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納豆に救われた

 腹がいっぱいではよく眠れないので、なるべく夕食はとらないようにしている。

 それでもどうしてもお腹が空いてしまう夜もあって、そんな時には納豆を買って食べることにしている。

 納豆を1,2パック食べる程度であれば満腹で眠れないということもない。

 納豆は栄養が豊富な食材だとは言われているが、具体的にどんな栄養があって、それが身体にどう作用するのか僕は知らない。ただみんなが栄養満点だとか完全食だとか言うので栄養があるんだなと思っている。

 納豆はかき混ぜるほどに納豆菌が増殖して栄養が増すという話を聞いたことがある。

 それを聞いてから、貧乏性の僕は納豆はちゃんとかき混ぜて食わないと損だと思い、よーくかき混ぜて食べるようにしている。

 どのくらいかき混ぜているかというと、それはもう一生懸命かき混ぜる。

 ひどい時には気がつくと納豆の粒が原形をとどめないほどになるまでかき混ぜている。

 普段は適当に生きている僕も、納豆をかき混ぜている時ばかりは真剣になる。一心不乱とはまさにこういう状態を表現するためにあるのだと思うほどだ。

 少し前に流行ったマインドフルネスだの座禅だのを下手に取り入れるよりも、納豆と茶碗と箸さえあれば、人は誰でも無の境地に達せられるのではないだろうか。

 このように、僕にとって納豆は一石二鳥とも三鳥とも言える、救世主のような食材なのだ。


 ところで、僕は絵が下手である。

 僕に限らず、両親から始まって親戚一同を見回しても絵が上手い人は見当たらないので、絵が下手なことにかけては由緒正しく、血統書付きと言えるだろう。

 そんなわけで、学校に通っている時は絵を描く時間が嫌で嫌で仕方がなかった。

 とりわけ、なんでもいいから自由に絵を描きましょうと言われるのが一番困る。

 周囲がリラックスして楽しそうに絵を描いている中、自分だけがまるでオンラインミーティングで通信状況が悪い人みたいに固まってしまうのだった。

 こうした状況をどうにか打開できないものかと思案したところ、ある時、ふと納豆だったら描けるんじゃないかと思い至ったのである。

 とにかく小さなマルをたくさん描いて、あとはそのマルたちに絡ませるようにぐちゃぐちゃとたくさんの線を描いていけばそれだけで立派な納豆ができあがる。

 完成した絵を見た人からは、当然のごとく「これはなんですか?」と問われるが、真顔で「納豆です」と答えると一笑いが起きた上で了承してくれるので、大変重宝した。

 これはもしかすると、僕の学校生活の中で一番役に立ったライフハックと言えるかもしれない。

 絵が苦手なおまえらもぜひ試してみてくれよな。

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