「飲みに行かない?」と彼女は言った。(2024年5月24日の日記)
「飲みに行かない?」と彼女は言った。手元に置いたばかりの仰向けのスマートフォンが光り、それはおそらく誰かからのメッセージを知らせるものであると思われたが、彼女がそれに反応してスマートフォンを手に取ることはなかった。「殴ってくんない? 記憶を消したい」と彼女は言った。私は人を殴ったことはないし、殴りたいと思ったこともないし、今後も殴ることはないと思われ、その旨を伝えた。「だよね」と彼女は言った。
魚べいという寿司屋であった。うおべい、と読む。20時半。かつては皿に乗った寿司が店内を機械的に巡回(すなわち回転)していたはずだが、何らかの事情によってもはや寿司は回転していなかった。テーブルに向かい合って我々は食事をし終えたところであった。一般的に、男性は意中の相手の前だと食欲が増進し(なぜなら見栄を張りたいから)、女性は意中の相手の前だと食欲が減退する(なぜなら恥ずかしいから)、という言説がある。リーズナブルな寿司屋というのは皿の数によって食べた量が可視化されることになっているが、目の前に積み上がった皿を見るに、彼女は私の3倍くらいの量の寿司を食べていた。その上、締めの醤油ラーメンとデザートにベイクドチーズケーキも食べていた。これはきわめて珍しいことで、いつもは食べるにしても私の1.5〜2倍くらいである。3倍超の寿司オーバーキルをしたことと、スマートフォンを置いて「殴ってくんない?」と言ったことについて関係があるのかないのかは不明だったが、とにかく「飲みに行かない?」が発動され、「タバコ吸わない?」をきっかけに我々は退店した。
自家用自動車に乗り込み、エンジンをかけ、彼女はタバコに火をつけた。「吸う?」と箱を差し出されたが、特に吸いたい気分ではなく、後で貰うよ、と私は言った。酒を飲んだらどうせ山ほどのタバコを無意識に強奪して喫煙することになるだろう。私は自家用自動車を所有していないため、これは彼女の自家用自動車であり、彼女は運転席に、私は助手席に鎮座していた。何かあれば助手としての役割を果たさなければならないが、助手としての役割というのが何なのか不明であった。彼女はタバコを吸いながら自家用自動車を発進させ、音楽のボリュームを上げ、ハンドルを握りながら曲をころころと変えた。プレイリストから今の気分に合う曲を探しているようだった。断片的に再生される曲のどれもこれもが私の知らない治安の悪そうな曲であった。危ないのでとにかく落ち着いてくれ、と私は思った。「これだわ」と彼女は言い、曲が落ち着いた。私の知らないスローテンポの曲であったが、ヨルシカとかよりは治安が悪そうに聴こえた。「ウーハー積んでるとこういう時いいよね、低音で何も考えなくていいから」と彼女は言った。「なー」と私は言ったが、私は「こういう時」の渦中になかったし、単純に音楽が騒々しく、運転も危なっかしいし、「なー」とは特に思っていなかった。
自家用自動車(以下、クルマ)を駐車し、ようやくクルマは落ち着いた。市内には彼女の懇意にする飲み屋が3軒ほどあると聞いており、そのうちの1軒目に入店した。その飲み屋というのは、カウンターを挟んでキャストの女性が接客をしてくれる形態の店舗である。彼女が居酒屋とかホストクラブとかに出かけて飲んだという話は聞いたことがない。席に案内され、私はビールをオーダーした。季節のせいか、ビールの気分だった。週末ということもあり、お客さんは多めだった。彼女は飲む物や飲み方、店内での行動様式が決まっているようで、何も言わなくてもキャストの女性が彼女用の用意──焼酎、氷、緑茶、特殊な加工をした灰皿──を持ってくるのが観測された。
「どう思う? 久しぶりに連絡きたんだけど」と彼女は私にスマートフォンを見せて言った。寿司屋からの一連のやり取りと思われるメッセンジャーアプリのテキストが表示されていた。彼女の「親友」とされる人物に一方的に惚れているらしい男と、彼女とのやり取りであった。その男から来たメッセージの要旨は「会いたいです。来月いつ空いてますか?」であった。それに対して「いつでも空いてるので合わせられますよ」と彼女が返信しているのも観測された。当該男からメッセージが来ていることについて少なくとも良く思っていない様子であるにもかかわらず、「いつでも空いてるので合わせられますよ」と満更でもない感じと捉えられかねない返信をしていることについて矛盾があるように思ったが、それが彼女のやり方のようだった。私は、彼はおそらく乗り換えようとしているんだと思う、と私の所見を述べた。「あんなに貢いでるのに?」「あんなに貢いでるからこそじゃない? もう後戻りはできないから、関連性の高い手に入りやすそうなところに手を出そうとしている、みたいな」「彼氏いるって言ってるのに? 架空の彼氏だけど」「うーん」「近況報告みたいな感じじゃない? 最近元気ですか? あの人はどんな感じですか? みたいな」「でもそれって別に会わなくてもできるくない?」「もうさ、私、この機会に会って、もう全部ぶちまけようかと思って。あなたの好きな人はあなたが思ってる名前とは違うし、最近よりを戻したラブラブな彼氏と同棲してるし。はい、これが証拠。わかったでしょ? だからもう関わらないでください、って」「それ危ない気がする。何してくるかわかんないよ。真相はこれですってメッセージだけ送ってブロックするってのは?」「形に残したくないんだよね。スクショとかされるのがなんか嫌。だったら会って喋ったほうがいいなって」「なるほどね」「でしょ?」。「どう思う?」と私はカウンターを挟んで我々の話を聞いてたキャストの女性に言った。「貢いでるんですねー」とキャストの女性は言った。彼女は事の一部始終をキャストの女性に時間をかけて説明した。「私だったらその親友さんとは縁切ります」とキャストの女性は迷いなく言った。
2軒目。店内が大量の風船などで装飾され、かなり賑わっていた。「卒業イベント」と彼女は言った。「キャストが2人今日で辞めるんだよね」。さすが常連だけあって彼女は事情に精通しているようであった。私はウイスキーのロックをオーダーし、彼女には例によってオートマティックに焼酎、氷、緑茶、特殊な加工をした灰皿が運ばれてきた。先程の店舗よりも安い価格帯のお店のようで、客層が明らかに若く、先程の店舗のような落ち着いたような雰囲気はあまりなかった。「あ、見て、あそこ。あれがコアラのマーチおじさん。挨拶だけしてくるね」と彼女は言い、席を立った。コアラのマーチおじさんというのは、来店する度に大量のコアラのマーチを持ってきて、キャストに配りまくるおじさんの固有名詞である。彼女もかつてその場に居合わせ、客としてついでに配られるという恩恵に与ったことがあるらしい。私はコアラのマーチおじさんにコアラのマーチを配られたことがなく、このように遠目から眺めているだけで済んだ。
卒業するキャストの方は2名おり、まずはそのうちの1名が我々の卓に付いた。時刻は23時頃。かなり酔っている様子であった。「本当にお世話になって。いろいろ教えてもらったし、元気づけてくれたし、人生の先輩としてすごく尊敬してるし。最初はなんか雰囲気怖くて、嫌われてるのかなって心配になったりしたけど、打ち解けたら仲良くなれて、ああよかったって、本当にそう思って」などとキャストの女性は彼女に長々と感謝の意を述べた。本当に感謝しているような述べ方で、終始目がうるんでいたように思われた。「何度か一緒に来てくれましたよね?」とキャストの女性は私に言った。かつて来店した際に卓に付いてくれた記憶がある。名前までは思い出せなかった。ひらがなで3文字だったと思う。はい、卒業だって聞いて、だから今日は会いにきました、と私は言った。キャストの女性は唇を震わせ、その震わせた唇を右手で覆い、今にも泣きそうな表情と声色で、え、本当に嬉しいです、みたいなことを述べた。卒業だって聞いて、だから今日は会いにきてよかったなと思った。
卒業するもう1名のキャストの方も同じくかなり酔っている様子で、私に「リュウくん!」と言った。私はリュウくんではなかった。だが、私も当該キャストの女性の名前はおろか存在すらよく覚えていなかったのでお互い様であった。白いドレスのような衣装を着用しており、先程のひらがな3文字のキャストの方も白いドレスのような衣装を着用していたので、卒業するキャストとそうでないキャストの見分け方は白いドレスのような衣装を着用しているかどうかであるかもしれない、と私は思った。「前に会ったことあるよ、ほら、ダーツの時」と彼女は私に言った。ああ、あの時の、と私は思った。かつてと雰囲気が違うように思った。前より可愛くなってたから全然気付かなかったです、と私は2回言い、2回とも無視された。逆の立場だったら私も2回とも無視していると思われ、然るべき対応であった。イベントによる店内の賑わいが騒々しく、時間より早めに退店した。3軒目までは少し距離があった。
「新潟で軟禁されて、あれ、言ってなかったっけ? 付き合いたいくらい好きって言ってくれる人がいて、会いに行ったら、家から出られなくなって。部屋中にカメラがあって、トイレとかシャワーとかもカメラで見られてて。インターネット?の仕事してるとかの人で。私がカメラから見えない位置にいるとすぐさま遠隔で怒られて。すごく怖くて。2ヶ月くらい。見た目ぜんぜん普通の人なんだけど、なんでこんなことされなきゃいけないのかわかんなくて。クルマ買ってくれって頼んで、ようやく買ってもらって、隙見てそれでそのまま逃げてきた。初めて会った時に乗ってたクルマあったじゃん。あれがそれ。前の彼氏からは財布からお金抜かれたり携帯の料金支払わされたり。未だにその本体代請求きてるからね、私のとこに。意味わかんない。その前の彼氏はケチでマザコンで。ヤオコーの近くにセブンあるじゃん? あの辺で同棲してたんだけど。35にもなって母親がいちいち口出してくるってやばくない? もっとたくさん美味しいもの食べさせてあげてとか言われてもさ、まずそいつがケチなんだから無理だろって。クルマにはじゃんじゃんお金使うくせに。そう、そんなんで、それまでは男の家に転がり込んだりネカフェ泊まったり車中泊したりしてたけど、でも、あなたに出会ってから、ちゃんと家借りて生活するようになったし、仕事もするようになったし、ジリ貧だけど、でもそうやって生活し始めて、今があるんだよね。あの時から本当に何もかもが変わった」と彼女は言った。物語、と私は思った。
3軒目。違法の食べ物を出してくれるバーであり、彼女は電話をかけ、これから行くから当該違法の食べ物を用意しておいてくれ、と言った。かつては合法だったが、何らかの事情によって十数年前から違法になった。何らかの事情というやつには物事を抜本的に変化させる力があるようである。店内に入ると男女が一人ずついて、これが前から聞いていた店長とそのパートナーであると思われた。店長とそのパートナーだよ、と指差して彼女が紹介してくれたので、やはり私の推理は冴えわたっていた。テーブルに着き、料金の説明を受けたが、酔いのせいでいまいち頭に入ってこなかった。値段の知らない鏡月をボトルで入れた。割るための烏龍茶が2Lペットボトルで1800円であったのは覚えている。スーパーマーケットで150円で買えるものが1800円?ぼったくりバーか?と思ったが、彼女がぼったくりバーの常連とは思えなかったし、ぼったくりバーをわざわざ紹介するとも思えなかったし、私はこのような店に来ることはほぼなく無知なので、おそらくは相場なのだろうと思われた。店長が「氷持ってきていいすか?」と言い、私は、許可なくじゃんじゃん持ってきていいっすよー、と返答した。「許可なくはやばいっすね」と店長が言ったのが聞こえ、氷にもおそらく値段が付いているであろうことを知った。やがてお客さんが一人来店した。金髪で顔面にピアスがたくさん付いている女性であった。彼ら/彼女らは全員顔見知りで、歳も近そうで、私だけが彼女に連れられてきた殆ど初対面の言うなれば異物であった。とは言え、居心地は悪くなかった。
ダーツがあり、皆ダーツをやっていた。皆自分のダーツの矢を持っているようで、それを使用してダーツをやっていた。「自分のダーツの矢」を示す名詞があったように思うが、忘れてしまった。私はダーツというスポーツを生まれてから12回くらいしかやったことがなく、とりわけ眼前で展開されている競技のルールはよくわからなかった。観測するに、真ん中に刺さればいい、というものでもないらしい。ただ、誰も彼も真ん中に刺すべき時には真ん中周辺に矢が集まっており、フォームもしなやかで、ただの遊びでないことはわかった。「ダーツってこれとあともう一つのルールでやることが多いんだけど、これは陣取り合戦みたいな感じで、ほら、今そこに刺さってて、背景の色も変わってるじゃないですか、それが」と金髪で顔面にピアスがたくさん付いている女性が丁寧に説明してくれ、へぇー、なるほど、というようなことを私は返答した。親切な人だなと思った。
「嘘つかれてて」と彼女は言った。ダーツが一段落して席について喫煙をしたり酒を飲んだりしている三人に演説するような1対3の形になっていた。その1対3を横から眺めるような形で私はいた。「こっちに会いたいって連絡きたんだけどどういうこと?って聞いたら、まだ続いてるって。お金も貰ってるって。は?って話じゃん。もう連絡取ってないし、お金も貰ってないよって言ってたじゃん。男に貢がせて、そのお金をラブラブな彼氏との生活費にしてるって、頭おかしいんじゃないの。まあ一万歩くらい譲ってそれは勝手だからいいよ。こっちに迷惑かけんなって。すぐにバレる嘘つくなって。現に会いたいって馬鹿みたいな連絡きてるんだから。だいたいなんで会いたいん?」というようなことを彼女は言った。「嫉妬させたいとかじゃないですか?」と店長のパートナーは言った。「その貢いでるっていう本命の彼女を嫉妬させるために、その友達にちょっかいかけるみたいな。私よくやってたんですけど、好きな彼がいて、その彼の心を動かすために別の男と付き合ってみる、みたいな」。たしかに当該嫉妬させる作戦はあるかもしれないと思ったが、少なくない額のお金を盲目に直線的に貢いでいる男が、そんな高等な駆け引きを発動し得るだろうか、とも思った。彼女が見せてきたスマートフォンには「6月6日はどうですか?」に対して「わかりました!」と返信されているのが観測された。やがて演説は終わり、めいめいダーツをしたりカラオケをしたりし始めた。カラオケはおおよそ私の知らない楽曲群に乗せてパリピ的なゲームが行われていた。私はパリピではないため、パリピの作法を知らず、人前で歌を歌いたいと思ったこともないから一曲も歌うことなく、それでもパリピの作法に則ってよくわからないままに酒を飲まされるなどした。酒に比較的強くてよかった。
明け方頃、フードをオーダーした。ハッシュポテトのなんとかかんとかと山芋のなんとかかんとかであった。とにかく芋だった。酒を飲んでいる際の芋はうまい。「おいしいね」と彼女は言い、おいしいね、と私は復唱した。食べ終わり、3本目の鏡月と、山盛りの氷が来たところだった。ふと、さっきまでなんやかんや彼ら/彼女らと騒いでいた彼女がしばらく黙っていることに気付いた。彼ら/彼女らは大声でそれまで通り会話をしていたが、それを遠目で眺めるような、その輪から敢えて外れているような、そんな佇まいだった。何やら私の知らないところでノンバーバルでハイコンテクストな諍いが双方間に起きたのか?と思った。明らかに様子が違った。明らかに様子が違う彼女に内心戸惑う私に気付いたのか、「後で話すね」と彼女はテーブルを挟んで小声で言った。
程なくして会計し、店を出た。店長が「あれ、もう行っちゃうの? 盛り上がりはこれからだと思ってたのに」と戸惑ったように彼女に言い、特にハイコンテクストな諍いがあったわけではなかったのかな、と思った。
帰り道、「大丈夫?」と私は言った。「何が?」と彼女は言った。明らかに異変のある対象への「大丈夫?」に対して、「何が?」と返ってくるということは、明らかに異変のある証左であるように思われた。彼女は私の先をずんずんと歩いた。憤然としたような足取りだった。とりあえず座ろうと私は提案した。私から何かを提案することは普段あまりない。彼女は歩みを遅め、頷き、我々は公園のベンチに腰掛けた。我々の物語のために用意されていたかのような公園がたまたまそこにあってよかった。夜は完全に明けきり、空は青く、本日は快晴であることが予感された。人生が物語だったら曇っているべきであった。「後で話すね、って言ってたから」と私は言い、「それね」と彼女は返答した。「会いたいって連絡来るし、親友には嘘つかれてるし。結局さ、何なん。何でお前のことを好きで貢いでる奴にさ、性の対象として会いたいとか言われなきゃいけないわけ? 何なのあの糞みたいなメッセージ。お前が責任持ってなんとかしろよ、って思うよ。もうやだって思って、それで飲み行かないって私から提案して、いいよって言ってくれて、こうして楽しく飲んでたのに。飲みに付き合ってくれて本当にありがとうって思ってたのに。今はあなたと飲んでるからすぐには返信できないかも、って親友にLINEしたら、よくそんな変な出会い方した奴と飲みに行けるね、って返ってきて。もうそこから何も考えられなくなって。そりゃあさ、きっかけは普通じゃなかったかもしれないけど、私なりに大切に思ってるのに。悔しいよ。お前は何を知ってるんだって。何もわかってないじゃん。金のことしか考えてない奴に何がわかるんだって。何もわかってない奴に言われる筋合いないじゃん。私にとっては大切なのに。それを何でそんな否定されなきゃならないんだろって。悔しいよ。悔しい。何もわかってないじゃん。それをさ、何でこんな。もうやだよ」というようなことを彼女は言った。「うん」と私は聞いていた。
彼女は正面を向いていて、横髪がその表情を隠蔽していたが、声色と鼻を啜る音によれば、嗚咽している蓋然性が高かった。初夏の朝日が彼女を照らした。やがて目尻から頬に涙が伝うのを私は視認した。人が涙を流す時には、人体の構造上、目頭から涙が溢れるのであり、ドラマとかで目尻から頬に涙が伝うシーンがあるけど、あれは嘘だ、という言説を聞いたことがあり、しかし、現実にはこうして目尻から涙がこぼれていた。これは目頭から流れるべき涙がキャパシティを超え、目尻からオーバーフローしているものと思われた。私は右手を伸ばして頬に触れ、涙を拭った。嫌がられているような様子はないように思われた。彼女は号泣しながら「悔しいよ」と繰り返した。「うん」と私は言った。「うん」と繰り返す私は手持ち無沙汰を感じ、この状況においてはおそらく彼女の手を握るべきと推察し、先程頬の涙を拭った右手を彼女の無防備な左手に所謂恋人繋ぎという形で重ねた。彼女がそれをホールドして握り返す圧が私の右手にモニタリングされたため、手を握るべきという私の判断は少なくとも間違っていないように思われた。人が泣きながら何かを話している時にすべきでないことは「①話を遮る」「②否定、反論」と思われ、私は適切なタイミングと適切な声のトーンで「うん、うん」と相槌を出力した。
先程から私は、「蓋然性が高かった」だの、「初夏の朝日が彼女を照らした」だの、「視認した」だの、「人体の構造上」だの、「キャパシティ」だの「オーバーフロー」だの、「手を握るべき」だの「推察し」だの、「所謂」だの、「モニタリング」だの、「①②」という表現だの、「適切なタイミング」だの「出力した」だのという、自分は感情に流されずに事態を客観的に見れていますよーということを表現するような言い回しでこれを記述しており、これは特に殿方に多く見られる現象であるが、このように「自分は感情に流されずに事態を客観的に見れていますよー」という不特定多数へのアピールをわざわざSNSとかnoteとかに投稿している時点で、もう後戻りのできないところまで来ているのである。
私は「うん」としか言わなかった。言葉は無限だから、これから始まるべき何らかの劇的な物語を紡げるような言葉もあったかもしれない。それを言うことで何もかもを変えてしまえるような、一度きりの魔法みたいな言葉が。しかし、私は「うん」としか言わなかった。それが正しいように思われた。彼女が泣き続けている限り、私は「うん」とだけ言っていればよかった。私は「うん」における適切なタイミングと適切な声のトーンについて考えていた。それ以外のことは全て余計なことのように思われた。もう涙が頬を伝うことはなかったが、このままずっと泣き続けていればいいのに、と思った。
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