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性別と推し活

私は小さい頃母親に女の子っぽい服ばかり着せられ三つ編みをされながら日々を過ごしていたが物心がついて気がついたら、かわいいよりかっこいいのが好きなイケメンと言われる方が嬉しい化粧が苦手な25歳になっていた。

そもそも話なぜ性別というものがあるのか、男と女が別れているのか、現代の日本では多様性という言葉で受け入れようという考えが浸透しつつあるが、逆を言えば多様性という言葉でめんどくさい細々とした事を一括りにして片付けてるようにも見える。

性別は人間を含む哺乳類、鳥類、爬虫類、魚類、植物まで、男と女、オスとメス、雄蕊と雌蕊で分かれている。オスとメスで分かれているのは子孫を繁栄させるのに都合がいいからという事は頭ではわかっているものの、産まれて25年と1ヶ月子孫を残したいと思ったことなんて1度もない。自分のお世話ですら大変なのに自分が1番信じられず怖くてクレジットカードが作れない私にはまだまだ遠い話である。
いつかQUICPayでって言ってスマートに支払いを済ませたいものである。

しかし昔の考え方がまだまだ根本にある日本では、男は外で働いていつでもかっこよくスマートでいるべきだ、女は家事をして綺麗で可愛くあるべきだみたいな考えが根底にあるが故に、様々な小競り合いがおきているのだと思う。
好きな人が現金で支払いしたの見て、まじ蛙化だわ〜とか言ってる若者はまず自分がそれ相応の人間なのか見直した方がよろしいかと思われる。そんな事を言ってるお前にこちらは蛙化である。

この世に男と女が分かれているせいで、我々人間は相当な労力とエネルギーを費やしている。
幼い頃から異性を意識して思春期になればやれやれ好きな人だとか恋人だとか、相当のエネルギーを費やしてきた。そんな思春期も終わり、大人になるとデート1つするのにも、公園のベンチに座りながら話すだけみたいなデートはあまりしなくなり、居酒屋やちょっと背伸びしていい所でお酒を飲むのがメインのご飯を食べに行ったりするが、そこでずっと問題になってきているのが、割り勘か割り勘じゃないか(ローランドみたいだな、違うか)、正味これを書いている25歳からすればそんなことどっちでもいいし、そんなんで小競り合いするくらいなら1人に1つご飯が出てくるところにご飯に行って自分の分だけ払えばいい。(大戸屋とかね)

よく女側が私たちは今日の日のためにどうたらこうたらって主張しているが、そんなの男側だって同じだと思う。両者この日を楽しみにして、自分をよりよく見せようと少なからず努力してきているわけなので、そこを主張するのは少しお門違いな気もする。
こんな小競り合いが生じるのも男と女が分かれているからである。
男が外で働いて女は家事をする時代なんて、とうの昔に終わっているのであって1996年頃にはもう、男女共に外で働いて子どもを育てる俗に言う共働き世帯が、全体の6割を占めている。
早くに結婚して子供を育ててマイホームを買うのがいつしか一般的な幸せ、それでこそ1人前みたいな考えが根本に残っており、25歳にもなるといい人はいないのか、早く結婚して孫の顔を見てて欲しいとか様々な所から圧をかけられるが、それはお前が見つけた幸せの形なのであって、私は自分で幸せの形を見つけるのでお前の勝手なエゴをぶつけないでほしい。本当に。これを書いている25歳は、子どもとか性にあまり興味関心が薄いので余計にほっといてほしい。

男女付き合いというものは、本当にコストパフォーマンスが悪い。時間とエネルギーを消費する無駄なシステムだと思う。
これを書いている25歳はよく、恋は労力と対価が見合わないからなぁとぼやくが、恋というのは対価を求めないものだと言われる事がある。その通りである。そんな事を言っているから恋愛が上手くいかないのである。

令和の日本では、ジェンダーレスとかLGBTだとか色んな性自認を認めようという考えが浸透しつつあるが、LGBT法案が可決された事により当事者は過ごしやすい世の中になったと思うが、この世に暮らし生きているのはLGBTの人間だけではない。可決した事による障害はどこかで出てくると思うし、それを利用した犯罪や、自分はトランスジェンダーなんでと言えば、全て許される世界ができてしまう可能性も視野にいれながら、今後も注意が必要であると思う。

私が男だったら芥屋さんとお友達になれたのになぁ、

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