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擦られまくった「社会人としての意識」への解釈

社会人になりました、博識マルゲリータです。

入社から約1ヶ月経ちましたが、絶賛研修中です。

公務員の友達は電話対応から会議までしっかりお仕事をしているようで、早く私も業務に触れたいなと思う今日この頃であります。

学生は正直集団の中でボケーっとしてても問題ないですが、いざ自分が仕事をするとなると、自分から動いていくことが求められていると強く感じる1ヶ月でした。


社会人としての意識

さて、研修中に良く出てきた言葉があります。

「社会人としての意識」

気持ちがたるんでそうな新社会人に、お好み焼きのマヨネーズくらいの心持ちで、とりあえずかけられる言葉。

抽象的すぎて言ってる本人も意味分かってないんじゃないかと思っていました。

自分なりの解釈

ではこれは一体なんぞやということですが、

私は、
「集団の中での自分の役割を、自分で造って演じろ」
だと思います。

学生の間は、大きく分けて「先生」と「学生」という2つの役割があったので、学生同士の立場は対等で、その上に先生という構図が出来上がっていたと思います。

大きな動きを先生が決めて、あとは学生がその中で与えられた課題をこなす。

先生が先にやることを決めてくれているので、残りの自分の行動は、全て自分の成果、将来の自分のためにという側面が強かったと思います。

なぜ勉強をするのか→「自分が」テストで良い点を取るため
なぜ研究をするのか→「自分が」卒業するため
なぜ大学にいるのか→「自分の」将来の選択肢を増やすため

では社会人はというと、自分の行動の先には全て誰か相手がいます。

それは会社の同期かもしれないし、上司かもしれないし、お客さまかもしれないし、あるいは社会全体かもしれない。

ここで先生はいないので、集団の中での役割を誰も与えてくれません。

自分の行動は自分で決める必要があります。

求められてから行動する人は、人から求められない限り行動しません。
それは自分で決めた行動と言えるのでしょうか。

結局利他的な人が強い

研修の中での動きを見ても、全体の利益になるように動ける人がいます。
マジですごいと思います。

ある研修でフィードバックを同期から返してもらうものがありました。

私が想像していたよりしっかり文章を書いてくれ、細かく相手を観察しているんだと良くわかりました。

自分に対して肯定的な意見でも、否定的な意見でも、自分をちゃんと見て評価してくれていることが嬉しかったです。

そういう人には、次何かしてあげようと思うので、結果的に周りに仲間が増えていきます。

これがその人なりの、「相手を主体にした行動」なのだと思います。

この1ヶ月の研修を通して、誰も何をすれば良いか教えてくれないけれど、とにかく相手のために行動するということが社会人として求められると感じました。

今後はもっと相手主体の行動を増やしていきたいです。


今回の話題に関連して感銘を受けた部分が多かったので、ここで一冊本をご紹介しておきます。

最近読んだ本ですが、タイトルの通り、まわりに良い影響を与えることがどのようにうまくいくかについてです。kindle unlimitedで読めちゃうのでぜひ。


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