クローン病闘病記

自分の経過であります。クローン病の経過、症状は人によって様々です。あくまで自分の例ですが「こんな症状なんだ」と心の片隅の片隅にでも置いておいてくれたら嬉しいです。
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~それまで~
元々、腹痛や吐き気などで学校や仕事を休むことはあった(とくに冬。寒くなるにつれ回数が増える)
また、高熱で病院にかかった際に胃腸炎との診断された。当時は5日間の入院で仕事復帰。
ほかには、38,39度の高熱がよく出た。ただ治るのも普通の風邪のように早く、1日2日の休養で仕事復帰していた。

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~2017年春~「休職スタート」
それとは別に、仕事のストレスによる気分の落ち込みが酷くなり「お前なんて無能だ」等の幻聴や、同僚のタイピング音に怒られるといった感覚が怖くなり上司に相談。休職と治療を勧められる。
メンタルクリニックで脳波など色々調べてもらった。結果的に、鬱病の診断書をもらい休職開始。
その頃から恒常的に腹痛が起きていた。当時は鬱病のストレスによるものだと思っていた。また、あまり他の病院にかかる意欲が無かった。

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~2017年梅雨~「1回目の長期入院」
高熱と腹痛。地元の病院にかかり、入院が必要とのこと。
診断結果は胃腸炎だった記憶がある。「すくなくともクローン病とは診断されなかった」とする。

ここが2番目につらい時期だった。
「絶食→少しずつ食事→普通の食事」と治療段階を踏んで、そのつど血液検査を行うという治療となったのだが、同じ工程を何度も繰り返しても普通の食事をした段階で発熱が起き、血液検査の結果が悪くなる。
「そろそろ退院かな?」と期待したところで、また最初の絶食状態に戻る絶望感。
これを3回繰り返した。入院は3週間以上にわたった。最後は個室に移動させてもらい、少しでもストレス解消につとめた。というのも、同室の入院患者はだんだんと退院をして自分だけは取り残される。(新規の患者は入ってくるけど)
しかも、同室の皆は普通に食事をとっている。自分は絶食。いよいよ匂いに耐えられなくなってきた。
最後は親とも相談し、治療途中ながら退院させてもらった。ここに居ても治る気がしなかった。

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~2017年夏~「2回目の長期入院」
その後、家に帰り安静にした。
しかし、治るはずもなかった。
深夜に発熱、さらに前回とは段違いの腹痛に襲われた。激痛のあまり、猿轡のようにタオルを噛んでいないと叫んでしまいそうだった。
朝になると、なんとか落ち着いたので(それでも痛い)病院に行き、即入院となった。

ひとまず血液検査を行い、ここではじめてクローン病の可能性があると説明を受けた。

【本格的治療】
とにかくまずは手術を受けられる身体にしなくてはならない。というのも、結構な栄養失調の状態だったのだ。
入院患者が普通使っているような点滴ではなく、強力なエネルギーを持った点滴液を使う。そのために首から点滴の管を入れることになった。
手の細い血管では強い点滴液のエネルギーに耐えられないらしく、太い血管のある首から入れるのだ。

病室の中で麻酔をし、点滴の接続作業が行われた。首から管が生え、点滴棒に管が繋がれた。
正直とても不便だった。手から点滴が生えるのでさえ鬱陶しいのに、首からとは。ここから自分が何も不自由無しで生活できるようになるまで、どれだけの期間がかかるのか、考えたくもなかった。

時系列を整理するための思い出としては、ワールドカップ最終予選の日本代表戦を病院のテレビで見た。
2017年8月31日、日本VSオーストラリア戦を見た。
この試合で、日本代表がワールドカップ進出を決めた。

その後、強い点滴液の効果があり栄養状態が戻った。沢山の検査を行い、いよいよ手術をすることになった。
医師の説明によると、小腸が狭くなっている数か所を切開(正確には切込みをいれる)し、小腸を元通りに拡げるとのことだ。手術内容の説明を受け、ほんの0.000数%で起きる合併症?などのリスクも説明され、結構な恐怖感を覚えたが同意書にサインした。

人生初の手術だった。手術室に入り、マスクが被せられる。きっと眠ったのである。麻酔が無ければ手術は無理だ。

それと同時だろうか、病室で意識が戻った。夢は見なかった。
病室は暗かった。医師と母親が居た。
少しここの記憶があやふやだ。

そして、ここからが1番のつらい時期だ。
まず医師から説明を受けた。雑に解説する
「腹を切ったので痛みがあります。なので、麻酔ボタンを押すと追加で点滴管から麻酔液が流れるシステムになっています。ボタンを連打しても過剰な量の麻酔液が流れることは無いので、お腹が痛くなったらボタンを自由に押して麻酔を流してください。」
と言われた。
しかし、これが地獄の始まりだった。
まず普通にお腹が痛いので、ボタンを押してみる。痛みが和らぐ。しかし、今度は気持ち悪くなるのだ。麻酔に酔った。
しかも、この痛みが消えるならと押し過ぎたせいで、結構酔ってしまった。足元がおぼつかない。
しかし、術後は院内を歩かなければならない。手術をした後ジッと寝たままでいれば手術によって止められた腸が動かずにガスが溜まってしまい、別の病気になってしまうとのこと。なので歩く。これがとてもつらい。
酷く酔うしお腹は痛いし、泣きそうになりながら病院内を1周(50m無いと思う?)した。それで少し元気が出て、術後初日は合計で5周した。腹にガスがたまって腹痛になる方が怖かったからだ。酔うより腹の痛みの方がマシだと、麻酔ボタンを押すことはほとんどなくなった。

しかし、苦痛は続く。今度はベッドが体に合わなかったのか、腰と背中と尾てい骨にとてつもない痛みを感じた。まったく横になれない。もちろん術後の腹痛もそれなりにある。
どういう体制をとっても痛み無く寝れないのだ。
湿布を何度も病院の人に作ってもらった。忙しいらしくなかなか届かない。地獄だった。自分のあまりの様子を心配した母親に「私が代わってやれるなら代わりたい。」と言われた。「しんどいからやめといたほうがいい。」と返した。冗談でも強がりでもなく、正直誰にも味わってほしくない痛みだと本心から思った。

その後、痛みにも少しずつ慣れたこともあって歩く機会も増えた。歩くだけで看護師の人に褒められるのが嬉しくて、院内を何周も歩いた。10周以上は数えなかった。もう永遠に歩いていたようだ。途中で休憩スペースの「美味しんぼ」を読んで休憩した。絶食中なのに飯マンガを読むなんてと思うかもしれないが、意外とそういう本も楽しく読んだ。「球場三食」お勧めです。いつかあんな飯をまた食べたいなぁと思って読んでいた。

その後は、順調に経過が推移し食事をしても血液検査の数値に影響が出ることはなく無事に退院することができた。

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~その後~

結局仕事はやめた。今はバイトに受かり、12月から始めるところだ。

今では月1回か2回の通院をするだけで済んでいる。毎日朝「アザニン」を1錠飲むだけだ。半年に1回のペースで大腸カメラも受けている。
御飯は和食中心という感じ、今度食事療法についても栄養士の人に聞く。

でもそれだけだ、入院するより絶対マシだ。

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ひとまず終了である。クローン病で入院して、とにかく健康であること、ご飯を普通に食べられることへの喜びを感じた。
当たり前にできることができない。それが一番辛かった。

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