村上龍『限りなく透明に近いブルー』

「あなたあの時枕から羽が出てるのを見てたわ、終わってからそれを引っ張り出して、羽って柔かいんだなって、あたしの耳の後ろや胸を撫でて床に捨てたのよ、憶えてる?」
 リリーはメスカリンを持って来た。何してたの一人で? と抱き寄せ、ベランダで雨を見ていたよ、と答えるとそういう話を始めた。
 僕の耳を軽く噛んでバッグからアルミ箔に包まれた青いカプセルを出しテーブルに置く。
 雷が鳴り雨が降り込んでくるのでベランダの戸を閉めるように僕に言う。
 ちょっと外を見ていたいんだ。小さい頃雨見なかった? 外で遊べなくてさ、窓からよく雨を見たよ、リリー、いいもんだよ。
「リュウ、あなた変な人よ、可哀想な人だわ、目を閉じても浮かんでくるいろんな事を見ようってしてるんじゃないの? うまく言えないけど本当に心からさ楽しんでたら、その最中に何かを捜したり考えたりしないはずよ、違う?
 あなた何かを見よう見ようってしてるのよ、まるで記録しておいて後でその研究する学者みたいにさあ。小さな子供みたいに。実際子供なんだわ、子供の時は何でも見ようってするでしょ? 赤ちゃんは知らない人の目をじっと見て泣き出したり笑ったりするけど、今他人の目なんかじっと見たりしてごらんなさいよ、あっという間に気が狂うわ。やって見なよ、通り歩いてる人の目じっと見てごらんなさいよ、すぐ気が変になるわよ、リュウ、ねえ、赤ちゃんみたいに物を見ちゃだめよ」
 リリーは髪を濡らしている。冷たいミルクと一緒にメスカリンを一カプセルずつ飲む。
「俺は別にそんなに考えたことないよ、結構楽しんでるんだけどな、外を見るのは楽しいよ」
 タオルでからだを拭いてやり、濡れた上衣をハンガーに吊るす。レコードかける? と聞くとリリーは静かな方がいいと首を振った。
「リリー、車でドライブしたことあるだろう。何時間かかけて海とか火山に行くんだ、朝まだ目が痛い時に出発して途中景色のいい所で水筒からお茶飲んだり、昼には草っ原で握り飯食べたりしてそういうありふれたドライブだけど。
 その走ってる車の中でね、いろいろ考えるだろう? きょう出発の時カメラのフィルターが見つからなかったけど、どこにしまったのかなとか、きのうのお昼テレビに出てたあの女優の名前なんていうんだったかなとかさ。靴の紐が切れそうだとか事故でもやったら恐いなとか、もう俺の身長も止まったなとかね、いろいろ考えるだろう? するとその考えが車から見る動いていく景色と重なっていくわけ。
 家とか畑がどんどん近くなって、また後ろに遠去かるだろう? それで風景と頭の中が混じり合うんだよ。道路の停留所でバスを待ってる人達やヨロヨロ歩いてくるモーニング着た酔っ払いとか、リヤカーにみかんをいっぱい積んだおばさんとかさあ、花畑や港や火力発電所がね、目に入ってすぐにまた見えなくなるから頭の中で前に思い浮かべていたことと混じっちゃうんだよ、わかるか? カメラのフィルターのことと花畑や発電所が一緒になるんだ。それで俺は自分の好きなようにその見る物と考えていたことをゆっくり頭の中で混ぜ合わせて、夢とか読んだ本とか記憶を捜して長いことかかって、何て言うか一つの写真、記念写真みたいな情景を作り上げるんだ。
 新しく目にとび込んでくる景色をどんどんその写真の中に加えていって、最後にはその写真の中の人間達がしゃべったり歌ったり動くようにするわけさ、動くようにね。すると必ずね、必ずものすごくでっかい宮殿みたいなものになるんだ、いろんな人間が集まっていろんな事をやってる宮殿みたいなものが頭の中ででき上がるんだよ。
 そしてその宮殿を完成させて中を見ると面白いんだぞ、まるでこの地球を雲の上から見てるようなものさ、何でもあるんだから世界中の全てのものがあるんだ。どんな人でもいるし話す言葉も違うし、宮殿の柱はいろんな様式で建てられていて、全ゆる国の料理が並んでる。
 映画のセットなんかよりはるかに巨大でもっと精密なものなんだ。いろんな人がいるよ、本当にいろんな人が。盲人や乞食や不具者や道化や小人、金モールで飾りたてた将軍や血塗れの兵士や女装した黒人やらプリマドンナや闘牛士とかボディビルの選手とか、砂漠で祈る遊牧民とかね、全部の人が会場にいて何かしてるんだ。それを俺は見るわけさ。
 いつも宮殿は海の辺にあってきれいなんだ、俺の宮殿なんだよ。
 自分で自分の遊園地を持ってて好きな時におとぎの国に行って、スイッチを入れて人形が動くのを見るようなものさ。
 そうやって楽しんでいるうちにね、車は目的地に着いてしまってさあ、荷物を運んだりテントを張ったり水着に着替えたり他の人が話しかけたりしてね、せっかく作った宮殿を守るのに苦労するんだ。他の人が、おい、ここの水はきれいだな、汚れてないね、なんて言うと台無しになるのリリーにもわかるだろう?
 ある時、火山に行った時ね、九州の有名な活火山に行った時ね、山頂まで行って噴き上げる火の粉や灰を見てたら急に宮殿を爆発させたくなったんだ。いや火山の硫黄の匂い嗅いだ時にはもうダイナマイトに繋いだ導火線には火がついてたよ。戦争さ、リリー、宮殿がやられるんだ。医者が駆け回り軍隊が道を指示するけどもうどうしようもないんだ、足元が吹っ飛ぶんだ、もう戦争は起こったんだから俺が起こしたんだから、あっという間に廃墟だよ。
 俺がかってに作った宮殿なんだから別にどうなったっていいからな、いつもこんな風にね、俺はやってきたのさ、ドライブの時ね、だから雨の日に外を見ておくと役に立つんだ。
 この前さあ、ジャクソン達と河口湖行った時ね、俺LSDやってたんだけど、その時また宮殿を作ろうとしたらさ、今度は宮殿じゃなくて都市になったんだ、都市さ。
 道路が何本も走って、公園や学校や教会や広場や無線塔や工場や港や駅や市場や動物園や役所や屠畜場がある都市さ。その都市に住んでいる一人一人の顔付きや血液型まで決めたよ。
 俺は思うんだ、俺の頭の中みたいな映画を誰か作らないかなあっていつも思うんだ。
 女が妻のある男を好きになって、その男が戦争に行って外国の子供を殺して、その子供の母親が嵐の中で知らずに男を助けて、女の子が生まれて、その女は大きくなってギャングの情婦になって、ギャングは優しかったけど地方検事にピストルで撃たれて、その地方検事の父親は戦争中ゲシュタポで、最後に女の子が並木道を歩いてブラームスの曲が流れるっていうような映画じゃなくてさ。
 大きな牛を切ってこれくらいのステーキを食うのと同じようにさ。いやわかりにくいかな、いいや小さいステーキでもやっぱり牛を食ったわけなんだからさ。俺の頭の中の宮殿や都市を細かく切ってさ、牛を切るみたいに、一つの映画にしたような映画を見たいよ、絶対作れると思うんだ。
 でっかい鏡みたいな映画になると思うな。見てる人が全部映し出されるような大きな鏡みたいな映画になると思うよ、俺その映画見たいな、そういうのがあればぜひ見たいよ」
「その映画の始まりのシーンを教えてあげようか? ヘリコプターがね、キリストの像を運んでくるのよ、どう? いいでしょ、
 あなたもう効いてきたのね、リュウ、ドライブしようよ、火山に行こうよ、また都市を作ってあたしに話して聞かせてよ、きっと雨が降ってるわね、その都市には。雷の鳴る都市をあたしも見たいわ、ねえ、行くわよ」
 運転は危険だと何度言ってもリリーは承知しない。キーを摑むと激しく降る雨の中へとびだして行った。

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