誤解されたくない部分

私は親に対する恨みを扱う事が多いから、勘違いされるかもしれないけれど
親に対する礼儀にはうるさいほう
親を立てる気持ちは強いです
でも、それでも、許せない事はある
という事なんです
ただの親への反発心の人だとは思ってほしくないんです
ここ本当に難しいんですよね

この世に生み出してくれて
赤ん坊から育ててくれて
生活の面倒を見てくれ
学費を出してくれた
この事に対する恩を忘れた事はありません
だからこそ本当に板挟みで辛いんです

大事にしたいという気持ちはある
でも、自分の仕打ちに何の迷いもなく
平然と私を見下し続けることに
我慢する事が出来ないんですよね

話していると過去の怨みが思い起こされてしまうし

何もなかったかの様に今も自由奔放な発言で余りに気楽な様子を見ると

『違うだろう』と思ってしまう

ただ、こうやって暗く渦巻く想いを持っている自分を嫌だなあとも思うんですよね

だから、この複雑な想いを文章化したり、更には本とか書いたりするしか
他に方法が無いんです

全てがギリギリの必然なんですね

「許せ」という言葉

「許せ」という言葉がある

でも私は言う

どうしても許せない事を無理に許そうとしなくていい!

許すか許さないかは本人だけが決めること

許さない人を見るのが嫌なんだろうけど
人にはね
どうしても許せない事がある

許したくて足掻いた結果だ

何か自分にとってのプラスがあればそれでいい

最初にそれを言ってくれた
スーザン フォワード は凄い

何でもかんでも直ぐ「毒親」と言うのは違うと思うけど
人生に大痛手を受ける様なことまで
「許しなさい」なんて言われたら
それでもっと苦しめられる

何で被害者ばかり苦しめられるのか

そうじゃないだろうと

だから安易な指図はダメ
私はこの悩みに苦しむ人と接する時
そう思っている

ただ…
ずっと怒りに囚われていて
苦しめられている人には

そのエネルギー勿体無いから
幸せになれることに使った方がいい

とは思う

自分を不幸にした人に更に奪われ続けたら悔しいからね

そういう辛い思いをした人には絶対幸せになって欲しいからね