地上の好きな天使 第一章(第1話)
(今はスピリチュアルも隆盛、ワンネス浸透の時代なので、書き換えるべき所もあるかなあと思ったのですが、これを書いていたバブル時代当時の気分を、あえてそのままにするのもひとつの考えかな、と思い そう致しましたm(__)m
尚、今書き直しを始めている第三章 魔界 の内容・状況も、このバブルの頃、同時進行していました そしてそちらは現在も続いています)
第一章
第1話 地上とお空の天使をつなぐつり糸の話、あるえかきさんの家
夜明け。眠りの精が、まだ目を覚まさぬ子ねこのカノンとフーガの耳もとで、こんなふしをそおっとささやきました。
カノンとフーガは なかよしこよし
おすましカノンに おとぼけフーガ
おもてで手まねき ねこじゃらし
気になるな
お空にぽっかり 雲のわたあめ
気になるな
かけっこ大好き ここまでおいで
おはなし大好き ねえ話してよ
* * *
お空の天使が、雲のうえであくびをしています。
「つまらないよう。地上へ降りたいよう。かみさま、ぼくに地上のおつかい、おくれよう!」
お空の天使はそう言うと、ふわふわの雲のざぶとんに、ちょこんとひとりこしかけて、いつものように光のつり糸をたらしては、地上のようすをうかがっています。
フンフン、だれかがよんでいる
フンフン、だれかがさがしてる
フンフン、だれかがおもいだす
みえない天使、パドのこと!
地上のおつかい、ありませんかぁ?」
そう、鼻歌をうたいながら……
* * *
そのころ、地上では、音楽の名まえをした子ねこの姉妹、カノンとフーガが、なかよくならんで出窓のむこうをながめていました。
青いお空をつきぬけて、まっしろいとんがりあたまの行列がにょきにょきならんでそそりたつ、ムラル山脈の、ちょうどおへそのあたりから、けさもむくむくわいてきた、できたてのわたあめそっくりの雲を、みあげています。
そう、ふしぎな光をにじませた、まるで天使のざぶとんみたいにふかふかのからだを、それは気持よさそうにすいすい泳がせながら、お空のまんなかめがけてやってくる、あのわたあめの雲を、ふたりの子ねこはおいしそうにながめながら、いつものようになかよくならんで、ひなたぼっこをしています。風船みたいに、からだじゅうの毛をいっぱいにふくらましてね。
そして、これまたいつものように、ふたりして口をあわせてこう言っています。
「つまらないよう。はやくお外へ行きたいよう。お散歩したいよう。カデシさん、カデシの娘さん、はやく窓を開けてよう!」
ね? お空のだれかさんとそっくりでしょう。
フンフン、なにかがとんでいる
フンフン、なにかがおどってる
フンフン、なにかがかくれてる
追いかけっこ好き、カノンとフーガ!
なんか動いてるもの、ないかなぁ?」
ふたりの子ねこも、そんな鼻歌をいつもうたっているのでした。
* * *
カノンとフーガのかい主、絵かきのカデシさんは、けさアトリエで徹夜して、まだ部屋へ下りてきません。カデシの娘さんも、音楽の宿題に追われて、けさがたやっと寝床へついたばかりです。
家じゅう、しんとしています。ただこの、おひさまの光でいっぱいの、南の白い出窓の部屋だけは、けさもかすかに、じつに気持のいい音楽が流れています。カノンとフーガのために、カデシさんが、明けがた、いつもと同じ用意をしておいてくれましたからね。
ナデシコ色のリボンをつけた、茶トラのカノンと、ヒマワリ色のリボンをつけた、三毛ねこフーガは、ふたりそろってお顔をあらい、ふたりそろって後足で耳のつけねをかいてから、こんどはおたがいの背中をなめ合って、きれいにしてあげました。カノンはとってもていねいに、やさしく、やさしく。フーガのほうは、ゴシゴシ、舌でカノンの背中をこすって、あら、もうおしまい。
それからふたりは窓の外、遠くの青い山脈に、生まれたばかりのそのときは、寝起きの坊やのおつむみたいな、おかしなツノをはやした雲が、いまはようやくまるみをおびて、ふわふわ泡だつホイップクリームほどになりながら、いつの間にやらお山の腕をはなれ、ふもとの町の上空に、ぽっかり浮かびあがったのを目にすると、なんだかちょっとうれしくなって、安心して、そろってホッとため息をひとつ、つきました。
さてそのあと、フーガはというと、なんだかきゅうに眠くなってきたみたい。おおきなあくびをひとつすると、とちゅうでちょん切れたみたいな、タヌキそっくりのシッポをくるくる回しながら、ちょうどお部屋のまん中で、腕をいっぱいにひろげている、大きなお椅子にぴょんと飛びうつりました。
どうぞどうぞ! お椅子は、くるりと回転して、ぷっぷかぷっぷかくぼみながら、フーガをおなかのまん中へむかえ入れました。
それはいつも、カデシさんのふっかりすわるお椅子でした。ちょうどからだが空いていたのです。フーガはちっともえんりょなく、どっかと腰をおろすなり、おや。もうクウクウいびきをかきはじめましたよ。
「あ~あ、あたしもいねむりしちゃおうかな。でも朝ごはん、まだなんだけどな。それにほら! 窓の外。なんだかまだ、もったいないの。なんかうごいてるもの、ないかなぁ…。」
カノンはしばらくガラスのむこうでちらちら、いそがしそうに何度もおじぎしあっている、ねこじゃらしのお帽子を、シッポをトントン、しながら見つめはじめました。
「あれ、さわりたいな~。お散歩、いきたいな! お鼻にくっつけて、クンクンしたいの。グルワ~ン。」
カノンはとうとうがまんできなくなって、隣のお部屋ですやすや寝息をたてている、カデシの娘さんのところへとんで行きました。森の子うさぎそっくりに、ふわふわっ、とかろやかに、扉のすきまを抜けていきました。おしりをちょいともちあげて、ながいシマのシッポの湯気を、ゆ~らゆらゆら たちのぼらせ、その先っぽうは、魔法使いのおばあさんのステッキみたいにくんにゃりと、右に左にまげながら。
「ねえ、カブリオル! 起きてよう。お散歩したいし、おなかはぺこぺこ。どうにかしてよう! ニャォワ~ン。」
カノンはいっしょけんめい、ベッドにからだをこすりつけて、カブリオルにせがみました。でもカブリオルはぴくりともしません。
グルル! こんどはのどをならしてベッドにあがりこむと、カブリオルの鼻をちょっぴり、かんでみました。それでも、カブリオルはびくともしません。
「ンワ~ン」
カノンはちょっとムッとしてから、ようやくあきらめてベッドを下りました。
さて、カノンが戻ってみると、お部屋にはあいかわらず、気持のいい音楽がながれています。今日はやさしくてのどかなヴァイオリン。かすかにふるえながら、空中にやんわりと、つややかな音のカーテンをかけていきます。
「グルルル」
カノンがのどをならしながら、出窓にふたたび腰をおろしますと、ちょうど窓辺のコブシの梢におしゃべりのホオジロが舞い降りてきました。
「チュッ、チュルルルル…、ピチュッ」
ホオジロは、しきりになにか早口でつぶやきながら、枝のあたまを跳ねわたると、コトコト音をたてながら、せわしげに軒へわたっていきました。
つぎに、カノンが庭のはずれのほうに目をやりますと、おや…? あれはなんでしょう?
あんずの木をよじのぼる一匹のアリが、いまにもずり落ちそうになったまま、どうやら眠りこけているようです。まるで催眠術にかかっているみたい。だってほら、ちょうどアリのあたまの上で枝先を巻きおりるあけびの蔓が、からからにかわいた枯葉の振り子を、チック、タック、かすかにふるわせながら振っていますもの。……
カノンは頭を低くして、じいっとそのようすをうかがっていましたが、そのうちもう間もなく、自分も、まぶたをとろとろ重くする、眠りの精のささやきにまけて、ほうら…。もうすっかり身をまかそうとしています。……なでしこ色のリボンをつけた、のどが、ごろごろ鳴っています。
* * *
天使のパドは、高いたかーい雲のうえ。
またひとつ、大あくびして、仕事のあいまのひと休み。今日も地上に光のつり糸をたらしています。
「なんかすること、ないかなあ? ぼくをよぶもの、ないかなあ。ぼくに気づく子、いないかなあ?」
そういって、パドはうんと首をのばすと、雲の下をのぞきこみました。
「アァ。ぼく、お空の天使なんか、いやだよう。何かのかたちにさせてよう。かみさま、ぼくに地上のおつかい、おくれよう!」
パドは、地上が大好き! だって、地上にいくと、いろんなかたちになれるんですもの。
あまずっぱい匂いをさせて、辺りいちめんに漂ったり、わあい、わあ~い。野辺いっぱいにわらい声をひびかせながら、透きとおったからだで、元気よくあちこち跳(は)ねまわります。そうかとおもえば、きゅうに息をひそめて、じっとそのあたりの風景になりすましていることだって、できるのです。それが、あんまりじょうずに、すっかりとけこんでいるものだから、パドが降りようと降りまいと、何にも変わりはなかったように、辺りをしんと静まりかえらせながら!
そうなのです。パドは目にみえない、なにやらそこいらじゅうにあるもの、になるのです。そこいらじゅうのものになって、生まれることができるのです。
まったくパドときたら、知らない間にだれかの目のうらにはいりこんで、そっとはたらきはじめたり、まばたきのすきに、あちこちでフッと宙返りするのが大好きでした。それはもちろん、地上でなにかが生まれたり、よみがえったりするためです。そしてじっさい、そういうことが、天使のほんとのお仕事のようにも、おもえました。
だけど近ごろはたいてい、そんなご用はありません。だあれも、そんなことしてほしいなんて、思っていないようなのですもの。それで、今は自分が降りて行くかわりに、こうしてつり糸一本で、地上とつながっているのです。いつもひとりぽっち、お空のきまった仕事をしています。ま、半分は遊びながらですけどもね。
そう。パドはひまつぶしの天使です。それに、いいんです。いまはまだ、どうせからだも、だれにもみえないんですから。
お天気のよい日の、天使のパドの一日は、お空へ自分をはこんでくれる、雲のざぶとんをひとつ、つくることからはじまります。
朝、ムラル山脈のおなかの どこかのへそに、クモの糸ほどに透きとおった、一本のふしぎな糸を、パドはポーンと投げ込みます。たねいととよばれるその糸は、へそのお池にたちのぼる、ドライアイスさながらの、冷たい、冷たいけむりのなかから、むくむく、むく。毛糸の手ぶくろそっくりな、芽を出して、ふくらんで、やがてパドのすわるのにちょうどよい、ざぶとんほどに大きくなります。
パドはつり糸のしっぽにつかまりながら、よっこらしょ。さっそく雲によじのぼると、さっき放ったたねいとののこりを、ぐるぐる巻にたぐりよせ、お空へもって行きました。こうしてお空のあちこちで、つり針のさきをくるくる回し、雲のあかちゃんをつくっておくのです。するとそれはひとりでに芽を出し、いろんな形の雲になって漂います。
パドは、つり糸で、お空にらくがきだってするのです。ぐる~んぐるん回しては、お山のてっぺんに雲のベレー帽もつくってあげます。お山のふところに、なんだかばかにあつぼったい、長いたまごをかたどりますと、やがて大きな口をあんぐりあけた、クジラのばけものそっくりの、灰色の雲ができあがります。ちょっとお行儀わるいけれど、びんぼうゆすりしながらたねいとを放つと、いまにもしびれそうな色をした、電気クラゲの坊やも生まれてきます。お山の脇腹にうっすらとひいた足のおびをたなびかせながら、気持よさそうに泳いでいきます。
サッサッサ、つり竿のかぎ針でひっかいた、それはそれは細いきずを、お空につけてならべていけば、たちまち箒ではいたようなすじ雲になり、やがてふとって木琴になり、もっとふとって散らばれば、牧場で遊ぶヒツジの群れにも変わります。
ときには、自分のわたあめの雲のあとを、いろんなかたちの雲の子分に、ついてこさせるときもあるのです。キリンやカメや、めがねや壷や、アラジンの魔法のランプだって、とってものっぽのソフトクリームだって、みんなへいへいって、ついてきますよ。
そんなふうに、ひまさえあれば、どこまでいってもつきあたらない空のがよう紙に、パドはいろんな雲のらくがきをします。まあ、あんまり調子にのりすぎると、お天気をわるくしてしまいますけどね。
とはいえ、天使はお空で、お仕事だって、いちおうちゃんとしています。
お天気の日のパドの当番は、朝、日ざしのつり糸で、みんなを起こしてあげることからはじまります。
雲のうえから、パドは日ざしのつり糸を、ぽーんと地上のあちこちに放ります。まずはムラル山脈のすそを流れるトネリコの小川に落としましょう。すると、どうでしょう?凍りついていた小川は、さらさら、ひたひた‥ラムネ色のおどりをはじめますよ。そして元気よく、あちこち跳ねあがりながら、トネリコの並木が手をふって見おくるなかを、クロンプロンの黒い森にむかって流れていきます。
いってらっしゃあい! パドも、手をふって見おくりました。
さて、こんどはつり糸のさきを、ムラル山脈のふもとの、それはそれはひろびろとした草原のまんなかに、ポツンとひとり、お空を見あげて立っている、パラボラアンテナの鼻先へ、パドはこっそりたらします。そして、コチョコチョ、コチョ‥、ってくすぐるのです。くしゃみをしない程度にね。するとパラボラアンテナは、
「ふあ~っ、あ~あ。」なんて、あくびしながら、ひらめみたいにのっぺらぼうの顔をゆっくりともたげ、一日中かかって首をひとまわりさせます。ずいぶんのんびりした一日ですこと! でもなにしろ絶対に眠ってはいけないお仕事ですもの。すこしは、たすけてあげなくっちゃね。
さて、やがてパドのざぶとんの雲は、ムラルのとんがり山脈にわかれをつげ、いよいよふもとの町の上空を漂いはじめます。このころになると、すきまだらけの雲のざぶとんも、ようやくふかふかにととのいはじめ、パドはほっとひと安心です。
町の仕事は、いたってかんたん。パドは、左右の肩にチョコレートの三角帽をちょこんとのせたうつくしい時計台のま上から、たてもののまん中にぐんとそびえる白い塔へ、つり糸の先をそっとたれると、たいくつそうな時計盤のおひげを、もしもし、って、つってあげます。なあに、ちょっと元気をつけてあげるだけのことです。もちろん、日ざしのつり糸ですもの、だれにも気のせいにしか思えません。
と、キンコーン、カーン。時計台の鐘が、生まれかわった声で、たからかに朝を告げます。すると、あとはもう町中のものが次から次へと跳ね起きて、からくりじかけの機械のように、カタカタ動きはじめます。目覚まし時計がジリジリリン。役所のサイレンもウウーッ。トースターがチン、テレビはペチャクチャ。やがて織物工場の機械たちも、カタコト、ゴットン動きだし、化学工場のエントツからは、黄色い煙がぷっぷかぷっぷか。列車の汽笛も、おはようって、あいさつしながらせわしげにキイキイ声までばらまいて、朝もやのなかへ消えて行きます。……
さ、これでおしまい。
町をすぎると、いよいよお空のまん中へ。‥‥パドの大好きな、チッポルの丘のある村にさしかかります。
夏のあいだ、こんもりとエメラルド色にふくらんでいたなだらかな丘は、今はすっかりやせこけて、あのまばゆい色をおとしていますけれど、あいかわらず草はぼうぼうで、おじいさんのおひげのように、からからにかわいた金銀の毛を、いっせいに波打たせています。
丘の上には、赤いとんがり屋根の教会が立っていて、あいかわらず塔のてっぺんには、十字のこんぺいとうをひとつ、いただいています。パドはこの塔のこんぺいとうに、光のつり糸をたらしては、ツンツンするのが大好きでした。まるでほんとのお星さまみたいに、キラキラするんですもの。そのおかげで、なにかいいいたずらも、つい、ひらめいてしまいます。
こうやって遊ぶためなら、パドは午前中のさいごのお仕事だって、よろこんでしちゃいます。
まずは、クモの糸で織りあげた、洗濯したての光の帯のほし物を、丘へむかって降ろします。光の帯のほし物は、ときどき風によれるたび、もう間近にせまるおひさまのおかげで、真珠色のまぶしい光をあたりにはねかえします。そうして、雲間から降ろした帯が、ちょうどまっ直ぐになるころには、パドは大好きなもうひとつの、さいごの仕事にかかります。
ざぶとんの雲が、おひさまとぴったり重なるその瞬間、まあるいレース編みそっくりの、クモの巣みたいな光の網を、パッ、といっきにおひさまめがけて投げかけるなり、いそいでそこいらじゅうにはりめぐらし、地上いっぱいに吊すのです。光の帯のほしものがおっこちないよう、気をつけながら。なにしろ、このときばかりは忙しいのです。
でもパドは、この瞬間がなによりいちばん好きでした。パドがこの仕事をしますと、たちまちチッポルの村一帯が、おひさまの、それはそれはあかるい光を注がれるのですもの。なかでもとんがり屋根の教会をのせたこの丘は、いっとうまぶしく、原っぱの舞台のまん中に、なだらかなその姿を、くっきりと浮かびあがらせるのでした。それもちょうど、パドが塔のてっぺんをツンツンしたとたん、塔の鐘がガラーン、ガラーン。パドそっくりのわらい声で、村ぢゅうに鳴りわたるそのときに、です。
パドはつい、拍手しちゃいます。そしてうっかり、光のつり糸を落としそうになるのでした。
ああ、あぶなかった…。ともかくこの瞬間を、パドは地上のできるだけたくさんのものたちに、見てもらいたいなって、いつも思ってます。
「下からみあげると、ぼくののってる雲のわたを透かして、おひさまのかげは、いま虹の輪みたいに映っているかな? 真珠色かな。雲のふちどりは金色かな? ああだれかぼくのかわりに気づいてくれればいいのだけど。」ってね‥‥。
さて、これがいつも、お空の雲にのって、パドがするお仕事のすべてでした。
けさのパドはしかし、まだちっともそこまでたどりついてはいませんよ。だってついさっき、ムラル山脈の長いとんがりあたまにさようならをして、やっと町の上空に浮かびあがったばかりでしたから!
町は、とくにつまりません。だって町はいつも、パドのつり糸がはじめのきっかけをつけてやれば、あとはもうかってに動いていきますもの。それからはもう、だあれもあたりを見回しもしなければ、ふと空を見上げもしません。だいいち、お空と地上のあいだには、ちかごろなにやらうっすらと黒い膜がかかって、みんなとパドのあいだをふさいでいます。
ときどき青白いけむりが立っては、おかしなにおいもさせています。
天使や~い、ってよんでる子なんていやしません。いくらつり糸を振ってみせても、だめです。ぐる~ん、ぐるん、空中旋回させてみたって、だれひとり、振り返ってもくれません。どうやら、糸の気配すら、感じていないみたいです。するとますますパドのご用はなくなって、空のたかみにおいやられ、空の上と下とは、どんどん遠くへだたってしまいました。もとはひとつだったのに、いまははなればなれ。もう、自由に行き交えないなんて、ほんとに残念なことです。
つり糸一本でいいから、これを通して、ほんの一瞬でも、だれかその光の糸をたぐったり、振り向いたり、ふとお空を見上げてくれないかなあって、それがいまのパドの、望みなのですけれど。
「いったいどうして天使は天のくに、なんて決まっちゃったんだろ? 天使なんてもんは、光の輪っかに真珠色の羽根でもはやして、はだかんぼうで雲のうえにでものんびりすわってりゃいいのさ! だってそれが〈天使〉ってもん、なんだろ? まったくやつらは、幽霊にさえ、なりそこなっちまったんだから。ほんとにただの、〈えそらごと〉さ。なあんて、だれか言ってるんじゃないかなあ! ぼく、ほんとうにさびしいよ。」
パドは町のうえへくるたび、そう呟くのです。
けれども、けさのパドはすこし、ようすがちがいます。なかなか上機嫌(じょうきげん)に、きまりきったお仕事でも、することができます。
「こんなときは、きっとだれかが、どこかで、この雲のようすをみているんだ。そうしてきっとこの下で、ぼくとそっくりの気持でいるにちがいないのさ。ぼくの気配を感じながらね! ぼく、なんだかいい予感がしてきたぞ。」
そんなひとりごとを言っている間に、ざぶとんの雲は町をぬけ、ようやくパドのお気に入りのチッポルの丘が、原っぱの金のおひげにくすぐられながら、心地よさそうにひなたぼっこしているのがみえてきました。
「わあい、丘や~い!」 パドはいよいよ元気になりました。
「生きものたち、みんなどうしてるかな? みてみようっと。」
パドは、雲のポケットから望遠鏡(ぼうえんきょう)をとりだすと、低い町のすそを遠まきに巻いて、森とならんでくねくね、村へとたどりつく、トネリコの小川の片いっぽうの上流を、じぐざぐ、さかのぼりました。それからトネリコの小川にそっておい茂る、すすきの野原をよこぎると、はるか遠く、ちょうどパドが出てきた山脈の反対がわに、八つの首をぬっともたげた竜のお山、ジムリ岳のふもとあたりを、でこぼこ追いました。そして、大好きなチッポルの丘をながめ、丘のうえの小道をじぐざぐのぼり、やがてポツンとちいさな、オレンジ屋根のおうちの、お庭あたりをぐるぐる、見わたしはじめました。
なんとなく、パドがいつも気になっているオレンジ屋根。ジムリ岳の草むらにうずもれた、クマイチゴの粒のように光っている、一けんのおうち。そう、パドはもう何度となく、望遠鏡でここをのぞきこんでいるのです。なにかにさそわれるみたいにね・・・。
「フンフン、なんかいいこと、ありそうな!」
と、ふと思いついたように、パドは今日こそねがいを込めながら、えい、って光のつり糸を思い切り、投げました。つり糸はぐんぐんのびて、そのかぎ先は、ついにオレンジ屋根のおうちの庭に下りました!
さあ、それからはもう、家のまわりぢゅうにたれさがって、軒をわたる小鳥のようにおしゃべりしたり、振り子の催眠術みたいにチクタクゆれたり、出窓のむこうのだれかさんの、あたまのなかや、おめめの奥に入りこんで、キラッと閃いたりしましたよ。それはそれは、せわしなく。
そのあと、パドがじっとして、ようすをうかがっておりますと、つり糸は、反応があるのをしめすように、ぴくぴく、ふるえはじめました。
「えっへへ。だもの、このあたりには、やっぱり何かがあるのさ!」
パドはもううれしくなって、目をきらきら輝かせました。
さてみなさん、この家にいったいだれが住んでいて、この時、いったい中で何が起きていたか、もうわかりますよね。
そう、もういちど物語のはじめを、思い返してくれればいいんですもの。……
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