえし
馬上ゆたかに指揮をとる
あ……あ!
青い瞳
その姿は……
さながら天に吼ゆるペガサスの
心ふるわす翼にもにて……
ブロンドの髪 ひるがえし
ひるがえし……

ロ…ロザリー!!
本気でいっているのか!?
ポリニャック家へいくなどと……
ロザリー!
ポリニャック伯夫人になにをいわれた!?
え!? なにか強迫されたな!?

い…いえ
そんなこと……

いえ!! なぜ急にポリニャック家にいく気になぞなった!?

なんでもありません!!
おかあさまが恋しくなっただけです
あ…あんな女でも……
それにポリニャック家のほうが財産も権力もあるわ!!

……
……

いかせて…ください…

わ…わたしの目をごまかせると思うな!
おまえはそんな娘ではない……
だがとめはしない…
ポリニャック伯夫人はおまえの生みの母上だ

さあ たて!
ふたりとも手をうしろにまわして表にでてもらおうか

ロザリーだね?
あのがおまえにあたしたちの居所教えたんだね?

そうしなければならなかったロザリーの苦しみが分かるか…?

あ…
むかしはよかった……
かあさんとあたしとロザリーと…
貧乏のどん底だったけど…
愛があって笑い声があって…
ロザリー…
いつでもだまって人のかげにいるようなだったよ…
いなくなってみて
はじめてその温かさが分かるような……

……
……
そのことば
しかとロザリーにつたえてやろう
さあ! おもてへ!

オスカル…
オスカル…!
なんという美しさだ!
まるでアフロディテさながらに
見る人の心を酔わせてしまう
フェルゼンのためか その姿は……?
おれの… オスカル…!!

伯爵夫人
お国はどちらでいらっしゃる?
あ……失礼!
マダム
あなたに大変よくにた人を知っているのです
美しい人で……
あなたのようなみごとなブロンドの髪をして……
心やさしく教養も高い
そう……
自分の思想のためには命もかけるような……
そんな人で……
美しい人なのです
だが……
金モールの軍服にかおる肌をつつみ
さながら氷の花のように男性のまなざしをこばむ……
オスカル……
オスカルか……!?



(美しい人で……
 あなたのようなみごとなブロンドの髪をして……
 心やさしく教養も高く……
 自分の思想のためには命もかけるような……

 フェルゼンの腕がわたしを抱いた……
 フェルゼンの瞳がわたしをつつみ
 フェルゼンの唇が……わたしを語った
 あきらめ……られ……る……
 ……よかった
 これであきらめられ…る…!!)

あ あの
食事の前になにかないか?
カフェ・オ・レかショコラか……

あ……
すみません
いま…たべもの
それだけしか……

これだけ……!?
これだけって……
これはスープではないのか!?
野菜のきれはしがほんのすこしういてるだけの……
これが食事だというのか……!?
うそだ……!
わたしがいつも家でする食事といえば
とりどりのオードブルになん種類かのスープ
そしていく皿ものアントレやアントルメがでて焼き肉にゼリーにぶどう酒に……

オスカルさま……
すみません お口にあわなかったんですね……
ごめんなさい……
でも もうパンもなにもないんです
ごめんなさい……

ロザリー
なぜおまえがあやまるのだ
わたしはいま……
自分がどうしようもなくはずかしいのだよ……
だれにたいしてでもない……
自分自身にたいして……
たまらなくはずかしいのだ
なにもかも知っているつもりでいた……
あたえられた毎日の生活をとうぜんのものとしてうけとめてきた……
自分とおなじ人間がこのようなたべもので生きているなどと考えてみたこともなく……
考えてみたこともなく……!

オスカルさ…ま…

ロザリー
おまえが小さな手をあかぎれだらけにしながら手にいれてくれたたべものだ
えんりょなくごちそうになろう

ほほう
一面すっかり凍ってしまったようだな

あ! 国王陛下

ちょうどよかった
パリから失業している男たちをあつめて氷かきをやらせてやるといい
賃金をたっぷりはずんでやってな

ははーっ
みんなよろこびますでしょう

国王陛下!
王后陛下が御殿アパルトマンのほうへおもどりを……と

おお!


まったくかわった王さまだな
愛妾のひとりももたないで
王后陛下が豪華な毛皮を身にまとっておられるときも
ごじぶんは質素なコート1枚で……
趣味といえば狩りと読書と錠前づくり
おまけに民衆が大好きで……

第5章 オスカルの苦しみ

オスカルさま
兄はもうスウェーデンには帰らないつもりなのでしょうかしら?
父がそれは心配しておりますの
ごぞんじでしょうけれど
父はスウェーデン陸軍では国王につぐ高い地位である元帥をつとめておりますし
兄も国王陛下にたいへん気にいられております
国へ帰ればどんな地位も名誉ものぞみのままですのに…

ソフィアどの……
女性がそうであるように
男性にとっても地位や出世よりもっとたいせつなものがあるのですよ

兄とマリー・アントワネットさまのうわさは……
やっぱりほんとうですのね……?

だれよりもフェルゼン伯の心はよく知っているつもりです
マリー・アントワネットあるかぎり兄上はけっしてこのフランスをはなれはなさいますまい

オスカルさま
恋をなさったことがおありですの?

(ギクッ)

あ……ごめんなさい とつぜん
ふふ……
あたくしね
もしあなたが女性だってこと
知らなかったら
いまごろ きっと……
オスカルさま
あなたに恋こがれて
こがれ死にしていたかもしれませんわ……
ええ ほんとですわ

それはそれは光栄ですな!
女性に生まれたおかげで
こんな美しい魅力的な貴婦人を
妻にしそこなってしまった!
ソフィアどの
お信じにならないかもしれないが……
わたしは小さいころ ずっと
自分を男だと思っていたのですよ
ほんとうになんの疑いもなく……

女性だとわかっていても……
あなたにそんな目でじっと見つめられてしまうと胸が……
ほら こんなにドキドキして……
あなたのようなすばらしい方のハートを射とめるのは
いったいどんな男性なのでしょうね……

やっぱり……
やっぱりおまえだったのか……
わ…わたしは…
わたしはなんという
うかつな……
そうだったのか……
なぜ 気づかなかったのだろう
女性としての
おまえの……あ…あ…
その瞳に……
そのことばのひとつひとつに……
お…おまえの胸の奥深くにゆれる心を……
ながいあいだおまえが
どんな気持ちでわたしのそばにいたか……
なぜ…
わたしは気づいてやれなかったのか……!!
オスカル!
もう……
もう永久に…
あうことは
できない…な…
わたしを
ゆるしてほしい
もしも
はじめてあったとき
おまえが女性だと
わかっていたら……
あるいは
ふたりのあいだは
もっとちがったものに
なっていたかもしれない
しかし……
もうすでに
わたしの一生は
アントワネットさまの上に
さだめられてしまっている

だ…からこそ…
そんなフェルゼンだからこ…そ…
でなければ愛しなぞしなかった…

オスカル……
なにも気づいてやらずに……
どんなにおまえにあまえ
おまえを苦しめてきたか……
それがわかった以上
もはや
もはや……
いままでどおりに
あうなどということはできない……
それはとうていできない!
だが信じてほしい
オスカル
このフランスでえた
わたしの最高の友人!
尊敬もし ともに語り ともに苦しんだ……
うしないたくない
ただひとりのすばらしき親友!
きみにあえたことをしあわせに思っている!

いつかくるはずの日だった……
さけようのない
このときだったんだ……

オスカル!!
これが……
これがわたしたちの十何年ものまじわりの結末だとは……!

お…お!!
神よ!!
なぜわたしの青春のひとときに彼をおきたもうた!?
なにゆえに遠き異国に生をうけしわれら3人を
このフランスの地にむすびあわせたもうたのか!?
さらば……!!
さらばフェルゼン
わが青春の夢
燦爛として胸にみちた
あわき思い
お…お…いま!!
さらば さらば
わが遠き日々……!!

なぜ 年月はこんなに早くたってしまうのだろう……
なぜ 子供はおとなになり……
苦しみの中にわれとわが身をおき……

十何年間もおまえだけを見
おまえだけを思ってきた
ほかの女になぞいちども目をむけたことはなかった
もちろんおまえを自分のものにできるなどとも
結婚できるなどとも考えてはいない
ああ
だけど……!
だけど おなえをほかの男の手にわたすくらいなら
このままこの場でだんなさまにでも射殺されてしまったほうがましだ!
たのむ…
オスカル
おまえのためなら
どんなことでもしてやろう
ほしいというなら
この命もくれてやる

第6章 燃えあがる革命の火

だれが……
だれがこのようなものを……
フェルゼンに……
フェルゼン伯爵にこのフランスを立ちさるように命令をだしましょう

王妃! それはいけないよ
考えてもごらん
欲得ずくや地位がめあてでわれわれのまわりにむらがる貴族がどんなに多いことか……
わたしたちをとりまく貴族たちの中でほんとうに心からわれわれを思ってくれている信頼できる少ない友人のひとりなのに……

国王陛下……
わ…
わたくしは……
わたくしは……
お許しください
フェルゼンを愛しております
でも 信じてくださいまし
この手紙に書かれているような深い関係は一度もございません!
お信じくださいまし!
ちかってルイ・シャルルは国王陛下の御子でございます!!

王妃……
わ…
わたしだって……
あなたがはじめて王太子妃としてこの国に嫁いできたとき……
愛の女神の祝福を体いっぱいにうけて輝くあなたの明るいかわいらしさはどんなにわたしの目にまばゆかったことだろう!
あなたはどんなところででもこぼれるような笑みをうかべ
まぶしいくらいほがらかでおてんばで
あ…あ
それなのにわたしときたら!
美男子でない上にふとっているし
ダンスは下手だし
気も弱くて…
貴婦人をよろこばせるような気のきいたしゃれた会話ひとつできない……!
でも……
愛しているのだよ
いつもほったらかしにしておいたけど
わ…わたしが……
もう少しスマートで美しくて……
そしたら……
そしたら愛しているということばをひとことでもあなたにいえただろうに……
いえたのだろうに…!
こんなわたしと結婚して……
もうふたりの王子も生んで王妃としての義務ははたしてくれたのに
あなたが女としての幸福をもとめるのをどうして非難することができるだろうか……

見え…な…い…
見えなくなることがだんだんひんぱんになってきている……
どうしたというんだ
おれの右目は
あ……
まさか
このまま……
ま…さか……!?

なぜ……
わからないのかッ!!
おまえたちを処分するのなどかんたんなことだ!
わたしにはそれだけの権力がある!
だが 力でおまえたちをおさえつけることに何の意味がある!?
おまえたちの心まで服従させることはできないのだ
心は自由だからだ!
みんな
ひとりひとりが…
どんな人間でも……
人間であるかぎり…
だれの奴隷にもならない……
だれの所有物にもならない心の自由をもっている
だから…
だからこそ…
おまえたちをけっして権力でおさえつけまいと……
処分はするまいと……
それがなぜかからんのか~~っ!!
なぐって……
す……
すまなかった…
もう…
わ…わたしには……
わたしにはここにいる必要などないようだ…
諸君ののぞみどおり衛兵隊をやめよう…
新しい隊長が赴任するまでダグー大佐を隊長代理に任命する
よく指揮にしたがってくれ……
アンドレ 馬をひけ!

ディアンヌ嬢
おききしたいことがある
このまえの面会日にあなたがもって帰った大きな荷物はいったいなんです!?

あ……
べ…べつに
なんでも……
わざわざ申しあげるほどのものでは……

あなたの兄上はじめ数人の兵士が栄養不良にかかっているのです

ええっ!?
あ…
知りませんなにも……
存じません
あの……

もしなにか心あたりがあったら知らせてください
兄上のためにも…
わたしはオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ

存じておりますわ
オスカルとはヘブライ語で"神と剣"を意味するのだと
兄が話しておりました
でもまさか女の方だったなんて……

アランが……!?

だれだ……!?
このわたしと結婚しようなどという度胸のいいやつは!
はん!
どうせ地位か財産がめあてのプレイボーイくずれだろうが……
その度胸にめんじてつらだけでもおがんどいてやるぞ!

隊長……
おひさしゅうございます

ジェロ―デル……
こっ…これはなんのじょうだんだ
ジェロ―デル大尉

大尉ではございません
ただいまは少佐でございます

で…ではジェロ―デル少佐……

このしあわせをわかっていただけるでしょうか
美しいあなたの求婚者として
お父上に この家への出いりを許されました

父上!!

ジャルジェ家にはあとつぎが必要だ
ぜひはやく強くかしこい男の子を生んでわたしを安心させてほしい

横暴でございます!!

幸いなことにジェロ―デルは長男ではないそうだ
うむ 彼とふたりでジャルジェ家をつぎ
わしはそろそろ引退…とまあこのように……

話にならん!
失礼!

マドモアゼル!!

マドモアゼル……!?

失礼 オスカル嬢

あ…

誤解のないようにもうしあげておきます
地位や財産がめあてではない!
初めてあなたと近衛隊でいっしょに仕事をしたときから……
そのときからずっと……
ずっと長いあいだあこがれてまいりました
最初から……
そしてどんなときでもわたしはあなたを女性として見ることしかできなかったのですよ

最初から……
女性として
女性として……?
は…はなしたまえ
ジェロ―デル少佐

それは命令でございますか
ならばきけませぬ

はなせっ!!
今夜のことはわすれてやる
おまえも帰って頭をひやせ!!

人の心に……
命令はできませんぞ……

おききになられたか父上!!
人の心に命令はできませんぞ!!

結婚……?
強くかしこい子どもを生め……?
どこをどうおせばそんなばかげた考えがわいてでるのだ
このわたしに……
……結婚!
では……
では わたしの人生は
いったいなんだったのだ……
わたしの青春は……
あの18の日に……
フェルゼンの前に男としてしか存在することを許されなかったのはなんのためだ……
くる春も くる春も……
ただひとこと……
ただひとことを
胸のいたみとともに軍服につつんできたのはなんのためだ……!?
堪えることしかゆるされなかったはじめての恋を
ついに ついに堪えたのは……
なんのためだ!?
なんのためだったのだ…!?
いまわたしに女にかえれというのか!!
マドモアゼル…か…
ふ…はじめてよばれた……
ムッシュウ……ムッシュウ・ル・コント(伯爵)
それがわたしにあたえられた称号だった……
神よ!
われらが滅びの知りたもう神よ
たったいまその御手をわがぬかの上におかせたまえ!
ああ ちきしょうっ!

パリは……
すこしはしずまっているか……

ん……
嵐の前のしずけさだろう

高等法院はあくまで新しい税と4億2千万リーブルの借金をみとめないつもりらしいな

ああ……
ついでに国王の権力を弱めようって腹だろう

らちがあかんな

11月になったら御前会議がひらかれるそうだ
王族・重臣 みんなあつめてな

御前会議か……
高等法院をぶっつぶそうというわけだ
オルレアン公ももちろん出席するのだろうな……

ああ

ではかえってまずいな……
やぶへびだ
高等法院をぶっつぶすどころか……
(ちがう…
 ……
 ちがう……
 こんな話をしたいのではない……
 こんな話じゃな…い……
 なにかもっと……
 あ……
 もっとちがう
 ことばをごまかしている……)

とどくのに…
……!!
この手をのばしただけで……
オスカル……
おまえの白い顔が……
黄金の髪が……
こんなにもすぐ目の前に
手をさしのべてきっとまた抱きしめてしまう!
ちかいをやぶってその唇をうばってしまう!
あ…あ
だから!!
だから……
いつまでこうやって逃げていればいいんだ……!?
ど…んなにひくくてもいい……
貴族の身分さえあれば……
貴族の身分さえあれば……
だれにもわたしはしない
おまえを花嫁にするために立候補するよ
あいつのように……
正々堂々と名のりをあげて
……だめなのか……!?
どんなに愛しても……
どんなにどんなに愛しても
身分のない男の愛は無能なのか!?
この命とひきかえに
地のはてまで愛しても……
それでもだめなのか!?
それでも……
だめ…なの…か……!!

や…あ!
アンドレ・グランディエ
久しぶりだね
いまフランス衛兵隊に入隊しているんだって?
わたしのたいせつな方をあんなところに1日もおいておきたくないのだけれど…
さびしくなるね…
きみは…
いままで
いつだって……
どんな所でだって彼女といっしょだった
そう…じつにうらやましいほどにね
彼女がまだ士官学校も終えないうちから
女性だということで特別に王太子妃付きの近衛士官として入隊したとき以来……
きみなしの彼女はありえなかったし……
また たぶん…
彼女なしのきみもありえなかった…
きみは平民の身分でありながら
宮廷にまで出入りをゆるされ…

もういい…
おれの役目も終わった……
これからは…
これからは…
ジェロ―デル少佐…

オスカル嬢は気づいておられるのだろうか…
きみが彼女の分身だということに……

え?

きみ…
ジャン・ジャック・ルソーの"ヌーベル・エロイーズ"を読みましたか
なに…
たわいもない恋愛小説だけどね…
アンドレ・グランディエ
ぼくにも妻を慕う召使いを妻のそばにつけてやるくらいの心の広さはあるつもりです
きみさえよければ……

(バシャ!)

あっ!!

そのショコラが熱くなかったのをさいわいに思え!!

ジェロ―デルか……

衛兵隊の兵士はあなたがよんだのですか
パーティーはめちゃめちゃだ……
だが……かえってわたしはうれしい
これで求婚者はわたしひとりになってあなたは…

うぬぼれるな!!
うぬぼれるなジェロ―デル……
いいか!
父上にも申しあげるがいい
生涯……
生涯なにがあっても……
だれのためにでも……わ…わたしは…
わたしはドレスは着ん!

そんなあなたが……
わたしにはいたいたしい……
あまりにいたいたしくて……
あなたが美しければ美しいほど
軍服に身をつつみ馬にまたがるあなたは悲愴で……
兵士たちの中にあってその姿は壮絶なまでに美しくて……
あなたはバラの花びらをたべるのですか?

いけないか!?

背のびをおよしなさい
なぜ……
暖かいだんろややさしいまどいに背をむけるのです
ほしいと思ったことがあるはずだ……
平凡な女性としてのしあわせ……
さしのべられたやさしい手をこばみつづける自分に涙をながしたこともあったはずだ
背のびをやめてすなおにおなりなさい
悲劇のただ中へまっしぐらにむかっていく前に
たちどまって……
わたしのこの胸でよければ…
いつでも…
いつまでもあなただけをうけとめる用意がある
なにもかも…
胸につかえた悲しみや
肩にせおった苦しみを
みんなわたしにあずけてはみませんか…
わたしのこの胸でよければ
あなたの長い長い苦しみも
悲しみも涙も…
すべて…
あずけてください…
愛しています…
美しい方……

ジェロ―デル……

あ!

オスカル嬢!!

わたしの知っている唇は…
わたしの知っている唇は……
あ……そうだ
もっと熱っぽくて…
弾力があって…
すうようにしっとりとわたしの唇をおしつつみ
しのびこみ…
わたしの知っているくちづけは…
あ…
だれ…か…
だれか……!
なぜこんなに体中が熱くなるのだ……?
とけてしまいそうに…
なぜ……?
このあまいうずきはなんだ…

"ヌーベル・エロイーズ" J・J・ルソー
美しい貴族の娘ジュリと平民の青年サン・プルーはたがいに愛しあっていたが
父母の反対にあいジュリは泣く泣くサン・プルーをあきらめてウォルマールという地主と結婚する
が なぜかこのウォルマール氏は寛大にも
妻の昔の恋人サン・プルーを家庭教師として屋敷に招いてやる…
ジュリとサン・プルーは
おたがいに罪を犯すまい
不倫を犯すまいと……
それはそれは苦しい理性のたたかいをかさね……
ついに死のまぎわジュリは
サン・プルーへの愛をつげ天国で結ばれることを祈って神に召される…

たわいもない恋愛小説…か…
ふ……
そうだろう…
彼のような身分の人間には…
愛する女性に正式にプロポーズできるだけの身分のある男には…
だがジェロ―デルは考えてみたことがあるだろうか
ジャン・ジャック・ルソーのこの"ヌーベル・エロイーズ"が1761年の出版以来じつに70版ちかくをかさね
市民たちのあいだの不滅のベストセラーとなっているのはいったいなぜなのかを…

"ヌーベル・エロイーズ"か……
おまえも読んだのか…
生きてるのがあほくさくなるぜ…
身分身分とだれがきめたか知らねえが…
好きで生まれてくるわけじゃなし…

はん!
なにぬかすか
てめえはそれでも貴族じゃないか
きいたふうな口たたきやがって

知っているか?
平民以下の暮らしをしている貴族だってあるぞ
知っているか?
寒い吹雪の夜もおなかをすかせて身をよせあうことしかできないおれたちの妹やおふくろのことを
知っているかアンドレ?
それでも貴族だ!
それでも貴族だぞ!

ああ…はなせ
はなせ…悪かった…

……
……
おれは…
あの女がきらいだ
ただの大貴族の人形みたいなつまらない女だったら…
そしたら憎んで憎んで軽蔑して……
軽蔑しぬいてやることができるのに…
ちきしょうめ!
なんだって憎みきることができない…?
なにを考えてやがるあの女!

アラン…
おまえ…若いな
好きだから知らないまにいじめてしまう……
はは…けつの青いがきのすることだよ
ん?
ずぼしさされて声もでないか?
すなおになれ すなおに!
でかいずうたいしやがって

まっ
待ちやがれ
この!

あ!!

アンドレ……?
アンドレ
おまえ…
……
おまえ
まさか
そっちの目も見えないんじゃ……

いいか
しゃべるな
ぜったいだれにもしゃべるな
しゃべったら…殺す!!
かすんではいるがまるっきり見えんわけではない
ときどき…
とつぜんまっ暗になるだけだ…
いいな! 約束だぞ

神よ……
われをゆるしたまえ………
許しまたえ
地上においてむすばれず……
天においてもむすばれるはずのない愛をえらばんとする
われを憐れみたまえ……
愛し
愛し
愛しぬいて
ついに
おろかしい罪のうちに
滅びていくわれを憐れみたまえ…
死によってすらも……
むすばれえない愛ではあるけれど…
なぜ……
なぜ
生きてきた
いままで……
なんのためにいったい生きてきた……
おまえがほかの男のものになるのを見るためか……!?
それを見せるために神はこの片目をのこしておかれたのか!?
残酷だ…
幼いころから
かたときも はなれず
ともに生きてきた……
このまま……
ともに死んでくれるか……
おれを許してくれるか
苦しませはしない……
最後の最後までしっかりとだきしめていてやろう
命つきるその瞬間まで…
かぎりない愛のうちに死ねるのだと
きっと確信させてやろう!
だから…
許してくれ…
主よ
われを地獄へ!!
そして……かならずや
わが愛するひとを天の園へ…!!

オスカル……

アンドレか
はいれ



ふふ…
ふふふ
ふ…
なぜだか
分からないのだよ
さっきから
涙が
こぼれて
こぼれて
とまらないのだ…
いぜん〔"ヌーベル・エロイーズ"を〕読んだときは
ちっともいいと思わなかった
それなのに…
それなのに
なぜだろう
アンドレ…
ああ…
さっきから
訳もなく涙が…
胸がしめつけられて…

ワインを持ってきた……

ああ
メルシィ

い…いっしょに飲んでも…いいか?

わざわざどうした
今日にかぎって

オスカル
夜の祈りはもうすんでいるか?

ああ…

そうか…
よかった

ほんとに…
なぜ
こんなに涙が……

(おれの…
 オスカル…)

人間は死期が近づくと…
子どもにかえるというけれど…
こうしていると
なぜか昔のことばかり思いだしてしまう…
一生懸命
背のびして
おとなのつもりで…
まだ士官学校も終えないのに国王陛下に任命されて近衛連隊に入隊したのがうれしくて…
マリー・アントワネットさま付きの近衛士官にえらばれたのがうれしくて…
ああ…
父上のおことばどおり
わたしが…
わたしが この類まれな美しい妃殿下をお守りするのだと…
命にかえても未来のフランスの女王をお守りするのだと…
あっは…
こんな調子ではわたしも先が長くないぞ

《おれはいつか…
 おなえのために
 命をすてよう
 おまえが
 今日
 このおれのために
 命をかけてくれたように…
 いつか
 おまえのために
 アンドレは
 この命をかけるぞ…》
(はっ
 飲むな!!)
飲むな
オスカル!!
飲むな
飲むな

うわっ!

飲むな~っ!!



(……よかった……
なんという思いあがり
 なんという自分勝手な…
 おれは…
 おれは…
 おれは…
 こんな男だったのか なんの権利があって
 おまえの命を…
 おまえの人生を…
 なんという自分勝手な…!!)

アンドレ…?

あ…悪かった
近よるな
ガラスでケガをするぞ
すぐ床をふくから…
なんでもないんだ

アンドレ!!
手が……

近よるなっ!!
す…すぐかわりのワインをもってきてやる…
(あ…あ!!
 オスカル!!
 生きている…
 生きている…!
 その姿こそが美しいのだと今くらい思ったことはない
 生きた
 血のかよった
 心臓の脈動が聞こえる…
 バラ色の指
 黄金の髪
 オリンポスの太陽の
 きらめきのぼる
 守ってやる
 あ…あっ!
 守ってやる
 きっときっと
 この命の
 つきるまで!)

(アンドレ…
 アンドレま…さか…
 まさか…!?)

オスカル…?

は…
母上…

オスカル!?

わたしは父上の人形ではありません!
男でもなく…
女でもなく…
ああ
そのように
長い長い年月としつきを生きてまいりました
いやおうなしにさだめられた武官としての道を
そして…
今度は結婚…!!
あとつぎを生め…!!
女にもどれとおおせです!!
父上はお忘れでございます
わたくしにも心があるということを
生きてほとばしる人間の血があるということを!!
父上にとってわたくしとはいったいなんだったのでございます!?
教えてください母上!!
母上…!!

オスカル……
親というものはそれほどにも愚かなものなのです…ね
愛すればこそ……
ときには悲しいほど愚かにもなってしまう…
知っているでしょう
このごろの世の中の不穏な空気を
あちこちでしきりにおこる暴動や反乱のことを…
このままあなたを軍隊においては…
あなたのことだからきっと
……きっと軍をひきいて嵐の中にとびこんでいくにちがいない…
怯むこともなく
退くこともなく
まっすぐに
戦いの矢弾の中へむかっていくにちがいない…
せめて嵐のまえにいとしいわが子を安全な巣の中へ逃したい…
ただの女性として平和な家庭をもってほしい…
と…
そのようにいつまでも
わが子の身を心配しないではいられない
わたしたちを愚かだと…
わらいますか…

父上が…!?
父上がそのようなおつもりで…
結婚の話などを…
あ…

オスカル…
おとうさまは後悔しておいでです

知らなかった…
知らなかった…

どうかしてるぞオスカル
あんな馬車でパリへのりこむなどとは

あ……
フェ…ル…
……?
フェルゼン………!

これからスウェーデン近衛隊をひきいてしばらく故郷くにへ帰るところだ
グスタフ陛下の命令でロシアと闘わねばならない

ア……
アンドレは……?
アンドレ……!?
アンドレが!!
まだあの中にいるんだ

しっ
しずかに!
こんなところで命をおとしたいか

はなせっ
アンドレが
わ……
わたしの
アンドレ…!!

わたしの……
アンドレ!?

あ…

よし!
そこで待ってろ
アンドレをすくいだしたらすぐ辻馬車をひろえ
いいな!?

わたくしに…?
お話とは
いったい……

ジェロ―デル……

いつぞやのことばどおり……
ほんとうにわたしを
愛してくれているか…?

偽りなくあなただけを愛しております

ちかって……
まことの愛か……?

ちかって……!

ではジェロ―デル少佐……
愛はいとしい人の不幸せをのぞまないものだが……
もちろん……

もちろん

ジェロ―デル少佐……
ここにひとりの男性がいる……
彼はおそらく……
わたしがほかの男性のもとに嫁いだら
生きてはいけないだろうほどに
わたしを愛してくれていて……
もし彼が生きていくことができなくなるなら……
彼が不幸せになるなら……
わたしもまたこの世でもっとも不幸せな人間になってしまう……

アンドレ……グランディエですか……?
彼のために一生だれとも結婚はしない……と?



愛して……いるのですか……

……分からない……
そのような対象として考えたことはなかった
ただ兄弟のように……
いや……
たぶんきっと兄弟以上に……
よろこびも苦しみも……
青春のすべても分けあって生きてきた……
そのことに気づきさえもしなかったほど
近く近く魂をよせあって…

彼が不幸になればあなたもまた不幸になる……
それだけで十分です……
納得しましょう
わたしもまた……
あなたが不幸になるなら
この世でもっとも不幸な人間になってしまうから…です

ジェロ―デル……

うけとってください
わたしの……
ただひとつの愛の証です……
身を……
ひきましょう……
美しい方……
オリンポスの神殿に
神々とともにこそ
たたせたい……

身をひくことがただひとつの愛の証……
人間にはそんな愛もあったのだとは…
人間であればこそ……
そんな愛も……

オスカル!?

父上
おこたえください!
もしも……
もしもあたりまえの女性として育っていたら……
わたくしも姉君たちのように15歳になるやならずで嫁がせられたのでございますか!?

オスカル…!?

優雅にクラブサンをひき
アリアを歌い
夜ごと着かざって
社交界にでて
わらいさざめき

オスカル!!

おこたえください!!
絹 ビロードのつけぼくろ
ばらの香料
アラベスクの化粧箱
むせかえる粉おしろい

オスカル!!

おこたえくださいっ!!

そのとおりだ
もしもあたりまえの女性としてそだっていたら……

父上……
感謝いたします……
感謝いたします
このような人生をあたえてくださったことを……
女でありながらこれほどにも広い世界を……
人間として生きる道を……
ぬめぬめとした人間のおろかしさの中でもがき生きることを……

オスカル……

もう後悔はございません
わたしは……
わたしは……
軍神マルスの子として生きましょう
この身を
剣にささげ
砲弾にささげ
生涯を武官として……
軍神マルスの子として…!

オスカル……

第7章 美しき愛のちかい

ダグー大佐かな?

いや
あの足音はちがう
あれは… あれはアランだ

アンドレ おまえ……
ずいぶん耳がよくなったな

貴族議員席からさえ
喝采ひとつ
拍手ひとつ
マリー・アントワネットのためにはあがらなかった
フランスの全国民が攻撃し憎悪していたのは
国王でもなく王室そのものでもなく…
ただひとり
王后マリー・アントワネットなのだということを
凍りつくような沈黙の中で彼女は悟った

いまは無名でも……
いまに きっと
ミラボー伯なんかより有名になります
ロベスピエールは
まずしい民衆のことだけしか考えてないような男です…
正しい裁判しかひきうけないし
金のない者には弁護料をとるかわりに
じぶんの金を与えるような…
そんな男です…

アンドレ…
もう…
どこへも嫁がないぞ……
一生……

あ…
あの胸に…
わたしは…
わたしはいままで平気で…
平気で顔をうずめてきたのか……
あの胸に…

お…まえも…か…
おまえもか アラン…!!
むくわれぬ愛にこれからじっと……
長いときの営みをたえるの…か…

…それが…
……
おまえの気持ちか…

……
……

ばかめ…
が…

…はい…

身分のちがいをこえるものがあると思うのか

はい…

貴族の結婚には国王陛下の許可がいる

知っています
知っています…
結婚などのぞんではおりません
ただ…
ただ…わたくしの命など
十あってもたりはいたすまいが
なにとぞ…
なにとぞ
オスカルの命とひきかえにわたくしを…

アンドレ…
わたしは無力だ……
部下を守ってやることさえできなかった
アントワネットさまのおなさけで処分をまぬがれ
おまえの力で父上の刃をのがれ



…愛して
い…る…



わたしは無力だ…!
見ただろう
ひとりではなにもできない
わたしの存在など巨大な歴史の歯車のまえには無にもひとしい
だれかにすがりたい
ささえられたいと…
そんな心のあまえをいつも自分にゆるしている人間だ
それでも愛しているか!?
愛してくれているか!?



生涯かけてわたしひとりか!?



わたしだけを一生涯
愛しぬくとちかうか!?



ちかうか!?



アンドレ…!!

千のちかいがいるか
万のちかいがほしいか
おれのことばはただひとつだ
あ…あ
絶えいるばかりに胸ふるわせ
はてしないときを
たなごころにほのぼのと息づいてきたもの
ときに燃え
ときにまなことじ
命かけた
ただひとつのことばを
もう一度いえというのか
愛している…
生まれてきて
…よかった……

見はてぬ夢よ
永遠に凍りつき
セピア色の化石ともなれ

わたしの知っている唇は
熱っぽくて
弾力があって
すうように
しっとりと
わたしの唇を
おしつつみ
しのびこみ
わたしの知っているくちづけは…

生まれてきてよかった…!!

オスカルはあれからちゃんと連隊本部へ顔をだしているか?

兵士たちはオスカルのいうことでなければ聞きません

おまえが
貴族でさえあったら…

だんなさま わたくしは…

ああ もういい
いってみてもはじまらん
忘れるな オスカルは…
おまえなしには生きられん
おまえはあれの影になれ
光あるかぎり
存在をかたちづくる影となって
無言のまま添いつづけるがいい

わたくしは…
影です
これからもずっと……

…たのんだぞ

はい

きた…か
……
きたか
ついに…!?

お酒…
おやめになったのでございますか…?

ふっふ…
この重苦しい不安な世に…
こうべをまっすぐにあげ
臆せずまえをだけ
見つめている若者たちがいる…
凛として大地ふみしめ……
酒に逃げようなどつゆほども考えず
ねえ
ばあや
はずかしくならないほうがどうかしている

おかわいそうなオスカルさま…
ふつうのお嬢さまとして
お育てしていれば
こんなお苦しみにもならず…
それというのもお生まれになったとき
あんまり泣き声がお元気がよすぎたから
ああ…
くわしいことは
”ベルサイユのばら”
第1章をお読みくださいまし

第8章 みずからのえらんだ道を

知っているかい
ばあや
このごろ
平民のあいだでは
ムッシュウとかマダムとか呼ばれるかわりに
市民シトワイヤンだの女市民シトワイエンヌだのと呼ばれるほうが名誉だということになってるそうだ
シトワイヤンにシトワイエンヌか……
悪くないな
ふふっ…

おまえにモーツァルトはちょっと役不足だ
おまえの手にはもっとダイナミックな曲がふさわしい

ふっふ……
なかなか耳がするどい

なにか……
用でも?

今夜…
ひと晩を
おまえ…と…
おまえと……
いっしょに…
アンドレ・グランディエの妻…に…

すべてを…
くれる…と…
お…おれのものに…
なってくれるというの…か…?
こんなおれの…
おれには
おまえを幸せにできるだけの
地位も身分も財産も
…なにもない
ほんとうになにもない
まして
タイタンの力も
サテュロスのひづめも
男としておまえを守ってやるだけの武力も…!!

アンドレ……
血にはやり武力にたけることだけが
男らしさではない
だれかがいっていた
心やさしくあたたかい男性こそが
真に男らしいたよるにたる男性なのだということに気づくとき……
たいていの女はもうすでに年老いてしまっている…
…と…
よかった……
すぐそばにいて
わたしをささえてくれる
やさしいまなざしに
気づくのが遅すぎなくて……

あ…あ
愛している
愛している
よろこびのときは
よろこびのままに
悲しみのときは
悲しみのままに
生きることをわかちあってきた
そしてこれからもわかちあうために
すべてをあたえあう
おぼえているか
あの春のたまゆらに
おまえがいた
あの夏の日のめくるめきのなかに
おまえがいた
いくたびかめぐった秋のたたずまいに
冬のそしりに
お…お!
さながらカストルとポルックスのように
おまえはいた
おまえはいた
夜をこめて
いま 神は
その御前に
おさななじみのふたりをむすびあわせたもう
むすばれるべく生まれてきた美しきふたりゆえに

愛して
いる…よ…

アンドレ
アンドレ…
わたしの夫……

兵士諸君!!
聞いてのとおりだ
ランベスク公ひきいるドイツ人騎兵が民衆に発砲した
わたしは以前諸君にこういったことがある
心は自由なのだ…と…
どんな人間でも人間であるかぎり
だれの奴隷にも所有物にもならない心の自由をもっている…と…
いま…
あのことばのあやまちをわたしは訂正しようと思う
”訂正”というのが適当でないなら”付け加える”といってもいい
自由であるべきは心のみにあらず!!
人間はその指先1本
髪の毛1本にいたるまで
すべて神のもとに平等であり自由であるべきなのだ
かつてアメリカがみずからの手でイギリスからの独立をかちとったように
いま
わがフランス人民は自由・平等・博愛を旗じるしに雄々しくもたちあがった
たったいまからわたしは女伯爵ラ・コンテスの称号と
わたしのあたえられた伯爵領のすべてをすてよう!
さあ!
えらびたまえ!
国王の貴族の道具として民衆に銃をむけるのか
自由な市民として民衆とともにこの輝かしい偉業に参加するか!

アンドレ
この戦闘が終わったら結婚式だ



さらば!
もろもろの古きくびきよ
二度ともどることのないわたしの部屋よ
父よ
母よ…!!
さらば
王太子殿下
内親王殿下
愛をこめつかえた
ロココの女王
うるわしき愛の女神よ
さらば
さら…ば…
フェルゼン伯…!

ああ
そうだ!
なぜ…!?
なぜわたしは女だ!?
あ…あ!!
こんなにも…
指揮さえつづけることができないほど……
どうして女だ!?

オスカ…ル
……
オ……
あ…
おまえの目……
そして…
鼻…

ア……

あ…あ
そうだ
唇…

なにか…
いってる…
……?
見えてないのか!?
見えてないのか!?
い…いつからだ!?
アンドレ!!
いつからだーっ!?
な…なぜいわなかった!?
なぜついてきた!?

ときはめぐり
めぐるとも
いのち謳うものすべて
なつかしきかの人に
終わりなきわが想いをはこべ
わが想いを……
はこ…べ…
あ…あ!
青い瞳
その姿は……
さながら天に吼ゆるペガサスの
心ふるわす
翼にもにて…
ブロンドの髪
ひるがえし
ひるがえし……

お…お!!
いっそこの胸をえぐりとってくれ!!
わたしを石にしてくれ!!
さもなくば……
くるわせて
く…れ…!!

バスティーユへ!!
アンドレ行くぞ!
用意はいいか



そ…う
だった…
ほんとうに…
逝ってしまったのか……
もう二度と…
二度とふたたび
そのほほえみも
その声も…
そんなことが……
あ…あ!!
うそだ…
そんなことが……!!
おねがいだ
答えてくれ!!
胸の鼓動をかさね
このわたしをあんなにも力強く抱きしめたのは
おまえではなかったか!?
わたしの体の中を
あんなにもくるおしく熱く駆け抜けて行ったのは
おまえではなかったか!?
よろこびをともにし
苦しみを分かちあい
近く近く魂をよせあい…
それなのに
逝ってしまうのか
わたしをひとりおいて!!
わたしの心臓の半分を
わたしの半分を
おお!!
もぎとり
ひきちぎり
それでも
なお生きよと
生きよと神はのたまうか!?
わたしは死んだ…
わたしは死んだ…
おまえの死とともに…

第9章 神にめされて

隊長
隊長~~ッ!!

アラン
腕が…!!

つ…づけ…て…
…!
射撃を……
中断する…な…
…つ…づ…
けて……
あ…あと一息で…
バ…スティーユは
落ち…る…
つ…づけて…!!

は…はいっ

アンドレ…
わたしのアンドレ…
苦しくはなかったか…?
あ…あ…
おまえは苦しくはなかったか…!?
おまえがたえた苦しみなら……
わたしもたえてみせよう
たえてみせるとも
長くはなかったか…?
死はやすらかにやってきたか…?
手をかしてくれ
アンドレ
アンドレ!!
わたしが臆病者にならぬよう…
おお!!
抱きしめてくれ!!

オスカルさま
オスカルさま
うごかないでくださいね
いま傷口をしばりますから

ロ…ザ…
……

しゃべらないでください!
ああ
体に力をいれないで!!
おねがいだから!!

ど…うか
わたしをアンドレとおなじ場所に…
わたしたちはね…
夫婦になったのだ…から…

あ…
アンドレ
アンドレ
聞いてちょうだい
お願いよ!!
オスカルさまを…
オスカル…さまを
つれていかないで
つれていかないで
お願い!!
お…ね
が…い…

泣かないで
ロザリー…
わたしはいま
こんなにもやすらかだ…
神の愛にむくいる術ももたないほど小さな存在ではあるけれど…
自己の真実のみにしたがい
一瞬たりとも悔いなく
あたえられた生をいきた
人間としてそれ以上のよろこびがあるだろうか
ああ
人間が長いあいだ
くりかえしてきた生の営みを
わ…たし…も…

た…隊長!
バスティーユの上に
し…白旗が…!!

ついに…
落ちたか…!
おお…果敢にして偉大なるフランス人民よ…
自由…平等…博愛…
この崇高なる理想の
永遠に人類の堅き礎たらんことを…
フ…ラン
ス……
ばんざ…い…!

お…おじぎをした……
なんという…
なんという大胆不敵な……!
こ…この女は……
生まれながらの
ほんものの……
女王なんだ…
王妃ばんざい!!
王妃ばんざい!
お…王妃ばんざい!

国王一家がうつされることになったテュイルリー宮は
ルイ14世以来150年のあいだ王室にみすてられ使われずにいた荒れほうだいの宮殿であった

かあさま……
ここはなんて汚いんでしょう
こんなところでこれからずっと暮らすの?

みんな
てきとうにやすむがいい
わしゃあこれで満足だ

男にならね…ば…
これからは国王陛下のかわりにわたしが男にならねば…
わたしは革命なんかみとめない
ぜったいに!!
君主として
国民を支配する権力をわたしは神からさずかったのだから…

歴史の歯車を逆に回転させようとするものはかならず滅びるのだという真理を
アントワネットはついに理解することができなかったのである!!

不幸になってみて
はじめて
人間は自分が何物であるか分かるものなのですね…
わたしはいままでただ無意味に踊り歌い……
人生とたわむれていただけのような気がします…

わたしが殺されたら
あなたがあとをついでください……
わたしは昔
このフランスに生涯最高の友をひとりもっていました
オスカル・フランソワ……
ふしぎなものです
彼女は革命に生き…
わたしはこうして最後の貴族
王党派として生きている……

フェルゼンが命を賭してかちとったその夜
ふたりははじめてむすばれた
瞳と瞳をあい交わし
若い魂をうちふるわせた
はじめての出会いの日から19年……
ふたりを裁く者はただ神のみ…!!

フェルゼン伯
お話はよく分かりました
しかし…
せっかくだがわたしには
この逃亡計画を実行することはできない

国王陛下!?

命の危険をおかしてまでわたしたちを見すてずにきてくださったのにすまないが…
わたしはフランス国民と国民議会に対しもうパリから逃げださないことを約束したのだ
国民との約束をやぶるわけにはいかない…
それが国王として最後のつとめだろうと思う……

国王陛下……

わたしは知っている…
亡命した貴族たちがわたしのことを決断力のない腰ぬけだとせめているのを
安全な場所から人を非難するのはたやすいことだ
いままでだれもわたしとおなじ立場にたたされた者はいなかった…
いまやわたしは世界中から見すてられてしまった…

もはやわたくしたちは
たすかろうとは思っていません…
危険からのがれるよりも
危険のなかにあってこそ
より美しく女王らしくありたいと願っています

陛下…
お…お…
陛下!

さあ
フェルゼン伯
夜が明けないうちに
パリをたたれよ
いまはわしらのために
ひとつの命でも一滴の血でも
うしなってほしくはないのだ

国王陛下
国王陛下

さあフェルゼン……
戸口までおおくりします

フェルゼン伯
ありがとう…!
最後まで……

フェルゼン…
ほんとうにありがとう
あなたがきてくれたおかげで
勇気をもつことができました
母マリア・テレジアの名をはずかしめぬ
りっぱな女王として死をまちます…

恋する女としてより…
王妃として…
女王として生きる道をおえらびになるのか…
あなたは…
なぜだ…
なぜだ…!?
愛しあうよう
さだめられていたのに…
19年間も心から愛しあってきたの…に…
なぜ…
こ…んな…

…それは絶望的な予感であった
もう二度とふたたび生きてはあい見ることはないであろう
なつかしい姿を
やさしい声を
もはや二度と観ることも
二度と聞くことも
この世では
ゆるされないであろうと…

ひ…人がきます
フェルゼン
はやく!
はやく!
いって!
いって!!
フェルゼン

アントワネットさま!!

ごきげんよう
おしあわせに……!!

アントワネットさま!!

アデュウ
アデュウ
永遠に……
さようなら!!
だれよりも
だれよりも
あなたを愛します!!

…それが…
王妃
マリー・アントワネットと
スウェーデン貴族ハンス・アクセル・フォン・フェルゼンとの
この世での最後の別れであった……

愛のない政略結婚ではあった
しかし妻とよび夫とよび
20数年間をともに生きた男性の深い愛情と誠実なやさしさは真実のものであった
はげしい恋愛感情ではなかったにせよ
わたしはあの人を愛していたのだと
これもまた愛であったのだと…
体にしみわたる長い夜をアントワネットは思いつづけていた…

わたしの国民たちよ!!
わたしは罪なくして死んでゆく
しかしわたしを殺そうとする者たちをわたしは許そう
わたしの血が祖国フランスの幸福の
礎とならんことを!!

神よ
力をおかしください
最後の瞬間まで
どんな屈辱にもたえられますように

1793年10月16日午後零時15分
…そうして人々はじきにこのひとりの哀しい女性の死を忘れ…
翌1794年までに革命広場のギロチンが
ロベスピエール
サン・ジュスト
らをふくむ
じつに2600人の血をすったのちに
フランスはひとりの英雄ナポレオン・ボナパルトの出現を待つことになるであろう…

マリー・アントワネットの死後
ひとり祖国に帰りついたフェルゼンは
その誓いどおり生涯妻をめとらず
アントワネットの面影だけをおって生きつづけるが…
愛する女性をその手から奪いとった民衆を憎悪するあまり
やがて心つめたい権力者となっていった
そして1810年
フェルゼンが自分の罪の日として
あんなにものろいつづけたヴァレンヌ逃亡のまさに6月20日
彼を憎むスウェーデンの民衆の手によって虐殺されることとなる
かくて運命は死をもって愛しあうふたりをむすびつけたのである……

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