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約1週間禁酒日記

Q&A

Q:いつからいつまで?
A:2024年2月11日から、これを書いている現在進行系で。

Q:どうして?
A:何だか体調が悪いような気がしたので。

Q:どうなった?
A:体調は明らかによくなった。日中にぼんやりすることもどんよりした気分になることもなくなった。布団を干したり、部屋の片付けをしたり、前向きな何かをするようになった。それと決断が速くなったようにも思う。

Q:あとは?
A:体重が明らかに減った。2kgは減った。アルコールのカロリーを摂取しなくなったというせいもあると思うけど、食欲、特に炭水化物を食べたいという欲求があまりなくなった。夜はアルコールがない代わりに口が寂しくて爆食するかも、という懸念もあったが、実際にはなかった。麦茶をずっと飲んでる。

Q:飲みたいのに飲まないストレスは?
A:最初の3日間くらいはあったけど、それ以降はあまりなくなった。時々は飲みたくなるが、耐え難いほどではない。

Q:それまで飲んでぐだぐだしていた時間は代わりに何してるの?
A:Nintendo Switchでゲームやったり、これを書いたりしている。

Q:もう二度と飲まないの?
A:そんなことはない。飲み会とかがあれば飲むと思うし、普通に家で一人で飲むこともあるかもしれない。

Q:眠れる?
A:夜12時とかに寝ようとすると絶対に眠れないことがわかっているので、明け方の4〜6時くらいに寝るようなサイクルにしている。これで眠れないことは今のところあまりないので、自分にはこれが合ってるのだと思う。

Q:今の気分はどう?
A:少し眠いが、毎日の二日酔いで本もまともに読めない、という感じでは全然ないので、気分はよい。

Q:以下の文章は何?
A:日記です。


0日目(禁酒以前)

昨年の10月・11月頃、体調が慢性的に悪く、気分は憂鬱で、ほぼ何も思考できない状態に陥っており、これはきっと毎晩大量に摂取させて頂いているアルコールのせいに違いないと仮説を立て、減酒することにした。なぜ断酒ではなく減酒かというと、少しは飲みたいからである。一日に赤ワイン500mlだけを飲んで寝ることにした。一日にワインを500mlというのは人によっては大量のアルコールと捉えられるかもしれないが、私にとっては雀の涙ほどの量である。私は雀が号泣しているところを見たことがないが、雀の目から500mlの赤ワインが滝のように流れていたらかなり怖いだろうなって思う。なぜ白ワインではなく赤ワインかというと、色の濃いものにはアントシアニなんとかかんとかが含まれていて健康によいと聞いたことがあり、同じようなものを飲むなら健康によいという付加価値のある方がお得なような気がしたからである。

減酒を実践して実際どうなったか。まず、夜は眠れない。日付が変わる頃に布団に入り、4時過ぎにようやく入眠する。寝たか寝てないかの感覚のまま6時くらいに勝手に目が覚める。この通り、どう考えても睡眠が質的にも量的にも足りていないので、朝6時という時間に早起きしたとは言え能動的な行動が何もできないほど常に眠く、かと言って、経験上、昼寝をしてしまうと夜の就寝に影響が出るだろうという懸念から頑張って起き続け、夜は酒を飲むからぼんやりして、でもなぜか眠れず、その次の日はやはり睡眠が足りていないのでぼんやり、それに耐えられなくなりとうとう昼寝を導入、結果、夜は布団で眠れず、昼は布団で眠り──という最悪なお布団サイクルに吸い込まれてしまったのであった。最悪は回避したいぞ、と私の生存本能は言った。

そこで私のぼんやりした頭が考案したのが、きわめて健康的な食生活を維持・継続することによって毎晩の大量のアルコール摂取に耐え得る強靭な身体を作り上げることができるのではないか、という仮説である。スムーズな入眠のために大量のアルコールを摂取することは大前提として、どうすれば体調が悪くならないか、そう、健康的な食生活でアルコールを迎撃し、プラマイゼロで睡眠、翌朝はスッキリ起きることができるだろう、との算段だ。善は急げ。私は嬉々として近所のスーパーマーケットで大量のウイスキーと大量の健康に良さそうな乳酸菌やら食物繊維やら納豆菌やらタンパク質やらを購入、その生活を始めると、以前よりは明らかに調子が良かった。つまり、酒は飲むし、夜は眠れるし、日中も体調がよいという三拍子揃った完璧な作戦だった。善は新幹線でやってくる。私は私の天才的な弁証法に畏怖した。それで昨年12月は乗り切り、めでたく年を越した。

私は新年の目標を掲げたことは今までに一度もないが、2024年の目標はひとまず「酒は飲む」だろうな、と考えていた。昨年は、アルコールを減らすなどという愚行に走ったせいで、「夜は眠れず昼は眠い」という最悪な帰結に至った。あの期間は地獄であった。愚かなことだ。酒を減らす、などという愚行のことである。いいですか、「酒は眠れる」のである。しかも飲めば飲むほど眠れる。これほど完璧で美しい比例のグラフはないし、もしかしたら二次関数かもしれない。酒は睡眠を累乗でブーストする。有識者曰く「酒は睡眠の質を下げる」そうである。は? 真顔で何を言うてまんねん。おかしなこと言うてはるわ。んなわけあるかいな。エビデンスをぶっ飛ばせ、医者の唇を剥ぎ取れ、セカンドオピニオンを秒で撃ち抜け! 上述の実体験の通り、酒を飲まないと「夜は眠れず昼は眠い」ことになるのであり、逆に酒を飲むと「夜は眠れて昼は健康」になる。つまり、「酒は睡眠の質を上げる」のである。な? だろ? 人生は主観でしか生きることができない。お前はお前の人生を生きろ。メタ認知の眼を貫け、オーディエンスの歯を刈り取れ、世界にブルーシートを被せろ! というわけで、二度と減酒などという愚行を働かないための「酒は飲む」という新年の抱負であった。

で、その人生の本質を捉えた素晴らしい抱負とアルコールを掲げて生活をして1ヶ月が過ぎた2024年2月上旬の頃、私は思った。「何だか以前にも増して体調が悪い気がする」。人生は主観でしか生きることができないが、その主観がそのように言うてる。原因は、当該健康的な食生活の閾値を超えるアルコールの摂取が慢性的に検知されたからに違いないと思われた。有り体に言えば、抱負という大義名分を掲げて、調子に乗って毎日飲み過ぎていた、ということである。具体的には一日にウイスキー(ALC.40%)を500mlくらい飲んでいた。かつてウェブ検索で「ウイスキーを一晩で500ml飲むのは飲み過ぎか?」と検索したところ、たしかあれはYahoo!知恵袋だったと思うが「人による」との回答があった。そりゃあなんでも人によるだろう。ただ、私にとってウイスキー500mlは「飲めるけどどう考えても毎日は飲み過ぎ、なぜなら体調が悪くなるから」であるように強く思われる現状であった。飲酒量はエスカレートして行き、やがて飲み始めると倒れるまで飲まないと気が済まないほどに増幅していく。程よく飲む、ということができなくなっていく。酒は飲酒量を累乗でブーストしていく。私は夜に飲み歩いたり、酔っ払って寂しくなって誰かと通話としたりすることは全くなく、じゃあ何をしているかというと、椅子に座ってじっとしてYouTubeあるいはTVerを見ているか、やがて酩酊により映像を見るほどの集中力・思考力が剥奪されるとスマホのカジュアルオンライン対戦ゲームをやっている。主に、おはじきの要領でサッカーをやるやつ、サッカーのPKのやつ、クルマでサッカーをやるやつ、である。私はサッカー部に所属したことはないが、サッカーのカジュアルゲームは好きみたいだ。それで、記憶が曖昧なまま気を失うように眠り、翌日はアルコールの残滓でぼんやりとし、世界の終わりのような憂鬱感を抱えたまま気づけば夕方にまた飲み始め、飲み始めは明日からも世界がハッピーなまま続くようなふわふわとした高揚感を得られるが、深夜2時頃になると世界のことなんて全くどうでもいい泥のような状態のままサッカーゲームをゾンビのようにプレイし、目覚めると体と脳がまるでニトリの重い毛布のように重く、気分はまるでニトリの重い毛布の色のようにダークで憂鬱、という生活が続き、ニトリの重い毛布として出荷される寸前であった。


1日目(2月11日日曜日)──アウステルリッツの三帝会戦

ちょうど昨日で常備してある酒を飲み切ったため、この日から禁酒を始めるべきであった。なぜ減酒じゃなくて禁酒かというと、アルコールはもうええわ、という気分だったからである。

22時半を過ぎ、だんだん落ち着かなくなってくるのがわかった。やはり飲むべきなんじゃないの? と私の左脳が言った。それに対して私の右脳も何か応答しようとしていたと思うが、右脳は言語を司らないので何を言わんとしているのかよくわからなかった。徒歩5分の位置にコンビニエンスストアがあり、そこに発泡酒を買いに行くかどうか迷った。脳内では「飲みたい気がする vs 飲まない方がいい気がする + 外に出ると寒い」の三者が会してバトルフィールドでバトルをしていた。私はこれを「アウステルリッツの三帝会戦」と呼んでいる。ここはアウステルリッツではない。結果的に私は外に出ることなく時計は0時を回った。外が寒そうだったからである。冬将軍が勝利した。当該最寄りのコンビニエンスストアはコンビニエンスストアであるにもかかわらず0時に閉店するから、0時を回ったら実質アルコールを買いに行くことはできない。次点の距離のコンビニエンスストアは徒歩17分であり、さすがにそこまで行くのは面倒だし、わざわざ夜中に自転車で行くのもねぇ、と素面の私は事態を認識している。出不精と面倒臭がりの勝利である。実は最寄りのコンビニエンスストアとは逆方向ではあるが同じく徒歩5分の位置にドラッグストアがあり、そこではいかつい体躯のレジ係の男性が会計時に「Tカードありますか? ──ないんですね? いいんですか? ないんでいいんですね?」といかつい体躯の野太い声で何回も念押ししてくることに恐怖を感じて行かなくなってしまったから、どんなに飲みたくてもそこへはアルコールを買いに行くことはないだろう。いかつい体躯の勝利である。深夜1時頃に横になり、眠れずに一度起き上がって居間に戻り、再び入眠を試みて寝た。2時半頃だろうか。案外スムーズに眠ることができ、これは翌日からの強い自信に繋がるだろう。


2日目(2月12日月曜日)──すっぽん鍋とトリガー

9時頃に起床したと思う。今この部分を書いているのは2月17日土曜日21時55分時点であり、5日前の朝に何時に起床したかなんて正直覚えていないのである。割りとよく寝たと思われ、幸先の良いスタートだ。日中のことも何も覚えていないので、特別なことは何もしていないのだと思う。おそらくはパスタを茹でて食べた。読書記録によれば伊坂幸太郎『アイネクライネナハトムジーク』(幻冬舎文庫)を読み終えたとのデータがあり、これはとても良い作品であった。

私はかつて、1ヶ月ほど禁煙をし、再び吸い始めたことがある。しかし、禁煙前と変わった点が1つあり、それは外出先では吸わなくなった、ということであった。それまでは家で吸い、出かける際にはタバコを持って出かけていたが、禁煙→喫煙再開を期に、なんとなく思いつきでタバコを持たないで出かけてみた。やがてそれが習慣になり、外では吸わなくなったのである。外から帰ってきたらまず初めに換気扇の下でタバコに火を点けた。これは要するにトリガーである、と考えることができる。かつてどこでもタバコを吸っていた際にはあらゆる事象がトリガーとなってニコチン不足の脳が喫煙を唆されることになっていたが、禁煙期間を挟んだことでそれがリセットされ、脳が「外=タバコ」と結びつけることができなくなり、吸いたい引き金が引かれることがなくなったのだと思われる。これは発見であった。何らかの依存や習慣と何らかのトリガーは緊密な関係にあるように思われた。ちなみに今は喫煙を全くやめて数年経つ。タバコを吸うとなんか気持ち悪くなる感覚があって、そのまま自然とやめた。私の友人Aも私とほぼ同じ期間にやめた。ある時、私と友人Aは料亭にすっぽん鍋を食べに行き、すっぽんを堪能した。その数日後、友人Aからメッセージが来た。「なんかタバコ吸うと気持ち悪くて、あれから吸ってない。すっぽんのせいだと思う」。そんな馬鹿な、すっぽんにそんな効能があるわけ、と思った数日後だったか数週間後だったかに私も上述の通りタバコを吸わなくなったので、すっぽんにはそんな効能があるのかもしれない。

夜は23時頃、迷った末にコンビニエンスストアに発泡酒を買いに行こうと向かった。家で酒を飲むことをトリガーにしなければいいのだ、つまり、コンビニエンスストアに行って酒を買い、歩行しながら飲み干して帰宅することで、「家=酒」と結び付くことはなく、少なくとも飲み過ぎるなどという事態は起こりづらいのではないか、との企図であった。要するになんだかんだ言い訳をして酒を飲みたかった、というわけである。だが、なんか違うなと思って途中で引き返した。でもやっぱり飲むべきかもしれないと思って、いかつい体躯の店員のいるドラッグストアに向かったが、やっぱりなんか違うなと思って再び引き返し、手ぶらで帰宅した。飲みたいのを自制心で耐えた、というよりは、アルコールを喉に流し込んで酔っ払う快感よりも、それが胃に到達した際の強い不快感の方が勝った、という感じである。「酒は飲む」のスローガンによって私の胃腸はペンペン草も生えないほどに荒廃していたと思われ、療養が必要とのサインを身体が発していたのだろう。NOと言える身体でよかった。昨日よりは少し早く深夜1時半頃に入眠したと思う。


3日目(2月13日火曜日)──ライオンスタウト8.8%

駅前の家電量販店兼家具屋にベッドを見に行こうと思った。現状私は、ニトリで買った何の変哲もない敷布団と、Amazonで買った何の変哲もない掛け布団に挟まれて寝ているが、少しお金をかけてでも寝心地のよいベッドを導入することで、寝ることが少しは楽しくなるのではないか、との狙いであった。私は毎日、朝起きた瞬間から夜眠れるだろうかと心配して長年生きてきたのであり、この心配がなくなることで脳のメモリが大幅に開放され、とんでもない才能が開花するかもしれない。わお。善は音速でやってくる。12時頃に家を出た。自転車で駅まではおよそ20分。よい天気だった。

当該店舗でとりわけ寝心地の良さそうなベッドを眺めていると、店員さんが声を掛けてきた。「何か気になる点はございますか?」。私の目の前には「ミディアム」と「ソフト」という異なる属性が付与された2台のベッドが並んでいた。「ミディアムとソフトは何が違うんですか?」「硬さのことですね。ミディアムは硬め、ソフトは柔らかめです」「どういう人がどっちに向いているとかあるんですか?」「好みではありますが、例えば、横を向いて寝る人なんかはソフトの方がいいと思いますよ」。私は横を向いて眠ることもあるので、買うならソフトだろうな、と思った。店員さんは続けた。「柔らかめのベッドって、以前は腰を痛めるとか、むしろ疲れるとか言われていましたけど、今はスプリングが改良されているので、そんなことはなくて、むしろソフトのマットレスの方がおすすめなんですよ」。なるほど、買うなら断然ソフトだろう、絶対にソフト、と私は思った。その後、ベッドのフレームの話などをし、店員さんは去り、私も去り、ベッドがその場に取り残された。

駅から徒歩約10分のカレー屋に入店した。街で評判の小さなエスニックカレー屋である。先客に中年くらいの男女1組がいた。カウンター席につくと、店員さんが水を持ってきて、「3種類のうちの、バターチキンが今日は終わっちゃって、残りの2種類になります」と言った。そもそも私は2種のあいがけをオーダーしようと思っていたので、選択の手間が省け、ちょうどよかった。当該カレーをオーダーし、「あとは」と私は言い、手元のメニューをめくった。目論見通り、ビールがあった。ビールのあるメニューのことを私は目論見書と呼んでいる。ここは飲むべきだろう。「シンハービールひとつ」と私は言ったが、シンハービールよりも更に魅力的に思えるライオンスタウト8.8%をメニューに見つけてしまい、「あ、やっぱり、ライオンスタウトひとつください」と言った。黒ビールである点と、アルコール度数が8.8%である点に蠱惑された。先にビールがきて、グラスに注いで飲んだ。真っ昼間から飲むビールってのはどうしてこんなにもおいしいのでしょうね。夜に家で飲む酒は夜に飲まされている受動の様態だが、昼に外で飲む酒は積極的にこっちから飲みに行っている明確な能動である。昼間から外で酒を飲まなければならない理由など何ひとつないからである。カレーは牡蠣のカレーと海老のカレーで、おいしかった。日や季節によってメニューが変わるお店と思われ、また来ようと思った。

そこから徒歩3分の場所に本屋があり、SNSにてオリジナルブレンドコーヒー豆を販売しているとの情報を受け、買いに行くことにした。ついでに何か本を買っていくべきと思われ、『ナイン・ストーリーズ』(J.D.サリンジャー、柴田元幸訳、河出文庫)を買った。帰ってから当該コーヒーを飲みながら、当該本を読んだ。コーヒーは苦味と酸味のバランスがよく、普段飲みでもいいし、癖がないので客人に出しても無難に喜ばれるだろうと思われた。『ナイン・ストーリーズ』は短編集で、最初に所収されている「バナナフィッシュ日和」だけ読んだが何だかよくわからず、続きを読むかどうか悩んでいる。

昼にアルコールを飲むというトリガーを引いてしまったため、夜もアルコールを飲みたい尋常ではない気持ちが湧き上がり、23時頃に酒を買いに出かけたが、昨日と同様、途中で引き返して帰ってきた。部屋の中でポートシャーロットの瓶の中に約2杯分のウイスキーが残っているのを発見し、迷ったが結局は飲んだ。ロックで飲んだ。ポートシャーロットというのはスモーキーなウイスキーの中でもとりわけ美味なやつのことである。ブルックラディ蒸溜所という場所で作られており、私はここで作られた酒をとても好ましく思っている。程よく酔い、深夜2時頃にスムーズに入眠した。このくらいのほろ酔いで毎日スムーズに入眠できるといいんだけどな。


4日目(2月14日水曜日)──嘔吐と容疑者X

18時50分43秒、私は自宅で嘔吐した。その30分くらい前から胃に不快感があり、それが極まってそのような事態になった。原因は、昼間にスーパーマーケットで買ってきて冷蔵庫で保管、夕方に調理した半額の鶏レバーであると思われた。鶏レバーにはハツも一緒に付いてくる。ハツというのは心臓(ハート)のことだ。半額とのことでパッケージを開封して匂いを嗅いでみたが、異常はなかった。糸が引いているようなこともなかった。そもそも今は寒い季節なので、消費期限前に物が腐ることはそうそうないだろう。私はレバーとハツの下処理を丁寧に行い、YouTubeのレシピを見ながら調理した。充分に加熱したつもりであった。レバーは嫌いではないが、普段あまり食べることはなく、箸でつまんで食べると「レバーだ」と思った。味にも異常はなかった。上述の通り、その30分後に私は嘔吐した。容疑者Xはトイレに吐き出され、下水に流されていった。鶏レバーを食べる前に間違ってかなり濃いめで淹れてしまったコーヒーが嘔吐の原因である可能性にも思い当たったが、物を吐き終わった後の私の胃はこれ以上にないくらいスッキリとしており、まるで清らかな川のようであった。下水道とは大きな違いだ。YouTubeの続きを見た。

22時頃、コンビニエンスストアに行き、あたりめを買って帰宅した。当該YouTubeにおいて、出演者が酒も飲まずにあたりめをひたすらに食べながらゲーム実況をしていたため、あたりめを食べたくなった、というわけだ。先程の嘔吐のこともあって、酒を飲みたい気分では全くなく、コンビニエンスストアに行っても酒を買うトリガーは発動されることはなかった。濃すぎるコーヒを飲み、消費期限の危うい鶏レバーを食べて、トリガーを毎日固定しておくべきかもしれない。


5日目(2月15日水曜日)──禁酒生活も板に付いてきたようだ

朝は10時頃に起きるようにしている。私は一日の全ての食事を12〜17時の間に済ませたいと考えており、あまり早く起きすぎると空腹を感じる時間が長くなり、苦痛だ。且つ、起きてから昼12時までは読書に時間を充てたいと考えており、正午近くに起きると読書の時間がなくなってしまう。私は読書という行為がとりわけ好きというわけではないが、読書をしないよりもした方が頭がよさそうだからなるべく毎日しようと試みており、その読書の時間がなくなるなどという事態になれば、頭がよくなさそうになってしまい、それはなんていうかまぢでとにかくやばくてガチでえぐいことのように思われた。

夜は『溶鉄のマルフーシャ』をプレイした。溶鉄のマルフーシャとは、マルフーシャが重税に苦しみながら兵士として国境の門を守る2Dシューティングゲームである。1プレイ1時間程度でサクサク進み、プレイにストレスがほぼないところがよい。マルフーシャはトリガーを引きまくって銃器をぶっ放しまくった。明日からは『SANABI(サンナビ)』をプレイしようと思う。軽快なワイヤーアクションも然ることながら、ディストピア世界におけるそのストーリーが高く評価されているらしいインディーゲームである。セールで既に購入はしてある。思えば、ゲームに熱中していたせいか、酒を飲みたいという気分はほぼなかった。4時くらいに寝た。禁酒生活も板に付いてきたようだ。このまま続けばいいと思う。


9日目(2月19日月曜日)

「夜でもいい?」とLINEがあった。午前8時。「いいよー」「20時くらいになっちゃうんだけど、、、」。昼過ぎに人と会う約束をしていたが、それが先方の都合により20時への変更が打診されているという状況である。約束をしていたことだし、昼過ぎには人に会いたい気分ではあったが、20時に人に会いたい気分かどうか、その時点では見通しがつかなかった。別の日にしよう、と私はメッセージを送った。

それで、いざ20時になると何とも手持ち無沙汰のような気分になった。ちょうど読みかけの本を読み終わり、プレイしていたゲームもクリアしたところであった。私は着替えて、部屋を出た。自転車に乗ってどこかへ行こうと思った。どこかへ行っても行かなくてもいいのだが、とにかく落ち着かない気持ちが先行した。曇天で湿度が高く、それに伴ってこの季節にしては気温も高かった。そのおかげで風を切って走るハンドルの手がかじかむようなことはなかった。存在は認知していたものの立ち入ったことのないスーパーマーケットに立ち寄ったり、存在は認知していたもののエントランスがどこなのかずっと謎だったホテルのエントランスを確認したり、つまりは益体のない暇つぶしをしながら夜の街をふらふらと走行し、一段落したところで、もしかしたらこの手持ち無沙汰な感じは人に会うことでしか解消され得ないのではないか、という疑念が頭を過ぎった。私は某アニメの聖地になっている交差点に自転車を停車し、私が出かける時にはいつも持ち歩いているオーサムな雑貨屋で購入した250円の手提げバッグからスマートフォンを取り出し、然るべきアプリケーションを立ち上げ、会ったことはないが存在は認知している然るべき人物にメッセージを送信した。22時頃であった。約30分後に返信があり、それに疑問形で返信をした。しかし、その後は1時間経っても返信がなく、既読も付かなかった。私は返信を待ちながら街をぐるぐる走行しており、へー、この道ってここに繋がってるんだ、わ、夜のドン・キホーテは治安が頗る悪いな、でかい通りで道路工事してる! などと脳内で独り言を放ち、いつまでもぐるぐるしてても仕方がないので家に向かった。世界中に見放されたような気分だった。酒でも飲もうかと思ったが、やめておいた。飲みたくなかったわけではなく、ぐるぐるに疲れて店に寄るのを面倒に思っただけである。日付が変わった頃に家に着いた。すると、返信があった。今から会えるとのことである。迷ったが、家で一人で今から素面で暇を潰せる自信がなく、どうせすぐに眠れもしないだろうと思い、待ち合わせをすることにした。時間はたっぷりある。家に帰ってきてから10分後に家を出て、先程戻ってきた道をなぞるように走行した。道路工事の箇所は避けた。もし神様がいるなら「メッセージの返信がないから家に帰ってきて、家に帰ってきた瞬間に返信があって再びすぐに家を出ていって、待ち合わせ場所までは自転車で45分、しかも夜中に、なんだこいつ」と思ったと思うが、神様はいないので誰にもそのように思われなくてよかった。小雨がぱらついていたが、すぐに止んだ。

2時間ほど会って別れた。LINEの交換をした。また連絡するね、と彼女は言った。それが社交辞令であることを私は知っていたが、こちらから連絡すればまた会えるであろうことも私は知っていた。唐突にフランシスコ・ザビエルの物真似をしていた。フランシスコ・ザビエルの物真似をする人を初めて見た。フランシスコ・ザビエルというのは、遥か昔に日本に遊びに来たスペインあたりの人のことである。日本は島国で、当時ドローンはなかったから、船で来たに違いない。世の中にはいろいろな人がいるが、何の前触れもなくドローンで島国に運ばれてくる人はなかなかいないだろうし、何の前触れもなくいきなりフランシスコ・ザビエルの物真似を始める人もなかなかいないだろう。自転車で45分かけて帰った。酒を飲みたい気持ちは雲散霧消していた。人に会うことで酒を飲みたい気持ちが雲散霧消したということは、私はそれまで人に会いたい気持ちを埋め合わせるために何年も浴びるように酒を飲んでいたということか? そんなわけないだろう。自立とは依存先を増やすこと、という言説があるが、アルコール一極集中の依存から解き放たれるためにはLINEの連絡先を際限なく増やせばいいということだろうか。いや、それも本質ではないだろうな。

家に帰って麦茶を飲み、横になった。なかなか寝付けなかったが、それはそれで構わないと思った。時間ならたっぷりある。そう、夜中に思い付きで出かけるという自由を発動するくらいには時間はたっぷりとある。何も焦る必要はないのだ。やがて起きたら本を読み、お昼ご飯を食べ、部屋の片付けの続きをする。禁酒生活1日目からを振り返り、こんな感じの日々をしばらくは過ごすだろうな、と思った。悪い気分ではなかった。夜が完全に明け切る前に眠りに落ちた。

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