見出し画像

昨日の学校が怖かった、次男の個性の続き。

家族の誕生日や好み、嫌なこと全部覚えてる


スケジュール管理も一番するし、、家族7人の誕生日をわすれたことはなく、小さなころから、次男だけは全員に誕生日プレゼントを忘れたことがない。(全部手作り…)

家族の好きなものも、嫌いなものも、喜ぶことも、嫌がることも、全部知ってる。

家族の過去のつらい話をきくと、、号泣し始める、、もらい泣きというレベルじゃなくて、、さも、今、自分が傷ついたかのように。


注意・指摘の声のトーンが嫌

これは、実は彼の父親もそうなのだけど、、人の少しでも怒っているようなトーンの声に敏感に反応する。

言葉は、特に次男にはささらないらしいのだけど、声のトーンでその人の状態を判断するところがあって、大したことをいってなくても、私の声が張っていれば、異常におびえる。

逆に、言葉はきつくても、トーンが張っていなければ、何一つ応えない。

学校では、、いつも誰かが怒られていて、それはそれは怖かったらしい。

誰かの不機嫌な声を聴いてるのは本当に緊張して緊張して、ずっと怖かったんだそうだ。

そもそも、いつも誰かが怒られてるって現状がもうおかしくないよね、、こどもらしさ、というより、能力や性質や発達がすべて無視されて、強制してる。


学校のトラウマは優しい先生に迎えられても未だ消えず。

そんな次男は、1年生で毎晩泣いてうなされるようになり、学校に行くのを渋るようになった。

だけど、その時は、彼は、「先生は優しい」というし、なぜ学校にいけないのか説明してくれなかった(できなかったともいう)

ある日、PTAだった私がクラスの前を通ると、、いつも親に対してはとても「理解ある子ども想いの先生」を演じている担任が、、先生の机にこどもたちを並ばせて、ちょっとした鍵盤ハーモニカのミスに、、すごい形相でイライラと子どもを責めているのをみてしまった…。

先生も新任だったし、若かったし、子どもなんか初めてだろうし、、無理はない、、というか一番大切な幼少連携のこの1年生を新任の先生に任す学校がどうかしてる。。(受験が影響。高学年にできる先生を持ってこなければ保護者に立ち向かえないため、何も知らない1年生の保護者に、実力のない先生をあてるらしい)

先生も体調悪かったのかもね、、とは思うけど、、

あ、これはあかん。。。

と思って、かえって息子に寄り添って話を聞き、大泣きして、、、学校に行くのをやめました。

子どもって、実は本当のことを言いません。実は私も小学校の時に、ひどい暴力教師に当たっていましたが、誰にも言えませんでした。首を絞める、殴って鼻血、歯を折る、授業はしない、子どもを奴隷にする、中学になったとき、その先生が脳溢血で亡くなったという一方が入った時、いつも誰にでも優しい男の子さえ、歓喜の声を上げたくらいでした。

その時のトラウマは、彼の中にしっかりと残り、、5年生で転校して、学校見学にいってみたけど、やっぱり体が震えて、本人も、もう過去のことなのにとびっくりしたそう。

今、真摯な担任の先生(特別優しいというわけではないが本当に子どもが好きであったかい)が、毎週面談してくれて、、そのペースでは慣れてきているけれど、通常の学校への拒否感はまだまだあるみたい。


だけど、学校には行きたい。

今、6年生になって、さすがに中学はどこか…という思いがある。本人自身が、社会のたくさんのことを知らないということが怖い。と。

そこで、学校に行かない選択をした大人たちの話とか、オルタナティブな考えとか、自由な学校の本とか、いろんな本を借りてみて差し出してみてます。

その中で、「校則をなくした中学校」を読んで、その校長先生の話から、自分が学校が怖かった理由、を見つけたらしく、そこには、行ってみたい、、と自ら話してくれました。


もともと東京にいた次男が、仲のいい友達は都内にいる。学校に行かなくなってからも、ずっと交流は続けてきた。

少しでも周囲の自然で経験できるものや、多様性の認められやすいグループがある地区に、とおもって、今の場所に越したものの、まさかのコロナ。

なかなかみんなで集まれなくなった。受験期なのも手伝って、気が付けばもう1年以上話せてもない。

それは、息子にとっては大人が思う以上に切なくさみしいこと。

居場所さえあれば…とおもうけど、、行政は、未だ、支援クラスの見学にさえ対応してくれない。。どうしていいのかわたしにもわからない。


今、ないから、今つくる。手をつなぎたい。

学校に行かなくていい、と国がなってきたけれど、その受け皿の用意はない。そして、公教育がどうしてダメなのかに気づこうとしない。

ギフテッドの有識者会議やってる場合じゃないよ、そこで有識者の方々はいいこといってたけど!要は、どんな子にも対応できる、多様性対応の学校をつくれば全部OKじゃん。

どうして、みんなが同じようにできるように足並みそろえるの?
どうして、軍隊みたいな統率して、ひとりひとりの価値はないように教えてしまうの?
どうして、考えなさい、って言いながら、答えを覚えさせるの?
どうして、コンピューターでもできることを訓練させて、人にしかできないわからないことを探求するという環境を与えないの?


やっと国もここまで来たけど(日本はずっと戦時中教育のままで異常~~~~)そうこう言っている間に、息子の心の経験をさせてあげたい日々は過ぎ去っていく。

親が一人のチカラでこどもの環境を整えるって、、専業主婦で、一人っ子ならまだ、あっちこっちいったりしながらできるかもな、って思うけど。。下に3歳児いて、7歳児いて、仕事もしてて、、う~~、無理です!!はっきりいう、無理!そしてそんな環境しか与えてあげられない自分も責めちゃってる。。

いろんな試行錯誤はしてるけど、、一筋縄ではいかなくて、、だって、お友達はどこで作るの?( ;∀;) 学校にいかないだけでこんなにもお友達との交流場所をつくれないものだなんて💦

こどもが当たり前に尊重され大切にされる、こどもたちの居場所が欲しいね!

同じように感じているひとたちと手をつなぎたい。


100チャレ@009





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?