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#317 日本のマスコミはジャーナリズムと言えるのか?(特にテレビ報道)

「報道自由度、日本は70位 G7で最低、国境なき記者団」

このNEWS PICSへの私のコメントを転載します(2024年5月4日)

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日本の報道自由度は、今回だけでなくずーっと低ランクに甘んじている。この低ランキングに日本応援団の方々は不快感のコメントを出している。中には自民党などを攻撃する「左」メディアが多すぎる、などとズレた事を言う人もいる。

この低ランクは報道側の権力や腐敗への弱さが自ら自由度を妨げを招いていると思う。本来のメディアやジャーナリストの仕事は「権力の監視」にある。だから政権の味方になったり代弁することなどありえない。英オックスフォード大学ロイター研究所「Digital News Report」(2019年6月12日)で「メディアの権力監視」は日本は最低評価となっている。

日本のマスコミは、ジャーナリズムの核である「調査報道(investigative journalism)」が極端に少ないことでも最低ランクが納得できる。だから文春だけが際立ってみえてしまう。

新聞等は記名記事がほとんどなく「(クリティカルな)切り口」という論説を読むことも少ない(無責任な匿名ならネットにいくらでもある)。切れ味鋭い分析はないし、責任を負うだけの見識もない。「お知らせ」ばかりでジャーナリスト職がただの伝達人(伝書鳩)になりさがっているのだ。そこが海外の矜持あるジャーナリストと異なる。これは書誌分析(テキストマイニングによるビブリオメトリクス)で定量的に出すこともできる。

特にテレビはそれらがほぼゼロで、彼らはただ「(そこに行けばある)絵、音を撮りにいっている」だけに見える。それが例えば、”記者クラブ”である。広報、プレスリリースなどを中心とする報道は「発表報道」に過ぎない。記者会見、事故、台風、スポーツ・・・「現場に行け」「現場が好き」「伝えなければ」などと威張っても、行けば必ずあるものばかりだ。空振りなどない(時間と予算上あってはならないのだろう)。

テレビの調査報道番組といえばNHKの「NHKスペシャル」、TBS「報道特集」、日テレ系「NNNドキュメント」が代表である。このような番組で大きなスクープや賞を獲るような素晴らしい報道があった。ところがクローズアップ現代+でかんぽ生命の不正契約問題では、日本郵政の圧力で続編を放送出来なくなった。「報道特集」の金平茂紀も政権との兼ね合いで辞めたように見えた。旧統一教会、ジャニーズ問題をほとんど伝えない局もあった。ただでさえ絶滅危惧種の調査報道が、近年はさらに腰が引け萎縮してしまっているのだ。どうせ報道してくれないとなればタレコミは文春へとなってしまう。集合知としての情報が入らずハブとして扱われなくなってしまった。

余った時間に何をするのか。毎日何かが起きる天気、スポーツ、株価、訃報、芸能などで時間を埋め始めるのだ。それでも足りないと犬猫、食リポ、街頭だ。結局、その絵も各局横並びになっている。役に立ちそうな解説や専門家の説明をワイドショーで編集している。いくら知識がためになっても、これが報道ジャーナリズムと言えるのか?そんなに毎日スクープがあるわけはないが、日々の絵になるニュースを追いかけていて調査報道が生まれるわけはない。毎日まちを歩いていたら知らないうちにエベレストに登頂できるかと言う話である。

さらに驚くべきは「発展途上国でない民主主義日本にはそんな腐敗や巨悪などないから報道自由度は問題ない」というコメントもある。しかし、ジャニー喜多川事件、派閥裏金問題、旧統一教会、オリンピック談合、産地偽装、かんぽ生命不正、不正会計、不正検査、各種利権問題など多くのスキャンダルは長年に渡って静かに進んでいた。それがスクープされると「そんなの知っていた」「何をいまさら」「ウワサはあった」と言い訳されるのが常だ。田中金脈問題でもスクープで先を越されたメディアに「周知の事実」という言い訳があった。腐敗や不正は静かに行われるのが常で、絵にならないものばかりなのに。

さらにひどいのになると「ワイドショーランキング」「朝刊ななめ読み」「中吊り大賞」「週刊誌ななめ読み」など他社の内容を引用するものさえある。

海外からのレポートも現地のメディアを引用して臨場感を出す絵で精一杯という感じ。

原稿を読むだけ、引用リポートするだけの人が「キャスター」「アンカー」「ジャーナリスト」などと称しているとこっちが恥ずかしくなる。もちろん彼/彼女らの責任とは言えず組織が問題(内部からの横ヤリや忖度)なのだろう。予算も限られているのだろう。

じゃあ我々がクラウドファンディングなどでお金を出すからフリーでと思っても”記者クラブ”に入らないと何も質問できない現実。このまま行くんだろうけど、それは受け手(国民や住民)の損、権益者の益になったままということ。

私は、メディアの記者には、毎日の発表報道以外に30%ほどの時間を調査報道のための時間と予算を与え、その中の10%分は個人的に興味ある取材にさけるように待遇して欲しいと考える。もし脈があれば組織的に取り組む。長い時間をかけても。
少なくとも地道な報道活動を称賛する仕組みをつくるべきと思う。


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