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自己紹介 | はじめてのnote

いきなりでなんなんですが、先日父が癌になりまして。
放射線治療やなんかを受けつつ頑張って病院通いしてはいるのですが、
一気にきますね、癌というのは。
関係ない(ことはないけど)母も一緒にやつれてきました。
ほんの数ヶ月前まで元気に怒鳴り倒してた2人が、
なんとなく寂しいものです。


まぁ、父にはよくどつきまわされました
同じくらい母にもどつかれてました

どれだけ蹴り倒されても

「ケッ(クソ親父はよ○ネ)」
(言語化するとよけい長くなるので決して核心の悪態はついてはならない)

ってな具合で青あざ携えてそくささと遊びに行ってました。

あの頃はみんな元気がありましたから。


自己紹介

遅ればせながら私について少し。
大阪の下町の商店街で飲食店を経営している両親のもとで昭和の後半に生まれました。

phxcoyotes_097によるPixabayからの画像


その頃の私の知る限り、世の中では、

  • グリコは食べたらアカン

  • 西成では警察官が火炎瓶投げ付けられている

  • ジーパンと言えばケミカルウォッシュ

  • 口裂け女を見たらダッシュで逃げる

  • ファミコンは高いからサンタに頼んだら嫌われる


幼い子供だった私にとってグリコ森永事件のニュースは世界の終わりを伝えるニュースに等しく恐怖でしかなかった覚えがあります。

その後バブル時代が終わり、うんざりするほど根暗な氷河期時代が幕を開ける頃、私は立派に与えられた反抗期の課題を全てやり遂げ、斜に構えた知ったかぶりのまま荒んだ世の中に飛び出していきました。

結局何も成し遂げず、誇れるモノも何も手に入れられず、
どこかを麻痺させたまま折り返し地点にやってきて、


思春期真っ只中の子供の頃、躍起になって探した父のリセットボタン。
それがまもなく静かに押されようとしている事、

母の頭の中にある時限爆弾がまだ静かに動いている事、

私の記憶がまだ残っているうちに

昭和、平成、令和と、波に呑まれて粉々になった我が家のアホまる出しの記憶を
今流行りの「史実を基にしたフィクション」で
いろいろ書いてみようと思います。








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