流転とか輪廻とかそういう話多分
つらつらつらと。
なんか意識とか繋がりみたいなものには
ある種の単一性があるなと思ってて
そういうのには無限がないなと思うわけです
広い意味で捉えていったらあるかもしれないけども個人とか1人な狭いところで行くと
一方通行で果てしない感じがあるし
単発的でぶちぶちちぎれてるななんて思ったり
そういう経験とかが一つの個人みたいなのを
作ってる気がしてて。
でもその細かいコマ飛ばしみたいな日常から作り出された私自身は
いつか生まれ変わったらとか
地球としてとか次世代にどんな影響を与えられるかなんていう無限を夢見ているのが大きな矛盾なんだけど。
次は最近考えた話
すごく言葉で言い表すのは難しいんだけど
私がしたいのっていうのは右脳の感覚を
左脳に直で流してそれを分析言語化みたいな感じとそれと全く逆がすごく楽しくて
絵を描いてみたり歌ったりしてるわけで。
あんまりちゃんと信じてはいないけど
右脳派左脳派診断みたいなのやると
大体50%ずつってでるからそういうことかなと思ってて
これは人との関わりですごく気づいたことが
あってむちゃくちゃお喋りして感覚というよりはロジカルに理解し合ってるみたいなかんじですごく仲良くなったりする友達と
話は全然しないしただフロアで踊ってみたり
リビングでぼーっとだらだらしてるだけの時間とかなんかちゃんと知らないのにすごく仲良い
友達とでなんかこうそこには全く大差がなくて
どちらも私にとてつもない幸せを与えてくれてて左脳右脳どちらが優位みたいなのとか
得手不得手みたいな話なのかなってすごく
思うわけです。どちらかばかりになるとすごく疲れるなって印象とどっちも色んな人としてたいっていう欲張りセットではあるのです。
ただ日々の揺らぎの中の波紋をひたすらに
詰っているだけただそれだけ
下書きしておいてまた次の話
持続可能とか、無限とか延命とか
なんだろうな始まりがあって終わりがあって
それだからこそ次があるみたいな美徳は
日を追うごとに世間から失われている気がして
なんだかなと思う日々です。
人が死ぬのは逃れられない事実というか、
親友とか、母とかなんだろう完全に隣みたいな人を亡くしたことは僕にはまだないから
痛みがわかるかっていうとそうではないけど
それを遠ざけて永遠を願うことの方がよほど怖いことなんじゃないかと思うわけでして。
人は人並みに人を傷つけて、人並みに他を殺めて欲の限りを尽くして愚かだということを
受け入れることが私にはすごくしんどい事実
だったのにその先が待ってるだなんて思うと
私は怖くて怖くて、
確かに人間が想像できることは実現可能なこととはよく言ったものですが
全て実行に移すってのはなんとも恐ろしいことだとは思いませんか、
むしろちゃんと終わりを決める力強さや
強かさをもって生をより良いものにする
ことの方がよっぽど大事だと僕は思うのです。
一生続けばいいと思った目の前の幸福は
瞬きの間に姿を消すような曖昧なものだった
ことに笑顔で涙を流すのです。