伊勢うどんの追加取材①:喜八屋の仲林良子さんに聞く、大正時代から継ぎ足されている驚きのタレ
伊勢市駅の少し東側を南北に走る県道201号線、通称「八間通(八間道路)」をしばらく北に向かい、喜八屋という伊勢うどん屋さんを訪ねた。
伊勢うどん大使の石原さんによると、この店こそが伊勢市内に現存する伊勢うどん屋の中で、一番古い店なのだとか。
祖父、父、そして母から、この店と秘伝のたれを引き継いだ、店主の仲林良子さんに話を伺った。
喜八屋の歴史
ーーこの店が伊勢で一番古いうどん屋だと伺いましたが、創業はいつですか。
「大正十なん年だとは思うけど、はっきりとはわからない。私がまだ生まれてないから。石原さんがここが一番古いって言っていたんですか。あの人はなんでも知っているから、そうかもわかりませんね。でも私も一軒一軒、『お宅の店はいつからですか?』とは、よう聞かんし」
ーー大正時代の初期からだと、「まめや」さんと同じくらいですかね。仮に大正十年創業だとすると今年で103年だから、ざっと100年。でもお店は新しいですね。
「おじいちゃんの代からの店で、平成11年(1999年)に建て直したんですよ。
「創業当時はこの近くに山中(やまちゅう:旧制宇治山田中学校/現在の宇治山田高校)があったもんで、商売をするならここの通りがよいだろうと、この場所にお店をオープンさせたそうです。まだ八軒通がなくて、竹藪や田んぼばっかりの土地だったと聞いています。おじいちゃんはお百姓だったのに、急に商売をしはじめたみたいで。良かったのか、悪かったのか。
山中の宿舎から、本当はいかんのやけど、お腹を空かせた生徒がこっそり抜け出してよく食べに来ていて、それで先生がたまに見回りに来るのが見えると、おじいちゃんおばあちゃんが『あれ、先生!いらっしゃい!』ってわざわざ大きな声を出して、生徒を裏口から逃がしたって聞きましたね。そんな生徒の中に、映画監督の小津安二郎さんがいたそうですよ」
ーー昔はどんなメニューだったんですか。
「最初はうどんとか、ぜんざいを出していたのかな。おじいさんの時代は、うどんは手打ちでした。石をくりぬいた臼みたいなものの中で捏ねた生地を足で踏んで、一日寝かせて、麺棒で伸ばして切っていたそうです。
最近も近所の90歳くらいの人から、あんたのとこで生地を踏む手伝いをよくしたわっていう話を聞きました。踏むとうどんをご馳走してくれるんやって」
ーーいい話!
「父の時代になったら、麺棒ではなく大きなローラーの機械で生地を伸ばしていました。その父が死ぬまでは自家製麺だったけど、母の代になって、女手一つでやろうとするとそこまで手が回らないから、山口製麺さんにお願いするようになりました。それが昭和30年代くらい。その頃はまだ、みなみ製麺さんはやっていなかったんじゃないかな。昔からやっとるところは、山口製麺が多いんじゃないですか。本当は自分のところで作った方がいいんだろうけど」
ーー今も自家製麺をやっている店は伊勢でも数軒だけみたいですね。
独特の自家製麺だった駒鳥食堂さんも残念ながら閉店されました。
「だんだん少なくなって寂しいです。うちももうすぐ閉店です。ははは」
ーーいやいやいや。
喜八屋のタレは大正時代から継ぎ足されていた
ーー今は山口製麺の麺を使っているということですが、タレの味もだいぶ変わっているのですか。
「タレのレシピはおじいさんの代から変わらない。全部一緒。何ミリリットルまで量っています。ここは河崎(伊勢における海運の拠点)が近いでしょう。昔は愛知県の三河のほうからたまり醤油を仕入れとったみたいで、今も同じメーカーのたまり醤油を使っています。たまりだから見た目は濃いじゃないですか。見た目ほど味は濃くないんやけど。
出汁とたまり醤油と、秘密の調味料をいろいろ入れて。伊勢うどんのタレは、うすくちの汁よりも、うんと鰹節と昆布を出汁に使って、すっごく濃くしてあります。厚い鰹節の削り節をいっぱい入れた琥珀色みたいな色。伊勢うどんの太さに負けるといかんので」
ーー創業当時から守っているタレの味なのですね。
「新しいタレはすぐ使わない。二日とか三日置いて、タレが静まってから合わせる。タレはできたてだと騒いどる。味がなじまへんの。だからタレが静まった頃にそっと足すの。わからんように忍び込ませて。うなぎのたれみたいに継ぎ足し、継ぎ足しで作って、味がぶれないように」
ーーえ、継ぎ足しなのですか。そういうタレの作り方は伊勢で初めて聞きました。
「そうなんですか。私はうちの店の作り方しか知らないけれど、店によって違うんでしょうね。店を新しく立て直すとき、三か月とか四か月とか休業期間があるじゃないですか。そのままだとタレを置いておけないので、アホみたいに作って足して、もったいないけど捨てて、たれの味を保っていました」
ーー大正時代から続いている、継ぎ足しのサイクルを守るために。
「継続しないとタレが死んでしまうかなと思って」
でも人気メニューはカレーうどんと中華そば
ーーこの店は定食とかはなくて、麺類だけなのですね。
「そうです。伊勢うどんよりもカレーうどんや中華そばのほうが人気。おかしない?
カレーうどんや中華そばは母の代から。伊勢うどんだけではいかんと思ったんやろうな。若い人に人気やろうと。中華そばは純和風で、昆布と鰹節、それに豚と鶏の澄んだスープ。中華そばの味は母の時とはちょっと違うかな。ちょっとずつ進化している。結構な重労働やから、ようけ作らへん」
ーー伊勢うどん屋のカレーうどんと中華そば、他の店で食べましたけど、うまいですよね。実はここのもすごく気になっていて、話を聞いて、とても食べたくなりました。
「残念。今日はもう売り切れました」
ーーメニューをよくみたら、定食はないけどごはん単品はあるんですね。
「うどんと一緒にごはんくださいって言う人が多くて。カレーうどんにごはんとか、伊勢うどんにごはんとか」
ーーうどんをおかずにごはんですか。伊勢うどんやカレーうどんならアリですね。ちなみに伊勢うどんを食べ終わった後、丼にお湯を入れて飲む人はいますか。
「そんなことをする人はおれへんな。昔の人はしたのかも知らんけど」
ーーへー。伊勢うどん屋といっても、店によって食文化がちょっとずつ違うものなんですね。そういえばさっき、そろそろ閉店とおっしゃっていましたが、あれは本当なのでしょうか。
「もう私も古希、70歳。あとできて二年かなあ。昔は出前とかもしていたけど、今は営業時間も11時から2時まで。売り切れたらそれで終わり、たまに1時ごろ締めます。すみませんねえ。
娘が手伝いに来てくれているけれど、無理に継いでもらおうとは思っていない。作り方も教えていないし。儲けがないから大変なんですよ。年収なんて聞いたらびっくりしますよ。子どもには他所の企業で働いてほしいです。ははは」
これはどの飲食店界隈でも同じ話なのだろうが、跡継ぎがいなくて閉店をする店が伊勢のうどん屋でも多いようだ。
わかりやすくおいしい味のチェーン店がいくらでもある現在、「その土地ならではの昔ながらの食べ物」という看板メニューを守っていくのは、なかなか大変なことなのだろう。
特に伊勢うどんという独特の麺料理は、その地の食文化や目指している方向性を理解していないと良さが見えづらい悩ましき名物。別に常連でも地元民でもない私が、そこに口を挟むことはもちろんできない。
伊勢うどんに限らず、気になる店があったならば、行けるときに行かなければと改めて思った。いつまでも、ずっとそこにあるのが当たり前ではないのだ。
■喜八屋 三重県伊勢市船江1-6-60
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