見出し画像

催眠にかかれない僕の催眠誘導

はじめに

こんにちは、mrkです。
先日、Xでnoteの記事のネタを募集した時にいただいた意見を参考に、その最小上界的なネタを書こうってことで、こんな感じのタイトルで記事を執筆してみようかなと思います。

タイトルが「催眠にかかれない僕の催眠誘導」となっていますが、直接的な催眠誘導の技法やそういったノウハウの話はしないです。タイトル詐欺、となってしまわれた場合はすみません。
あと、催眠誘導というキャッチーナタイトルにしてますが、実情としては変性意識生成という言い方の方が、たぶんしっくりくると思います。

簡単な言葉の導入

これからの文章で用いる言葉を導入して、その説明を書いておきます。そういうのいいから、雰囲気わかればおk!な人は飛ばしてもらって大丈夫です。

注意
ここでの言葉は僕が学んだものとかから拝借した概念であって、最新の催眠に関する論文とかからとってきてるものではないです。

  • 変性意識状態(Altered state of consciousness; ASC):現実空間・物理空間・目の前の物理世界、より仮想空間の臨場感が上がっているような意識状態を変性意識状態と呼ぶことにします。

  • 臨場感:現実空間、仮想空間などに対するフィードバック強度を臨場感と呼ぶことにします。

  • トランス状態:変性意識状態の中で、特に変性度の高いものをトランス状態と呼ぶことにします。(変性度の高さについての定量的な基準はここではざる)

  • 催眠状態:ここでは、催眠術の技法で生成された変性意識状態を催眠状態と呼ぶことにします。

催眠にかかるという経験・体験の有用性

催眠にかかるという経験・体験の有用性の話からしましょう。
これは単純に、自分が経験することで、その感覚や体感がしっかりとした臨場感や細部の感覚を持って記憶されるというのが大きいです。こういう感覚、実際の経験・体験は、やっぱりかかったことがある人の特権です。そして大きなアドバンテージです。

また、武術的な感覚だと、例えば体育の授業で柔道をやる場合、背負い投げを練習するときは、投げる方も投げられる方もやりますよね。
あれに似ていて、やっぱりかけるならかかる感じがどうなのか、というのがわかっているのは貴重な武器になります。

どう有用なのか、の具体的な話はあんまりしませんが、例えばかけてるときの相手の反応の予測がつきやすかったりしますよね。
あるいは、相手に催眠にかかった状態の説明をするときに、自分が経験していればその状態をしっかり説明するだけで、被験者に有効なはたらきかけになりますし、変性意識や催眠状態、トランス状態の解像度を上げられます。
またまた、同調するなら、その同調先の臨場感やクオリティがやっぱり違います。
こういった意味で、いろいろな側面で誘導する際には、かかった経験というのは強力な武器なのです。

催眠にかかれない僕

そういう話の次に、催眠にかかれない僕、という話です。
お恥ずかしながら、催眠らしい催眠には実はかかったことがない、かかれないんですよね、僕。
(友人に誘導してもらってそれっぽくなることはできます。)
どのくらいかからないか、というと、某有名な術師の方に、「君は頸部頸動脈圧迫とかで飛ばさないと無理」と言われてしまうくらいです。

これはいくつか理由がたぶんありまして。
そもそも僕の精神構造的なものが、そういうのをあまり得意としていないというのが一点。

先に催眠の誘導法とかを、自分がかかる前に学んでしまったことがもう一点。
なので、何かはたらきかけがあると、おおよそ察知してしまうような反応をしちゃうし、おお、あれだね、って考えちゃうんですよね。

僕の経歴は以下のノートに簡単にまとめてあります。

催眠が完全に独学で、かける側の目線で試行錯誤をしてきたことのある種の弊害でしょうか。なので、実は人とかけあいながら学ぶ、ということも経験したことないんですよね。
意外ですかね?
そうでもないかな。

最後に、言葉は僕にとって思考や論理のための道具という認識が非常に強く、自分のこれまでのやってきたこととかも含めて言葉が来るとかなり頭が思考状態に入ってしまうんですよね。これはリラックスしてても、話を聞いてるときとかは頭はかなり回ってることが多いです。
(回ってないときは本当に聞くつもりがない話か、条件反射的な飲みの席の話とか雑談くらい。)

そして、このあたりの事情、特に3つ目が、僕が「非言語催眠」や「気功」などに代表される、言葉を(なるべく)用いないアプローチや相手の意識に上がりにくい、上げないアプローチへと進んでいくきっかけになっています。

催眠にかかれない僕の催眠誘導

では、そんな催眠にうまくかかれない僕がどうやって催眠誘導をやってきて、どのくらいかけられるようになってきたのか、みたいなことを簡単にですが書いていこうと思います。

催眠をかけまくる

まずは非常にシンプルですが、ひたすら催眠をかけまくる。
これは大切です。シンプルですが、大切。
自分が経験できないものを、かける側から経験してる人をひたすら観察して、自分の経験として取り込むのです。
漫然とかけるのではなく、かかってる人の特徴や反応、状態や雰囲気を細部まで観察してかける、というのが僕には効果的でした。
自分に足りないものを、こういう経験と知識で補填する感じです。

少し脱線話を。経験が浅い時代の催眠をかけることへのハードルについてです。
かけまくる時、自分もかかったことがなくて経験も浅いとうまくかけられるか不安になると思います。
これは仕方ないです。
でも、自分の技術に自信が持てなくても、理論などやいるなら師匠などの技術に自信を持つことはできると思います。こういう自信が結果的には、かけることの成功に大切なファクターだと感じています。
(そういう意味で、根拠のない自信というのは非常に強力です。)
成功が増えれば、今度はその成功体験が、自分の腕が自信になります。
なので、最初は根拠のない自信を持つくらいの感じで、ひとまずかけまくるのが大切かな、と思っています。
(以上、少し長めの脱線話終わり。)

イメージ力を鍛える

ここでのイメージ力は、上のかけまくるにも通じます。
何をイメージするか、というと、被験者の感じているものや見えている世界をイメージするんです。
自分がその人だったら何がどう見えて、何を感じているか。
それをなるべく臨場感高くイメージするのがとても効果的でした。
これも自分に足りない経験を想像力とイメージの力で補っている感じです。

詳細には立ち入りませんが、こういうイメージの力というのは伝統的に密教の世界でも用いられてきたものだったりします。
何かを想像して相手に働きかける、ということ自体が非常に強力な技だったりするんです。

瞑想からのフィードバックと瞑想へのフィードバック

催眠とは全く別の文脈で、実は僕は瞑想をよくします。マインドフルネス的な使い方だったり、ある種の思考訓練だったり、と色々な目的でやってきましたし、今でもやります。
(瞑想の時に、変性意識に入りやすい呼吸とかも合わせてやります。)

こういう瞑想での変性意識状態やリラックスした感じ、というのを、さっきのイメージの力を発揮する際のたたき台として利用していました。自分が催眠状態になれないなら、せめて(軽度の変性度であっても)変性意識状態を使おう、というあがきでもありました。

また面白いもので、催眠をかけまくることで、変性意識への自分の解像度が上がってくると、瞑想の際に自分で生成する変性意識の質もかわったような気がしました。
そういう意味で、うまくフィードバックをかけ合えたんだと思います。

簡単な瞑想法については以前にnoteの記事を書いたので、そちらも参考にしてください。

全く別の文脈でやってきた瞑想ですが、最近はこの瞑想の経験や実感が、催眠をかけたり深く誘導する際に、あるいは何かに対抗する際にとても有用だったりしています。
面白いものですね。

僕の催眠誘導

以上、催眠にかかれない僕は、

  • たくさんの場数と経験

  • 観察

  • イメージ力

  • 瞑想体験

で、足りない部分を補ってきた、という形になります。
そして僕は今でも催眠状態にはなれませんし、催眠にはかかりません。
でも、それなりに深い変性意識は生成できますし、それをある程度自由にコントロールできます。
(変性意識状態が生成できるようになったら、それを何かにアンカリングしておくのがおすすめです。僕だと印(ムドラー)とか呼吸法とかにアンカリングしてます。)

この生成した変性意識を使った技法もありますし、そこの自己観察、他者観察から今でも学ぶことがたくさんあります。
そして、この生成した変性意識、イメージした変性意識、それらを統合した世界、というのが僕のかけ手としての世界観の基本骨子だったりします。

一応、そういうものを使いながら、それなりにかけ手としては認識してもらって、一部の人たちにはちゃんと受け入れてもらえてるかな、と思います。

実際、催眠にかけさせてもらった人たちからは、うれしい声やそこそこ好評をいただけてると、(僕は勝手に)思っています。
なので、こういう形で足りないものを補って、かけ手をやるのも悪くないのかなと。
(一応、mrkという実例が1あります。他の実例の方、いましたら僕と握手!)

最後に

ここまで、mrkの自分語りにつきあっていただいてありがとうございます。
あまりちゃんと推敲してないので、完全に文章は勢いで読みにくいかもしれません。
それでも、何か学びや発見があるようなnoteになっていれば嬉しいです。

最後の最後に、僕が考える大切なものは
「理論、経験、観察、想像力」
です。
(ここでは理論が何か、とか、理論の正しさ、は言及しません。)

では、また。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?