自己紹介


人となり

とある地方の塾屋です。2022年現在、中学2年になる子供がいます。

現場で授業(主に文系)を担当していた経験をフルに活用させてもらいながら娘と関わってきた経験をこちらで紹介しつつ、地方で学習にどのように取り組むか、その参考にしてもらえたらと思っています。
もちろん、塾屋としての経験値なども交えて記事を書いていけたらよいなと思っています。

子供のころ~高校生の最初

人口3万人程度の小さな町で生まれ育ち、小中学生のころに勉強で困ることはありませんでしたが、案の定、高校生になって勉強で躓きました。当時は「勉強なんて努力してできるようになったって意味がない」と思っていました。
小学生のころは勉強がつまらなかったですね。テストはほぼ100点でしたし、90点なんて取ろうものならショックで泣きそうでした。だから、最低限の理解力のようなものはありがたいことに身につけられていたのだと思います。
中学生になってから、学年120人くらいのところ5番前後だったでしょうか。定期テスト勉強はおおむね一夜漬け。授業は真面目に聞いていましたが、ちゃんとテスト勉強なんてしたことなかったと思います。そんなものだから100点なんて一度もとることができませんでした。もうこのころから崩壊の第一歩は始まっていたということになりますね。
高校生になって、もう最初の数学からわかりませんでした。英語も。そこに至ってもプライドだけは高かったもんで、予習をする・復習をする・・・みたいなことをしなかったのは未だにもったいないことをしたなと。そこで取り組み方を変えることができていたら・・・とは今でも思います。

大学受験の勉強と結果

いよいよ高3の部活も終わり、ようやく全国模試を受けてみたところ、取得した偏差値は「36」でした。当時はその意味すら分かっていませんでした。そこで一度目の「努力が必要である」ことに気づいたわけです。
夏休みは死ぬほど勉強しました。現役予備校まで電車で1時間かけて通わせてもらって、1日15時間くらい勉強したと思います・・・といっても、どの大学を受けるにも絶対に必要な「英語」を何とかするために勉強の7割は英語に費やしました。あとは社会。もうこの時点でほぼ数学はあきらめていました。
しかし、そのせいもあってか夏休み明けの9月に受けた河合塾の模試での英語は200点満点中176点、偏差値では67くらいに到達したのを記憶しています。国語は60くらい、日本史は63くらいでした。
とはいえ、今になって思えば英語の勉強を間違っていましたね。完全に。ふつうは動詞まわり=述語を徹底してやってからそのほかに行くわけですが、不定詞とか関係代名詞とか周辺からやり始めちゃったもんで、よくまぁそれだけの点数をとれたなと。
とはいえ、単語・熟語などの語法はたっぷりとやっていたもんで、そのあたりの語彙力で何とかしていたのだろうなとは思います。多少文法が怪しくても、単語さえわかれば会話できるじゃないですか。そんなノリだったんだろうなと。実際そうでしょうし。でも、文法をちゃんとやっていなければその辺のテストが限界ですよね。
結果として、大学は無事合格できましたが、関西では関関同立の下、産近甲龍という言い方は今でも通じるのでしょうか・・・そのあたり。関東では六大学の下、いわゆる日東駒専あたりでした。大学合格後の友人からは「その偏差値なら六大学レベルにチャレンジすればよかったのに」と言われましたが、そんな情報すら持っていなかったのでそのレベルの大学は受験すらしませんでした。そこはちょっと公開していますが、わずか半年程度の時間で結果と考えればその点は今でも満足しています。

塾屋になって

なぜ塾屋になったか。
一番の理由は人前で話をするのが苦手で、人と関わるのが苦手だった自分を変えなければならないと思ったから。次に自分が苦労したようなことを同じ地方の子供たちにはしないでほしかったから。
中堅どころの大学では、(当時は)就職にも苦労をしましたから、大学を目指すのであれば少しでも努力を重ねて納得した結果に終わるようにした方がよいと信じていたからです。
しかし驚きました。小中学生のころからとんでもない努力を重ねていることの多いこと多いこと。小中学生のころに勉強は努力の結果ではないと思っていた自分となんて比べ物にならないのです。当たり前ですけどね。

そのような刺激的な毎日はとても充実した日々でした。
勉強が得意な子、勉強を頑張っている子、勉強が苦手な子、勉強が嫌いな子・・・いろんな子供が何とか目の前の局面を変えようと塾にやってくる。そんな中でいかにその子が、その親が納得してくれる成果を出すために全力を尽くす毎日でした。

親になって

そんな私も親になりました。
私も妻も学生の頃に学習面ではそれほど努力ができなかったもので、そんな親の子が勉強が大好きになったり、勉強の方面で才能を発揮したり、なんていうことはないと思っていましたし、そこに過剰な期待を持ちすぎるようでは子供がかわいそうだと思っていました。
だから、親2人の共通認識としては、「勉強ができるようにならなくてもよいから、それでもやるべきことはやるような、人並みの努力だけは積み重ねられるような人間になってもらいたい、そのようには子どもと接していこう」というものでした。

ということで、そんな塾屋・親の経験値をまとめていこうと思います。

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