或る時パンアテナイ大祭にゼノンとパルメニデスがやって来た。 ところで、パルメニデスの方は、もう、余程の年輩で、白髪がひどかったが、しかし容姿は立派で上品で、およそ六十五歳前後だった。ゼノンの方はその時四十歳近くで、丈が高く、見るからに優雅で、そして彼はかつてはパルメニデスの稚児さんだったということだった。彼らはケラメイコスに城壁の外で住んでいたピュトドロスのもとに宿泊していた。ちょうどそこへソクラテスと、それからまた彼と一緒に誰か他の者が大勢赴いたのだが、それはゼノンの書物を聞こうと思ってのことだった──というのはその時初めてそれはあの人々によってもたらされたから──しかしその時ソクラテスは非常に若かった。ところで、彼らのためにゼノンが自分で読んで聞かせたのだが、パルメニデスはたまたま外出していた。そして論証が読まれていって、なお残りはごく僅かだった──ピュトドロスが言ったのですが──彼自身が、また彼と一緒にパルメニデスと、後に三十人党の一人となったアリストテレスとが外からそこへ入っていった時には。そして彼らはその書物の僅かな部分をなお聞いた。けれども少なくとも彼自身はその時初めてではなくて、また以前にもゼノンから聞いたことがあった。
ところでソクラテスは聞き終えると、第一論証の第一仮定を、も一度読んでいただきたいと頼んだ、そしてそれが読まれると、彼は言った。「それはどういうことですか、ゼノン、もしあるものどもが多であるとすれば、それらは同様なものであると共に不同様なものであらねばならぬということになるが、しかしこのことは実に不可能である。何故なら不同様なものどもが同様であることも、また同様なものどもが不同様であることもできないからである、ということは。あなたの言っていられるのは、こういうことではありませんか」
「そういうことだ」とゼノンは言った。
「すると、もし不同様なものどもが同様であることも、同様なものどもが不同様であることも不可能であるなら、実にまたあるものどもは多であることも不可能である。何故なら、もし多であるとすると、それらはその不可能なことどもを受け入れることになるだろうから、というのですか。これが、あなたの論証の言おうと望んでいることなのですか。つまり、ほかでもない、普通に言われている凡てのことに対して飽くまで『多ではない』ということを言い張るということが。そしてあなたにとってちょうどこのことの論拠であるのが、その論証のそれぞれのものだと思われるのですか。 したがってまたあなたが書かれた論証と同じ数だけ、『多ではない』ということの論拠を提供していると考えられるのですか。 こうあなたは言われるのですか、それとも私の理解するところが正しくはありませんか」
「いや、そんなことはないよ、うまく理解している、その書物の全体が言おうとすることをね」とゼノンは言った。
「わかりました」とソクラテスは言った、「ねえ、パルメニデス、このゼノンが、あなたへの愛情によってもさることながら、特にこの書物によってもあなたの親身の者であるということが。というのはゼノンはあなたと同じことを或る仕方で書いていられるのですが、しかしそれをひねって、何か別のことを言っているのであるかのように、われわれを欺こうと試みていられるのですから。あなたの方はその詩において『全体は一である』と主張し、そしてそのことの論拠を立派にうまく挙げていられますが、この人は今度は『多ではあらぬ』と主張し、そして自分でもまた非常に多くの、そして非常に大きな論拠を提供されるのですからね。ところで、一方は『一だ』と主張し、しかし他方は『多ではない』と主張し、そしてそういう仕方でほとんど同一のことを言っていられるのだけれど、めいめいが同一のことは何も言わなかったと思われるようなふうに言っていられることはですね──こういうことから、つまりあなた方によって言われたことはですね、われわれ他の者どもには、頭上高くで言われたことのように見えてくるのですよ」
「そうだよ、ソクラテス」とゼノンは言った、「しかし君はとにかくこの書物の真相をくまなく感づいてはいないね。もっとも、君は、まるでラケダイモンの猟犬のように、言われたことどもの後をうまくつけ、そしてその足跡を追っていはするがね。けれど、第一に君の見落しているのは、これだ。つまり、この書物はそれほど勿体ぶったものじゃ、 全然ないんだよ、君の言っているそのことをもくろみ、そして人間どもの目をくらますことを、何か偉いことでもなし遂げているものであるかのように考えて、書かれたんだなんて。いや、君の言ったのは、付随的なことどもの一つなんだ。真実はと言うと、それはパルメニデスの論の一種の援助であって、もし一であるならば、多くの滑稽な、しかも自分に矛盾することをその論は受け入れる結果になると言って、彼の論を冷かそうと企てる連中を相手にしたものなのだ。だからして、この書物は多を主張する連中に対して反駁を加え、そして同じだけの、いや、もっと多くのものをお返ししてやるのだ──もし多であるとすると、彼らのその仮定は、一であるとする仮定に比べ、ひとが充分に調べてみると、なおもっと滑稽なことを受け入れる結果になるということを、明らかにしようと欲しながら、ね。だからこのような競争心により、若いころの私によって書かれたものなのだ、そしてそれは書かれた後で誰かに盗まれたために、それを公けにして世に問うべきか否か熟慮してみることさえできなかったのだ。そんなわけで次の点で、ソクラテス、君には見落しがあるのだよ。つまり、それが書かれたのは、若者の競争心によってではなくて、年寄りの名誉心によってであると君が思っている点でね。もっとも、このことは私の言ったことだが、 君の推測は拙くはなかったんだけれど、ね」
「いや、あなたのおっしゃることを受け入れます」とソクラテスは言った、「そしてあなたの言われる通りだと考えます。しかし次のことを私に言って下さい。何か同様のエイドスというようなものがそれ自身としてそれ自身だけであり、そして他方でこのようなものに反対な何か別のもの、すなわちまさに不同様であるものがある。そして二つであるこれらのものに私もあなたも、それからわれわれが実に多くのものと呼んでいる他のものどもも関与するとは考えませんか。そして同様に関与するものどもは、どの仕方でかそれに関与するその仕方に応じ、またどれだけかそれに関与するその程度に応じて同様なものになるが、しかし不同様に関与するものどもは不同様なものに、また両者に関与するものどもは両方のものになるのだと考えませんか。しかしまた凡てのものも、それらが反対であるその両方に関与し、そして両方を分有することによってそれらが互いに同様なものであり、 不同様なものであるとしても、何の不思議がありましょうか。というのは、もし誰かが同様なものどもがそれら自身として不同様になるとか、あるいは不同様なものどもが同様になるとかいうことを明らかにしてくれるとしたら、思うに、それは奇怪なことでしょうが、しかしこれら両方を分有するものどもがその両方の限定を蒙るということを明らかにしてくれても、ゼノンよ、それは少なくとも私には何も奇妙なことだとは思われませんよ、また凡てのものどもが、一を分有することによって一という限定を蒙り、またそれらのものが同じままで他方多さを分有することによって多という限定を蒙るということを誰かが明らかにしてくれても、そうなんですよ。しかしもし、であるところのもの──これがそれ自身として多であり、また他方実に多がね、一であるということを示してくれたら、そのときはもうそれを驚くことでしょう。またその他のものどもの凡てについても、同様です。もしゲノスやエイドスがそれ自身としてそれ自身のうちにそれらの反対な限定を受け入れるということを明らかにするとしたら、それは驚くに価することです。しかしもし誰かがこの私は一でありながら、また多であるということを示そうとも、何の不思議がありましょうか。彼は多であることを明らかにしようとする時には、私の右側と左側とはそれぞれ別であり、また私の前側と後側とはそれぞれ別であり、また上の方と下の方も同様だと言うんですから──というのは、思うに、私は多さを分有するからなのです──しかし一であることを示そうと思う時には、われわれは七人であるけれど、私はまた一をも分有することによって一人の人間であるということを言うでしょう。したがってその人はその両方とも真実なこととして明らかにしていることになります。だから、もし誰かがこのようなものども、つまり石や材木やそのようなものどもが、同じままで多であり、また一であるということを明らかにしようと企てるなら、彼はあるものが多であり一であることを示すのであって、一が多であることも、また多が一であることをも示すのではない、また何も不思議なことを言うのでもない、むしろ凡ての人々が承認できるようなことを言うのだとわれわれは主張するでしょう。しかしもし誰かが先ず第一に今さき私のあげたものどものエイドスを、例えば同様、不同様、多さ、一、止、動、凡てこのようなものどもをそれ自身としてそれ自身だけで別に離して取りわけて、次にそれらのものがそれら自身の間で混合され、また分離されることができることを明らかにするなら、この私は、おお、ゼノンよ、不思議なほど感心することでしょうよ。そしてあのことは、あなたによって全く男らしくなし遂げられたとは考えます。けれども、もし誰かがこうでしたら、つまりその同じ困難がエイドスそのもののうちにあらゆる仕方で組みこまれているということを、見られるものどもにおいてあなた方が論じられたように、思惟によって捕えられるものどもにおいても論じながら、さらに示すことができるのでしたら、はるかにいっそう、私が言ったように、感心することでしょうよ」
ところで、これはピュトドロスが言ったことですが、以上のことをソクラテスが言っている間、彼自身は、パルメニデスとゼノンとがソクラテスのそれぞれの言葉に気を悪くするだろうと思ったのに、しかし彼ら二人はソクラテスに全く注意を払い、しばしば互いに顔を見合って、あたかも彼に感心するように、にっこり笑った。だからソクラテスが止めると、実際パルメニデスはそのことを口にして、こう、言った。「ソクラテスよ、君は、言論に対しては熱心で、そのためにほんとに感心に価するよ。 そして私に言ってくれ。 自分で、君は、君が言うように、分けたのか、一方にはいくつかのエイドスそのものを別に、また他方ではそれらを分有するものどもを別に。そして君には同様そのものが、われわれの持っている同様とは別に、何かであると思われるのか、また一も多も、それから今さき君がゼノンから聞いた凡てのものも」
「そうです」とソクラテスは言った。
「実際またこのようなものども、例えば正や美や、さらにこのようなものども凡てのエイドスそのものというものが、それ自身だけであると思われるのか」とパルメニデスは言った。
「はい」と彼は言った。
「しかしどうだ、人間のエイドスが、われわれやわれわれのようなものであるその他の凡てのものとは別に、つまり人間のエイドスそのものというものがあるのか、あるいは火の、あるいはまた水の」
「それらのものについては」と彼は言った、「パルメニデスよ、実に幾度も困難に陥ったことがあるのですよ、あのものどもについてのように言わなければならないか、それとも違ったふうに言わなければならないか、と」
「はたして、ソクラテス、これらのものども──実際、滑稽なものであるとさえ思われるだろうようなものども、例えば毛髪や泥や塵や、あるいはその他の何か非常に賤しくてくだらぬものについても、君は困難を感じているのか、これらのものどもにまでもそれぞれのエイドスが別に、何かわれわれの手にするようなものより他のものとして、他方で、あると主張しなければならないか、それともないと主張しなければならないか、と」
「いや」とソクラテスは言った、「それは、決して困ってはいません、むしろそれらのものどもなら、ただわれわれが見るところのちょうどそのもので事実あるのだと思います。それらのものどものエイドスが何かあると思うのは、あまりに奇妙ではないでしょうか。けれどもこれまでにも、凡てのものどもについて何か同一のことがあるのではないかと、私の心が動揺した時もありました。その後、そこのところに立つと、いつも私は逃げ去ります、饒舌の、いわば深淵にいつか落ち込んで身を亡ぼすことになりはしないかと、恐れまして、ね。しかしそれはともかく、あそこへ、つまり今さきエイドスを持つとわれわれの言ったものどもへ赴いて、それらのものどもについて研究に努めながら、時を過ごしているのです」
「それは、まだ君が若いからだよ、ソクラテス」とパルメニデスは言った、「そして君を哲学が、私の意見では、将来それが捕えるだろうようには、まだ捕えていないからだよ。その時になれば、それらのものどもをも君は何一つ軽蔑しないだろう。しかし今はまだ歳のせいで人間どもの意見を気にしているのだ。
しかしそれはともかく、次のことを言ってくれ給え。君の主張するところでは、君には、いくつかエイドスがあって、この世の他のものどもはそれらに関与することによってエイドスの呼び名を持つことになる、例えば同様に関与することによって同様なものどもに、大きさに関与することによって大きなものどもに、また美や正義に関与することによって正しいものどもや美しいものどもになると思われるのか」
「ええ、全くそうです」とソクラテスは言った。
「すると、関与するもののそれぞれが関与するのは、エイドスの全体にか、それともそれの部分にかではないのか。あるいはこれら二つ以外に、何か他の関与がありうるだろうか」
「いや、どうしてありえましょう」と彼は言った。
「すると、君にはエイドスの全体が多くのものどものそれぞれのうちに、一つでありながら、あると思われるのか、それともどういうふうに?」
「いったい、何がそれを妨げましょう、パルメニデス」とソクラテスは言った。
「それなら、一つで同じものでありながら、多くの別々にあるものどものうちに同時に全体としてあり、こうして自分が自分から別にあることになるだろう」
「いや、そんなことはないでしょう」と彼は言った、「もし例えば昼が一つで同じものでありながら、同時に多くのところにあって、そしてそれでいながら、それでもやはり自分が自分から別にあることはないように、もしそういうようにエイドスのそれぞれも一つで同じものでありながら、同時に凡てのもののうちにあるとしますれば、ね」
「これは面白いよ、ソクラテス」と彼は言った、「君が一つで同じものを同時に多くのところにあるとするやり方は。それは例えば、帆で以て多くの人間どもを覆いかぶせて、一つのものが多くの者の上に全体としてあると君が主張する場合のようなことだね。それともそのようなことを言っているのだとは考えないかね」
「多分、そうでしょうね」と彼は言った。
「すると、はたして帆がそれぞれの人間の上にあるのは、全体としてであろうか、それともそのそれぞれ他の部分が他の人間の上にあるのだろうか」
「部分です」
「それなら」と彼は言った、「ソクラテス、エイドスそのものは分割できるものであるということになる、そしてそれらを分有するものどもは部分を分有するということになるだろう、そしてもはやそれぞれのうちにあるのは全体ではなくて、それぞれのエイドスの部分であるということになるだろう」
「そういうふうに見れば、そのようです」
「すると、はたして、ソクラテス、君は一つのエイドスが本当に分割されるとわれわれに対して主張する気なのだろうか。そしてそう主張しても、なおエイドスは一つであるだろうか」
「いや、決して」と彼は言った。
「そうだろうよ、ひとつ、見てみるがよい」と彼は言った、「もし大きさそのものを分割して、多くの大きなものどものそれぞれが大きさそのものの、それより小さな大きさの部分によって大きなものになろうものなら、それは不合理なことと見えはしないだろうか」
「ええ、全くです」と彼は言った。
「しかしどうだ。等の何か小さな部分をそれぞれのものは受け取って持ち、そしてその持つものは等そのものよ
り小さくあるその部分によって何かに等しくなるのだろうか」
「それは不可能です」
「しかし小の部分をわれわれの誰かが持ち、そしてちょうどこの部分よりも小は大きくあるのだろうか、このものは小そのものの部分なのだから。そして実にそういう仕方で小そのものがより大きなものであるだろう。また取り去られたものが何かに付け加えられる場合、その何かは小さなものであるだろう、前よりは大きなものではなくて」
「そんなことはありえません」と彼は言った。
「すると、ソクラテス」と彼は言った、「どんな仕方で、君にとっては他のものどもはエイドスに関与することになるのだろうかね。それの部分の方にも全体の方にも関与することができないのだとすれば」
「ゼウスにかけて」と彼は言った、「たやすいことだとは決して思われませんよ、そのようなことをはっきり規定するのは」
「すると、いったい、どうだ。次のことに対しては、君はどうだろうね」
「それは、どのようなことですか」
「私は思うが、それぞれのエイドスは一つであると君が思うにいたったのは、次のようなことからだろう。つまり、多くのものどもがいくつか君に大きくあると思われる時に、おそらくその凡てのものを見渡す君にとって何か一つの同じイデアがあると思われ、そこから大は一つであると考えるにいたったのだろう」
「あなたのおっしゃるのは、本当です」と彼は言った。
「しかしそのものとその他の大きなものどもは、どうだ、もし同じように魂を以てそれら凡てのものを見渡すなら、またも何か一つの大が現われてきはしないだろうか──それによって凡てのものが大きなものと見えてくるような」
「そのようです」
「したがっての他の第二のエイドスが出現することになるだろう、大きさそのものとそれを分有するものどもの上方に生じたものとして。そしてさらにそれら凡てのものの上には、それによってそれら凡てのものが大きなものであるだろうところの他のエイドスが。そして実際、もはやェイドスのそれぞれは、お気の毒だが、一つではなくて、その多さが無限であるだろう」
「しかし、パルメニデス」とソクラテスは言った、「さきのエイドスのそれぞれは思考であって、魂より他のところは、それがそのうちに生じてくるのにふさわしくないところではないかと思います。というのも、思考物だとすれば、それぞれは一つであることになって、そして今さき言われたことをもはや蒙らないことになるでしょう」
「すると、どうだ」と彼は言った、「それぞれのエイドスは思考物の一つであるが、しかし何でもないものの思考物であるのか」
「いや、それは不可能です」と彼は言った。
「しかし、何ものかの、だね」
「はい」
「あるものの、かね。それともあらぬものの、かね」
「あるものの、です」
「その思考物は、それが凡てのものの上にあると思考する何か一つのものの、ではないか――その一つのものと
いうのは、何か一つのイデアのことであるが」
「はい」
「おや、すると、この、常に凡てのものの上にある同じものとして、一つのものであると思考されるものが、エ
イドスであるのではなかろうか」
「ええ、それは必然だと今度は見えます」
「すると、どうだ」とパルメニデスは言った、「君は他のものどもがエイドスを分有するのは、必然だと言うが、
その必然によってそれぞれ個々のものは思考物からできていて、そして凡てのものが思考すると君に思われるか、
それとも凡てのものは思考物でありながら、考えのないものであると思われるか、のいずれかではないか」
「しかしそれも理屈に合いません」と彼は言った、「いや、パルメニデスよ、少なくとも私に一番明らかなこと
は、こうなのです。それらのサイドスの方は、いわば典型のように、自然のうちにあり、そして他のものどもの方
はこれらに似ていて、同様な物である、そしてあの、他のものどもにとってのエイドスの分有というのは、ほかで
あやか
もありません、エイドスに削ることなのです」
「すると、もし」と彼は言った、「何かがエイドスと同様なものになっているなら、エイドスに似たものである限りで、あのエイドスがまたその肖った何かと同様なものであることがないなんて、ありうることかね。それとも同様なものが同様なものと同様なものであるということのないような何らかの手段があるかね」
「ありません」
「しかし同様なものは、同様なものと同じ一つのものを分有するのが、大いなる必然ではないのか」
「必然です」
「しかし同様なものどもが何かを分有することによって同様なものであるなら、その何かこそエイドスそのものではなかろうか」
「ええ、もう全くそうです」
「それなら、何ものかがエイドスと同様なものであることも、エイドスが他のものと同様なものであることもできないということになる。もしそうでないなら、エイドスの上方に常に他の第二のエイドスが出現してくるだろう、そしてその第二のエイドスが何ものかと同様なものであるなら、さらに第三のエイドスが出現してくるだろう、そしていつまでも常に新しいエイドスが生じてくるのを止めないだろう、もしエイドスが自分自身を分有するものと同様なものになるとすれば、ね」
「あなたのおっしゃるのは、全く本当です」
「したがって他のものどもがエイドスに関与するのは、同様によってではない、むしろ何か他の関与の仕方を探求しなければならない」
「そのようです」
「すると」と彼は言った、「ソクラテス、君はわかるね、もしひとがエイドスをそれ自身としてそれ自身だけでのとして分立するとすれば、その困難がどれほどのものであるかが」
「ええ、わかります」
「それなら、よく知るがよい」と彼は言った、「もし君があるものどものそれぞれのエイドスを常に何か一つのものとして分離して立てようとすれば、その困難がどれほどのものであるか、それには、まだいわば、ほとんど触れていないということを」
「それは、どうしてですか」と彼は言った。
「他にも多くの困難があるが」と彼は言った、「次のが、最も大きなものだ。もし或る人が、エイドスはこのようなものでなければならぬとわれわれの主張しているようなものであるなら、それは認識されるにふさわしいものでさえないと言うならば、そう言う人に対して、君の言うのは間違っているということを教示してやることのできる人はあるまい。ただしそう言って異論を唱える人が幸い多くのことを経験していて、素質もあり、また教示する人がいろいろと遠くから骨折って教えてくれるのに随いていく気があれば、話は別だがね。でなければ、エイドスは不可知であるのが必然だと主張する人は説得できないのだよ」
「それは、パルメニデス、いったい、どうしてですか」とソクラテスは言った。
「それは、ソクラテス」とパルメニデスは言った、「思うに、君にしても、その他誰にしても、それぞれの何か有性というものがそれ自身としてそれ自身だけであるとする人は、第一にそれらの何一つわれわれのうちにはあらぬということに同意することだろうから」
「もしあるとしたら、どうしてなおそれ自身としてそれ自身だけであることができるでしょうか」とソクラテスは言った。
「うん、これはうまい」と彼は言った、「ところで、イデアどものうち、相互の関係によって、それらがあるところのものである限りのものどもは、それら自身相互の関係によって有性をもつのであって、われわれのもとのものどもとの関係によってではない──これらのものが同様物という関係にあるにせよ、あるいはまたわれわれがそれらを分有することによってそれぞれの名で呼ばれることになるところのイデアどもと、われわれのもとのものどもとをどんな関係におくにせよ、そのような関係によってではない。そしてこの、それらイデアどもと同名であるわれわれのもとのものどものことであるが、それらはそれらで、それら相互の関係で有性を持つのであって、エイドスどもとの関係によってではない。すなわち、それらはそれら相互のであって、あのエイドスどもの、ではない。つまり、その方でもわれわれのもとのものどものような仕方で名付けられているかぎりのエイドスどもの、ではない」
「それは、どういうことですか」とソクラテスは言った。
「例えば」とパルメニデスは言った、「もしわれわれのうちの或る者が或る者の主人なり奴隷であるなら、その或る者はもちろん、まさに主人であるところの主人そのものの、ではなくて、かの或る者の奴隷であり、また或る者の主人もまさに奴隷であるところの奴隷そのものの、ではなくて、むしろ人間であって人間の主人であり奴隷である。また主宰そのものも、まさにあるところの隷属そのものであり、そして同様に隷属そのものは主宰そのものの隷属であるが、しかしわれわれにおけるものどもはかのものどもに対して、またかのものどももわれわれに対して力を持たず、むしろこれは私の言ったことだが、かのものどもはそれら自身が相互のもののであり、また相互の関係によってあるものであり、そして同様にわれわれのもとのものどもはそれら相互の関係によるものである。それとも私の言うことがわからないかね」
「ええ、よくわかりました」とソクラテスは言った。