『ゲーテ詩集』高橋健二 訳

 心やさしき人々に

詩人は沈黙することを好まない。
あまたの人々に自分を見せようとする。
賞讃と非難とは覚悟の前だ!
だれも散文でざんげするのは好まないが、
詩神の静かな森の中でわれわれはしげしげと
バラの花かげに隠れて、こっそり心を打明ける。

わたしが迷い、努め、
悩み、生きたことのくさぐさが、
ここでは花たばをなす花に過ぎない。
老いも若さも、
あやまちも徳も、
歌ともなれば、捨て難く見える。
〔1799〕

ヴェルテル時代
(フランクフルト、ヴェッツラー。1771─75年)

 すみれ

野に咲くすみれ、
うなだれて、草かげに。
やさしきすみれ。
うら若き羊飼の女、
心も空に足かろく、
歌を歌いつ
野を来れば。

「ああ」 と、切ない思いのすみれそう。
「ああ、ほんのしばしばでも、
野原で一番美しい花になれたなら、
やさしい人に摘みとられ
胸におしつけられたなら、
ああ、ああ
ほんのひと時でも」

ああ、さあれ、ああ、娘は来たれど、
すみれに心をとめずして
あわれ、すみれはふみにじられ、
倒れて息たえぬ。されど、すみれは喜ぶよう。
「こうして死んでも、私は
あの方の、あの方の
足もとで死ぬの」
 専門家と熱情家

ひとりの友だちを若い娘の所へ連れて行った。
たのしませてやろうと思ったのだ。
何の不足があろう、喜びは充分味わえるはずだ。
ういういしく若くて熱い命だもの。
娘は寝床に腰かけて
ほお杖をついていた。
男はお世辞をふりまきながら
娘の真向いにすわった。
彼は気取って鼻をとがらせ娘を見つめ、
と見、こう見、観察する。
ぼくときた日にゃ、たちまち参って
すっかりのぼせてしまったのに。

親愛なる紳士はお礼心に
ぼくを部屋のすみに連れて行き、
あの娘は余り細すぎる、
それにそばかすがある、と言う。
そこで娘にさようならしたが、
別れる時に、ぼくは空を仰いで嘆息した。
ああ神様、ああ神様、
どうかこの男をおあわれみ下さい、と。

それからぼくは彼を
情熱と精神の溢れた画廊へ連れて行った。
そこでも、ぼくはたちまちわけもなく感激し、
すっかり心をかきむしられた。
「おお画家よ! 画家よ! 君らの絵の上に
神の報いあれ」 とぼくは大声で叫んだ。
ならびなく美しい花嫁だけが、
君らに対し、ぼくらのため償いをしてくれるのだ。

ところがみたまえ、この紳士は歩きまわって
歯をせせりながら
わが神の御子みこたる天才たちを
カタローグの中に書きつけている。
ぼくの胸はたくさんの世界をはらんで、
一杯になりわくわくした。
ところが彼は、あれは短し、これは長しと、
何でもかでも慎重にはかっていた。

そこで、ぼくは片すみに引っ込んだが、
はらわたの燃える思いがした。
彼のまわりには大ぜい人が集まって、
くろうとだ、などと持ち上げていた。

ワイマルに入りて
(1775─86年)

 首にかけていたハート
  形の金メダルに

消え去りし喜びの思い出よ、
お前を私は今もなお首にかけている。
お前は心のきづなより長く私たちふたりをつなぐのか。
お前は愛の短かった日を長くしてくれるのか。

リリーよ、私はそなたからのがれる!
だが、やはりそなたのきづなにつながれて
見知らぬ国や遠い谷や森をさすらわねばならない。
ああ、リリーの心はそんなに早く
私の心から離れることはできなかった。

捕われた鳥が糸を切って
森へ入る時、
捕われの恥のしるしに
なおしばし糸きれを引きずって行く。
その鳥はもう、自由に生れた昔の鳥ではない、
だれかのものになったことあるのだ。
 省察

ああ、人は何を願うべきか。
じっとしていた方がよいか。
しっかり自分を守っていた方がよいか。
それとも活動する方がよいか。
ささやかながら自分の家を建てるべきか。
それともテントの下に住むべきか。
岩をたのみとすべきか。
かたい岩でさえゆらぐものを。

一つのことがだれにでもあてはまりはしない。
めいめい自分のすることに注意せよ。
めいめい自分のいるところに注意せよ。
立っている者は倒れないように注意せよ。
 魔王

あらしの夜半よわに馬をるはたれぞ?
いとし子とその父なり。
父は子を腕にかかえ
あたたかくしかとかばえり。

「わが子よ、何とておびえ、顔を隠すぞ?」 ──
「父上よ、かの魔王を見たまわずや?
かむりを頂き、すそながく引けるを」 ──
「わが子よ、そは霧のたなびけるなり」

「うましよ、来たれ、共に行かん!
たのしきたわむれ、共に遊ばん。
岸べには色とりどりの花咲き
わが母は黄金の衣もてり」 ──

「父上よ父上よ、聞きたまわずや?
魔王のささやきいざなうを」 ──
「心しずめよ、心しずかに、わが子よ、
枯葉に風のさわげるなり」 ──

「美しきわらべよ、共に行かん!
わが娘ら楽しくそなたをもてなさん。
わが娘ら夜の踊りを舞いめぐりて、
そなたを揺すり踊り歌い眠らせん」 ──

「父上よ父上よ、かしこの気味悪き所に
魔王の娘らを見たまわずや?」 ──
「わが子よわが子よ、さやかに見たり、
そは古き柳の灰色に見ゆるなり」 ──

「愛らしくも心ひくそなたの美しき姿よ。
進みて来ずば、力もて引き行かん」 ──
「父上よ父上よ、魔王はわれを捕えたり!
魔王はわれをさいなめり!」 ──

父はおぞけ立ち、馬をせかしぬ。
うめく子を腕にかかえ、
からくも屋敷に着きけるが、
腕の中のいとし子は死にてありき。

イタリア旅行後
(ワイマル。1788─1813年)

およそ自由の使徒というものは常に私の気に食わなかった。
結局みんな自分のわがままを求めているに過ぎない。
多くの人を解放するつもりなら、進んで多くの人に仕えよ。
そのかたさを知らんとほつするか。ならばず試みよ!
王たちも扇動者たちも等しく、善政をほつする、と人々はいう。
だが、誤りだ。彼らも我らと同じく人間だ。
民衆は、周知のように、自分のために欲することができない。
だが、我ら万人のため欲することを知る者は、それを示せ!
かの一なるもの永遠にして、多に分かたる、
しかも一にして、永遠にただ一つなり。
一の中に多を見出みいだし、多を一のごとく感ぜよ。
さらば、芸術の初めと終りとを会得えとくせん。
われわれを最もきびしくこきおろすのはだれか。
自分自身に見切りをつけたディレッタントだ。
かつて鳴りでしもの、時を経てまた鳴り出ずれば、
幸福も不幸も歌となる。

「西東詩編」からと、その後
(ハイデルベルク、ワイマル。1814─32年)

形づくれ! 芸術家よ! 語るな!
ただ一つの息吹だにも汝の詩たれかし。
みずから勇敢に戦った者にして初めて
英雄を心からほめたたえるだろう。
暑さ寒さに苦しんだものでなければ
人間の値打なんかわかりようがない。
歌ったり、語ったりする者がこんなに多ぜいいるのは
すこぶる私の気に食わんと知れ!
詩をこの世から追払っているのはだれだ?
詩人たちだ!
知恵を大げさに自慢し見せびらかすのをやめよ、
謙遜こそゆかしいものだ。
君は青年時代のあやまちを卒業するかしないうちに、
もうきっと老年時代のあやまちを犯すだろう。
われわれは結局何を目ざすべきか。
世の中を知り、それを軽蔑しないことだ。
 ズライカ
  (民もしもべも)

民も下べも征服者も
みな常に告白する。
地上の子の最高の幸福は
人格だけであると。

自分自身をなくしさえせねば、
どんな生活を送るもよい。
すべてを失ってもよい、
自分のあるところのものでいつもあれば。
私が愚かなことを言うと、彼らは私の言いぶんを認める。
私の言うことが正しいと、私を非難しようとする。
ああ、見上げるばかりの糸杉よ、
わたしの方にかがんでおくれ。
胸の秘密をお前に打明けて
私は永久に黙っていたい。
つつましき願いよ、友のことばよ、
この小さき本の中に生き続けよ!

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