見出し画像

【空想観光学-4】空を知った者のみに見える壮大な景色がある

アメリカ合衆国における報道や文学、音楽の功績に対して授与される「ピューリッツァー賞」は1917年に創設された歴史ある賞で、特に報道分野では「ジャーナリストのノーベル賞」とも呼ばれる名誉ある賞です。

このピューリッツァー賞を1954年に獲得したのが飛行家チャールズ・リンドバーグの『The Spirit of St. Louis』。
1927年に人類初のプロペラ機による大西洋単独無着陸飛行に成功した愛機「スピリットオブセントルイス号」の偉業を記した著作は、のちに『翼よ、あれがパリの灯だ』のタイトルで映画化されました。

リンドバーグが誕生したのは1902年でライト兄弟の世界初有人動力飛行の1年前。
わずか1分程度の飛行記録から4半世紀後の歴史的偉業は33時間半で、その距離はなんと5810km。

この時代に孤独な空の旅に挑戦したリンドバーグが見たものは何であったのかを探ってみましょう。

スピリット オブ セントルイス号

文明は軌道が外れると平和から戦争へ向かう

20世紀前半の飛行機産業は「夢と現実」の間を行き交うような時間を重ねることになりました。
人類が空を飛ぶという「夢」を可視化させたライト兄弟が第一線を退いたのと前後してヨーロッパでは第一次世界大戦が勃発。皮肉なことに平和や夢とは対極にある「戦争」が飛行機産業に劇的な発展をもたらすことになります。

4年強の戦争の間に飛行機の性能は…
●平均速度:時速100km→250km
●飛行高度:2000m→9000m
●エンジン重量:1馬力あたり2kg→1kg以下
と大国間競争で飛躍的に進化しました。

そして、人類による飛行機最大の「負の進化」は移動手段から攻撃手段への変貌でした。
戦争当初は敵の様子を探る偵察機として身軽に飛び回っていた飛行機が、戦争の激化に伴ってその姿を機関銃を積む戦闘機や爆弾を落とす爆撃機に変えていったのです。

文明史を振り返ってみると飛行機だけでなく、あらゆる「文明の利器」はその進化に同様のシナリオを内在させてきました。

●獲物をさばくために切れ味を求めた刃物は刀剣となることで殺傷能力を持つ
●ロケットにヒトを乗せて宇宙に飛ばせば夢となり爆薬を搭載して地上を飛ばせばミサイルになる
●桁違いのエネルギーを生み出す原子力は電力社会を豊かにするが軍事利用で人類そのものを脅かす
●善意の情報を拡散させるために構築したオンラインネットワークに悪意のウィルスがバラまかれる

と、人類が築いてきた文明は、常に「夢と現実」「善と悪」が裏表の関係にあるコインのようなものなのです。

Charles Lindbergh


空飛ぶイノベーター

戦争の終結と共に飛行機産業はその進路を少し平和系に戻すことになります。
航空網の拡大と機体のスピードアップは航空郵便の精度を上げることになり、操縦術を得たパイロットの一部が曲芸飛行士となり、サーカス団と共に行動して大衆に空の魅力を伝達…

そんな平和志向の航空産業の中で出てきたのが「大西洋無着陸飛行」という浪漫溢れるキーワード。
1919年にニューヨークとパリにホテルを持つホテル王のレイモンド・オルティーグが1919年に「パリとニューヨークの間を無着陸飛行した人に2万5000ドルの賞金を出す」と発表したことから、飛行機乗り達の挑戦が始まりました。

1920年に通っていた大学を中退し、ネブラスカ州の航空会社の練習生となっていたリンドバークもまた郵便飛行を重ねながら「大西洋無着陸飛行」の夢に取り憑かれることになります。

とはいえ、6000km近い飛行距離の制覇は当時としては至難の業で多くの飛行士が挑戦するも成功者は現れず、ましてや資金力がなく用意できる機材の性能が低いリンドバーグには無謀ともいえるものでした。

ところが、彼は周囲の挑戦者の逆をいく大胆な発想で挑戦を進めていきました。

まずは機体の選考で、長時間飛行に適したエンジン3発機が主流であった中、あえてエンジンがひとつの単発機を選んだこと。
リンドバーグ曰く「3発機には故障するリスクが3倍ある」ということで、新型の軽量&低燃費エンジンを選び長時間フライトを可能にしました。
その他にも、当時注目され始めた複葉ではない単葉の翼にしたり、新たな誘導コンパスを実装させるなど、現代で言うところの「イノベーション」に取り組んだのです。

さらに、これは少し無謀でもあったのですが、2人乗り機の飛行を自分ひとりで行うことにして1座席に燃料を積み込んだとのこと。
1日半が予想される飛行に対して眠らずに飛び続ける自信があると考えたリンドバーグは「万一のことがあっても、自分だけの責任ですむ」とまで周囲に語っていたようです。

結果的にリンドバーグは、この挑戦に対する後援者獲得と資金調達を行い、1927年5月20〜21日の偉業を成し遂げたのです。

「人生は景色のようなもの」というリンドバーグの名言は以下のように続きます。

あなたは人生の真っ只中に生きているのに、遠く離れた視点からしか人生を説明できないのだから。

偉人のコトバには、成功者ならでは強い自信のようなものが見え隠れするものですが、揺るぎない「個」の力を持って偉業を成し遂げたリンドバーグからこのような発言が出てくることに一見、意外性を感じる人が多いのではないでしょうか?
おそらく「貴方にとって人生とは何ですか?」問われたと質問に対する成功者の回答は「自ら踏破した確かな足跡です」といった主観であるのが一般的だからです。

ただし、この台詞を日常社会から遠く離れたコックピットから誰も成し遂げたことのない「景色」の制覇を単独で成し遂げた挑戦者のコトバとして読み直すと見えてくるものがあります。

すなわち、主観ではなく客観。
いかなる偉業も終わってしまえば過去のもので、その意味を問われても既に自らの手から離れたものという感覚。

大西洋無着陸飛行後のリンドバーグは北太平洋横断飛行を成功させ、世界各地の航路調査事業に加えて人工心臓の開発やハワイに移り住んで環境保護活動に従事するなど多様な「景色」を見せる「人生」を送りました。

/HYOGO空飛ぶクルマ研究室 CHIEF 江藤 誠晃

【HAAM】公式ページからメルマガ登録で『空想観光学』の最新記事を配信!
登録はこちら>>


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?