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遺言ブログ #7 「この道に出てくんねんな〜」

最近引っ越し、家賃が9倍になりました。工学部機械知能・航空工学科4年の星です。

引退して3週間程経ちましたが、部活がなくなっても研究室や麻雀で忙しく、なかなか自由な時間を作れませんね。ワールドカップのせいで睡眠時間も取れない。結局この遺言ブログも投稿前日の福岡旅行中に書くはめになってしまいました。面倒くさいことを後回しにするな、と当たり前のことがまだできないようです。 
まあ、面倒くさいは冗談ということにして書きたいことも思い当たらないので、迷ったらこれをやれ、と言わんばかりの題である、4年間の振り返りを私もしてみようと思います。

まず、大学でもサッカー部に入ろうと思ったのは高校のサッカー部を引退してすぐくらいです。というのも高校時代、右膝を怪我して手術したため1年生の秋から2年生の冬まで棒に振ってしまい、大変悔しい思いをしました。楽しかったのに、もっとやりたかったなと不完全燃焼だったので国立の大学に入れたらサッカー続けようと思っていました。

無事合格できたのでやっとサッカーができると意気揚々と入部しました。早々にけがをしたため1セメの間はほとんどプレーすることはできませんでしたが、1年生の間は本当に楽しかったです。夏に復帰して、同級生がAチームに上がったりIリーグに出たりしているのを見て自分も出たい、頑張ろうと思えていたし、上手な先輩方とプレーすることで成長も実感できていました。皆に追いつくためには、当時の私はとにかく体力が課題でした。最終節一つ前くらいで初めて出させてもらったIリーグでは、交代で入って5分ぐらいで相手選手に「こいつもうバテてるぞ!」と言われて恥ずかしい思いもしました。なのでこの頃のサッカーが好きだった私は、オフ期間にしっかり走って体力をつけようとしていました。そのおかげか、オフ期間明けくらいからAチームに上げてもらえ、春の関東遠征ではラッキーも重なり1、2本目とかで使っていただき、すごく充実していた様な気がします。やっぱり、自分の成長を実感できる、目標をもって努力するというのはすごく大事なことだなと当時を振り返ると強く思います。

思い出補正はあるとして楽しい時間はここまででした。3月末に左膝の前十字靭帯を切ってしまうからです。まさか高校に続いてまたもやこんな大怪我をしてしまうとは正直思ってなかったです。油断大敵。

なので2年生の時の記憶はほとんどないです。手術後足首くらい細くなったキモい太ももを見て絶望したことは覚えてます。

そして3年生の5月になってようやく復帰することができました。しかし、復帰してからはなかなか苦しいサッカー生活でしたね。身体は全く思うように動かないし、同級生もその頃はほとんどがAチームにあがっていたので、それも寂しかったです。

正直、今までのサッカー人生の中でも1、2を争うぐらい苦痛な時間でした。なんでこんなに楽しくないんだろうと、毎日のように考えていました。なんで怪我しちゃったんだろうなーとか後悔ばかりしていたのもあるかもしれません。とにかく、自分の精神力の弱さを再確認しました。うまくいかない時こそ一生懸命やるとか、ちゃんと声を出すとか頭では分かっているのにできず、練習の前には、今日こそやる気を出そう、一生懸命やろうと臨むのに始まったら全然そんな気持ちは無くなっているという日々。結局、3、4年生の間はずっとBチームでチームのために何の貢献もできず、かつ自分自身もサッカーを楽しめないまま引退することになってしまいました。残念。

投稿のタイムリミットが迫っているので、十分振り返れたということにします。読み返してみると、ほんとしょうもないですね。遺言ブログに書くことないのも、伝えたいこととか何も思い浮かばないのも、結局適当に生きてきた自分のせいなので仕方ないです。私から言えるのは、せっかくわざわざ時間割いて部活に入っているのでどうにかしてサッカーを楽しむ方法を見つけてくださいということです。今後、人数が増えていけば公式戦に出れない人も増えていくと思うので、そういう状況でもめげずに頑張ってください。

最後に、こんな人間性なのに仲良くしてくれた心の広い同級生の皆様には感謝しかないです。おかげさまで大学生活自体は非常に楽しかったです。ありがとう。

ではさようなら。

工学部 機械知能航空工学科 4年 星 京吾

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