誰も傷つかないで

以前現代文の教科書で、私たちは歴史や時代が私たち自身に向かって日々歩んでいると錯覚しがちであるといったような文章に出会い、自らの錯覚を強く認識した瞬間があった。

世界はこの70年で確実に変わってきていると思いこんでいた。同世代には、美しい地球をずっとみていたい、こんな素敵な場所で大切な人といつまでも笑っていたいと純粋な希望を持って活動している人が沢山いる。日本の友達だけではなく、世界中の若者や専門家が希望を持ってポジティブな世界をクリエイティブな方法で築いていこうとしている。一つのフェーズの切り替わり地点に立っている、と思っていた。

しかし、私が生きる「いま」も歴史の一部でしかなかった。ほんの一部にしか過ぎない、みたい。やっぱりそうだよね、といいたい。

私には、今の世界はとても距離の近いぎゅっとしたものとして目に写っている。インターネットを開けば世界中の情報とその奥にいる「ひと」と繋がることができる。世界中の地の高画質な画像や音声が簡単に手に入る。それらを通して遠く離れた国の景色や出来事などの美しさに息を呑むことも、哀しみに満ちた涙を流すこともできるの。Facebookを開けばカンボジアでできたロシアの友達がいいねをしてくれた履歴がある。地球上であれば、いきたい!と思い立った瞬間から半日程度で実質どこにでも行けてしまう。

「地球人の痛みは、私の痛み」です

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眠れない夜に

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