HIDE G【器用貧乏の借り暮らし】

初期仏教では、自分の身体も、身の周りの物もすべて借り物だといいます。借りるのは「使うた…

HIDE G【器用貧乏の借り暮らし】

初期仏教では、自分の身体も、身の周りの物もすべて借り物だといいます。借りるのは「使うため」。 というわけで、今まで読んできた様々なジャンルの本から、その「情報」をお借りして、借り暮らしをつらつらと綴っていこうと思います。

最近の記事

位置と距離【前編】

技術と表現と自由  今から20年近く前、20代の後半ごろに読んだトレーニングに関する本に書かれていたことです。 「誰にでもできる=簡単」 なわけではない  中学校の野球部に外部指導員として出入りするきっかけとなり、また自分の身体やその使い方、野球観の変化のきっかけにもなったその本は、見た目は簡単そうだけれど、内容はそうでもありませんでした。  順を追って丁寧に理解していけば本当に目に見えて「変化」するのですが、その作業が少し面倒くさかったり、理屈っぽいとか回りくどいと

    • 本当に誰にでも描ける猫【後編】

       今回は、前回に引き続き「誰にでも描ける猫」の描き方を解説していきます。  前編、中編で顔の輪郭や耳、鼻などを描いていますので、ご覧になっていない方は、そちらからどうぞ。 マズルを描く  それでは、さっそくマズルを描いていきます。マズルは、鼻と口の間のふっくらした部分のことです。  図は【中編】の最後に出てきたものと同じです。 ① 9と15を結びます。(図8) ② 9と15を結んだ線と10と14を結んだ線、10と15を結んだ線(対角線)が交わったところに点を書きま

      • 本当に誰にでも描ける猫【中編】

         今回は、前回に引き続き「誰にでも描ける猫」の描き方を解説していきます。  前編で顔の輪郭を描いていますので、ご覧になっていない方は、前編からどうぞ。 耳を描く  さっそく耳を描いていきます。 ① 1と14を結び、顔の輪郭と交わったところに点を書きます。(図5) ② 4と15を結び、顔の輪郭と交わったところに点を書きます。(図5) ③ 正方形1、2、5、6に対角線を書き、中心(1と6を結び、2と5を結び、交わったところ)に点を書きます。(図6) ④ 正方形3、4

        • 本当に誰にでも描ける猫【前編】

          試すことは何事にも大切 「絵が描けるようになりたい」「絵がうまくなりたい」という人は結構いると思いますし、実際によく聞きます。  また「絵は才能ではない」という言葉もよく見聞きします。  結論「的」なことを言えば、「◯◯は才能じゃない」というのは、たいていの場合ウソです。  というか、正確ではありません。  才能は関係あります。  それについては一旦置いておいておきますが、人から「絵心が無い」と言われたり、自分には絵心が無いと思っていたりする人にでも「猫とわかる絵」

          大人になるとあべこべになる

          描けるから楽しい? 「そんな風に絵が描けたら楽しいでしょうね。」  私が描いた絵を見た人から、よく言われる言葉です。  私に対してではなくても、「あんなに○○出来たら楽しいだろうな。」といった言葉を聞くことはよくあるんじゃないでしょうか。  正直なところ、私は、ものすごく絵が上手なわけではありません。習ったこともありません。  絵を描く技術に偏差値があったとしたら、50よりは上かもしれませんが60には届かないといったところでしょうか。  それでも、そう言われます。

          大人になるとあべこべになる

          器用なのか不器用なのか

          器用だとしても  私がギターで弾き語りをしているのを知っている人が、私の描いた絵を見たり、DIYしたものを見たりする。  あるいは、野球をやっていて、右利きなのに左でキャッチボールしたり、右でも左でも打ったりするところを見る。  そうすると「器用だよね。」と言う。  確かに器用なのかもしれないけれど、器用ならばもっと早く(短期間で)出来るようになっているだろうし、それなりの努力というか工夫をしたり、何より丁寧にやるということを心がけながらやっているから、それなりに出来てい

          はじめの一文字、一文

          一文字書くと転がりはじめる  まがいなりにも何か1文字、1単語が出てくると、文章、物語は転がりはじめたりする。  このブログはどんな風に転がっていくのか、すすんでいくのか… 。 文章を書くということ  小学生のころ、「作文」というのがもの嫌で、それを書かないといけない授業が特に苦痛だった。  今は、作詞をしたり、考えていることを文章にして書くこともあるので、文章を書くことは嫌いではない。だから、そのころ文章を書くことが「苦手」だったのか、それとも「嫌い」だったのかは定