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インド体験記④ カッコいいおじさん達の眼について

インドの街を歩いていると、美男美女の多さに驚かされる。

一番驚いたのは別の記事にも書いたように道の汚さなのだが、そんな下ばっかり見て歩いていても面白くない。

インドの人々は顔の彫りが深く、目鼻立ちが大きくてくっきりとしている。それだけでも十分に印象的だが、さらに驚くのは彼らのプロポーションの良さである。細くて長い手足に、豆のように小さな頭部が乗っかっている。

女性として、あるいは男性として魅力的というよりも、人間として美しいのだ。

僕は日本人の中では顔立ちも濃く、目鼻立ちもくっきりしている方だが、インドの人々に比べれば僕の目や鼻などあってないようだし、等身も頭一つか二つ分くらい違うように感じる。

インドには各地に数多の観光名所があるが、ただ「イケメンや美人を見に行く」というだけでも十分な価値があるのではないだろうか。

しかし、個人的に最も目を惹かれたのは、若い美人でもイケメンでもなく、50~60歳くらいのおじさん達であった。

彼らの顔に刻まれた皺は、まるで大地の峡谷のように深く、窪んだ眼窩の奥から光る眼差しは、どこか憂いや哀愁を帯びており、どこか遥か遠い彼方にある何かを見据えているようだ。日本でこのような眼差しに出会ったことはない。

一体どのような人生経験が、あのような深遠な眼差しを生み出すのだろうか。

おそらくインドの男たちは、すべてが予定調和で進んでいく日本では想像が及ばないほど数多くの理不尽に遭い、否が応でもそれらと向き合わざるを得ない日々を送っているのではないか。

厳しい競争に晒され、何かを得ることよりも何かを失ったり諦めたりすることの方が多い日々を通して、彼らは鍛えられ、眼光が磨かれていくのだろう。

インドの人たちと仕事をしていても、そんなことを感じるときがある。

議論好きの彼らとの話し合いもいい加減長くなってきたので、日本の流儀で曖昧なまとめかたをして適当に切り上げようとしても、彼らは決してそれを許してくれない。

それをやった時点で失望され、こいつは信用に足る人物でないという烙印を押されるような恐怖感があり、僕も短い滞在中にだいぶ鍛えられたと思っている。

議論を重ねるごとに、自分の考えがより明確になり、それを表現する力も身についていった。インドのおじさん達の鋭い眼差しは、単に厳しいだけでなく、時に相手を成長させる力を秘めている。

インドのおじさんたちの深い眼差しは、日々の激しい競争や議論、そして人生における数々の試練を乗り越えてきた証なのだろう。それは単なる年月の刻印ではなく、常に物事の本質と向き合い、自らの信念を貫いてきた結果なのだ。

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