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短文4篇(読書感想文『太宰治』を読んで|MMORPGを始めてやめた話|とんかつ屋のビール|eスポーツ)

読書感想文『太宰治』を読んで

わたしは夏休みに『太宰治』を読みました。この本の表紙と背表紙には「走れメロス」という副題も付いていました。きっとこの物語の主人公である太宰治さんがメロスを応援する強い気持ち、それが表紙に念写されたのでしょう。誰が書いた話なのかはわかりません。作者不詳の民話のようなものなのでしょうか。

いきなりメロスは怒っていました。わたしが最近怒ったのは、お母さんが冷蔵庫のアイスを食べてしまったことなので、メロスもきっとそれに怒っていたに違いありません。メロスの気持ちはよくわかります。

途中でセリヌンティウスという初めて聞く単語が出てきました。去年の夏からずっと居間でゴロゴロしながらワイドショーを見ているお父さんが、今日も居間でゴロゴロしながらワイドショーを見ていたので「セリヌンティウスってなに?」と聞くと「知らん。牛の名前か何かだろ」と答えてくれました。わたしもいつかセリヌンティウスの牛丼を食べてみたいと思いました。

ここまで読んだところで右手と左手の握力がなくなってきたので、続きは明日読みます。

明日になりました。続きを読みます。ページを開くと、「恥の多い人生を送ってきました」と書かれていて「あれ? 違う本かな」と思って表紙を確認しましたが、そこには昨日と同じく『太宰治』とあったので、同じ本でした。アイスの件で怒りがこみ上げていて勘違いしていたようです。

メロスがセリヌンティウスに「ウザ。ウザ」と言われていて悲しい気持ちになりました。メロスは自分の命をなげうってセリヌンティウスをわざわざ助けに行ったのに、セリヌンティウスはそれをウザいと唾棄したのです。まったく、この牛は信じられません。出荷されればよかったのに。

メロスが宿敵のカルボナーラ三兄弟から黒魔導書「セリヌンティウス」を奪還し、スーホの白い牛に乗って火星に帰っていくところは30回読み返しました。泣きながらこれを書いています。

『太宰治』を読み終わって「これはわたしのことを書いている」と衝撃を受けませんでした。来年の夏は『夏目漱石』という本を読もうと思います。


MMORPGを始めてやめた話

数年前、とあるMMORPGを始めた。MMORPGというのは、オンライン空間の中で色んな人が色んなことをしているやつ、という感じのやつである。そのゲームでは様々なことができた。冒険、戦闘、交易、建築、料理、釣り、など。私は冒険とかモンスターの討伐とか最強の装備とかプレイヤー同士の交流にはあまり関心がなく、野良でゆるく遊ぼうと思っていた。さて、そのオンライン空間で何をしようかと思って市場を覗くと、「家具」が需要に対してあまり供給されていないことに気付いた。市場はオンラインのプレイヤー同士で交易ができる場所だ。つまり、私が家具を作って出品すれば、世界のどこかのプレイヤーがそれを購入することとなる。オンライン空間で少しは人の役に立つということだ。私は家具を量産する体制を構築することに決めた。家具を作るには、たしか木と金属とが必要で、それらを揃えて労働者(NPC)に作らせる。木の伐採もNPCに任せておけたが、金属の精製はプレイヤー(つまり私)が自分でやらなければならなかった。やる、と言っても、それを作るのに必要なアイテムを集めて、あとはその精製を選択するだけで、時間をかけてやってくれる。プレイヤーのキャラが自動でそれをしている間、リアル世界の私は本を読んだり散歩をしたりお昼寝をしたりしていればいい。家具が完成した。然るべき価格で市場に出すと、すぐに売れた。家具屋として私はこの世界に必要とされていることが実感できた。私は家具を作りまくり、売りまくった。それで良かった。しかし、ある時、私は気付いてしまった。家具を作るよりも、それに必要な金属をそのまま市場に出した方が効率よくお金を稼げることに。誰も家具を市場に出してなかったのは、そういうことだったわけだ。人気がありすぎて市場になかったのではなく、効率が悪いから誰も作ってなかったのである。私は精製した金属を家具にすることなく市場に出し、木を伐採したり家具を作ったりしていた労働者にも他の効率のよい労働をさせた。お金がどんどん貯まっていった。しかし、ある時、またしても私は気付いてしまった。そもそもが私は家具を作りたくて家具を作っていた。家具を買ってもらうことは喜ばしいことであった。お金の問題ではなかった。お金で何をするかと言うとだいたいは最強の装備とかを購入することになっているのだが、私は最強の装備とかにはまるで関心がなかったため、生活に必要なものが買える必要最低限のお金があればよかった。だけど、私はある時から効率よく稼げる金属を売り始めた。その金属は非常に人気であり、たくさんの色んな人が市場に流通させてただの数字となった当該金属をたくさんの人が買っていった。かつては家具職人としてのアイデンティティを確立していた清貧な私だったが、今や毎日よくわからないけど人気らしい謎の金属を作り続けて数字にする機械に成り果ててしまった。かと言って、今さら効率の悪い家具を作る気にもならなかった。何が楽しいのかよくわからなくなって、そのゲームはやめてしまった。


とんかつ屋のビール

とんかつ屋に行った。中村文則『遮光』の冒頭部分に「タクシーに向かって右手を挙げ、煙草に火を点け歩いた。それからタクシーなど見てはいなかったが、それはまるで普通に客を乗せるように、私の前に停車してドアを開けた。少し面食らったが、自分が手を挙げたのだから、この状況は仕方がなかった」(新潮文庫、7-8頁)という部分がある。私はこの部分が何だかとても好きである。私は当該とんかつ屋で、タレカツ丼とビールをオーダーし、鞄から文庫本を出して読んだ。それからビールのことなどすっかり忘れていたが、それはまるで普通に私がオーダーしたように、「生中です」とビールがテーブルに置かれた。少し面食らったが、自分がオーダーしたのだから、この状況は仕方がなかった。


eスポーツ(2023年11月15日に見た夢)

私が寝坊し、ルームメイトが付き添ってくれていた。ここは寮で、時間厳守で、集合時間に遅れたことが発覚したらただでは済まない。ルームメイトは寝坊をしていなかったが、優しいから、一緒に行こう、と私を待ってくれていた。

皆がトレーニングをしているところに、寝坊なんてしていませんよーという感じでこっそりと合流しようという算段だ。整然と並んだピッチングマシンから剛速球が吐き出され、整然と並んだ屈強な打者がそれを打ち返している。我々はeスポーツの選抜選手である。eスポーツと言えども、実際のスポーツの経験や技術、知見がなければ上達しないという理論のもとで、コントローラーを全く握ることなく毎日バッターボックスに立っている。そうすればパワプロが上達するらしい。

当然、サッカーゲームの選手もいて、フィールドでサッカーをしていた。皆上手で、eスポーツの選手ではなくてサッカー選手を目指せばいいのに、と思った。将棋のeスポーツの選手は、盤に向かい合わせの形で将棋を打っている。紛れもない将棋の対局だ。こうするとeスポーツの将棋が上達するらしい。

UNOのeスポーツの選手は、UNOのカードの着ぐるみを着てダンスを踊っていた。これがUNOの上達にいいらしい。にわかには信じがたいが、学校側がそう言うならそうなのだろう。正直上手とは言えないダンスだった。皆へらへらしながらやっている。寝坊をしても怒られなそうな雰囲気だ。私もUNOのeスポーツの選手になればよかったな、と思って目が覚めた。



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