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マーラーとジャック・カロー 喜劇的の意味ーー諧謔・退嬰・哀愁

FB投稿より | 2017/08/06
過去の今日 2017年8月6日の思い出

マーラーはほんとにジャック・カローを知っていた!
マーラーの音世界の描く諧謔性や英雄の背中のようなピエロめいた哀愁について思うとき、どこかカローの世界と重なって感じられていたのだが、それは錯覚でなかった‥。

知っているのか?――その想い。マリス・ヤンソンスが2016年にニューイヤーを指揮した時に彷彿したものだ‥。
この年、ラトビア生まれのこの指揮者は、カリカチュアを感じさせた。踊り子の衣装、その ”すそ” の翻りで感じたのが、カローの「二人のザンニ」だったのだ。。。思い出した。その年は歌劇や喜歌劇とともに。。。

Jaque Carrot Two Zanni


ヨハン・シュトラウスを通してマーラーを感じさせられたのは、たしか2012年が最初だったが。。同時に、ベートーヴェン、シューベルト、チャイコフスキーなども。そうして産業革命も。
少なくとも、 “ヤンソンスがマーラーを常に意識していた” のはたしかのようだ。彼はマーラーを録音しているし、評判がよい。

こういうことを呟くとすぐに「詳しい人々の群れ」の何処かから修正が入るものだ。私のカルマであろう。この日もそうだった。
それでこれだけは申し述べた。
ヤンソンスは多角的な興味をそそる指揮者で、昨今ではヨハン・シュトラウス父子兄弟 と マーラーやチャイコフスキーなどいろいろな作曲家に*「通底するもの」を彷彿させながら、産業革命などについても、すごく考えさせる演奏をしていたし、その翌々年だったか、ふたたびニューイヤーコンサートにおいては、歌劇や喜歌劇のことを感じさせると同時に、「戦争と奇想」、やら、さらにはカリカチュアとか、そうしたものを考えさせるような演奏をしているのでびっくりした。
とくにマーラーを直かに彷彿させた年の演奏は印象に残っており、ヨハン・シュトラウスを通したマーラーではなくて、笑)彼の直接のマーラーを聞きたい、彼の指揮でマーラーを聞きたいなーと思いようになった。

*‥これはユダヤ性である

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この訴えは成功した‥。
が今思うと、1つ惜しいことがある。
この後、覚醒が進んで 想うのは、ジャック・カローは私と犬猿の仲に近い画家TKが前に転生した姿でもあることだった。
このツインソウルは、そのあとオノーレ・ドーミェにも転生しているので、さもありなんである。そうともなれば、この人間から是非ともマーラーの様子を聞き出さなければなるまい‥。
それだのに、今世 彼はカローが嫌いである。 絵画史上におけるカローの重要性について話そうとしても、とるに足らぬモノだと、いっかな受け付けない。彼とマーラーが知り合いだったか聞き正そうとしたところで、これでは彼がカロー自身であったことすら、まったく信じることはないだろう‥。

このカローの世界などは、もう殆どドーミエに移行している‥


にも拘わらず私にカローの存在と意義を教えてくれた、JVCにもよく関わっていた東南アジア専門の某新聞記者が、このツインソウルと私の共通の友人だということを、人前で威張って見せはするのである‥。

相変わらずの捻くれ者である。

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