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孤独について 3.岡本太郎

私も”後期老齢者”が近づき、これからおとずれるかもしれない「おひとりさま=孤独」の時間をどうすごせばよいか考える必要を感じています。
そこで、「こんな本を読んだ 番外篇」で、さまざまな人の著書をもとに「孤独」について考えています。第三回は岡本太郎の本から。

「孤独について」の目次ページはこちらです

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独断的結論】「孤独」は闘う自分の在り方

3.岡本太郎

岡本さんの『自分の中に孤独を抱け』という本をご紹介します。

冒頭から次のような言葉がでてきます。

”ひとはなんのために生まれてくるのか。なぜ生きているのか。闘うためだよ。闘う孤独者であること。それがほんとうの純粋だとぼくは思う。"

続くページ(第一章)では次のように述べています。

”人間は、孤独になればなるほど人間全体の運命を考える し、人間の運命を考えた途端に孤独になる。だから人間 一人ひとりが孤独でなければいけない。それが人間の矛盾律 だ。ひとはみな、この社会、集団のなかに生まれ、社会的存在として生きている。だが同時に、徹底的に孤独な存在だ。ひとはだれもが〝 みんな〟 であると同時に孤独なんだ。 ”

”孤独とは、しょんぼりしたり、がっかりしたり、自分の 身を引くことじゃない。〝 ぜんぶ〟の上に覆いかぶさり、 みんなの運命、全人類の運命を背負い込む。それがほんとうの孤独だ。世界即己れ。そう考えて、人間全体の運命を背負い込もうと決意する。それが十余年のパリ生活の終わりにぼくが到達した結論だ。”

”孤独こそ人間の現実的なあり方であって、狭い、特殊な 状況じゃない。人間全体、みんなの運命をとことんまで考えたら、ひとは必然的に孤独になる。孤独であるからこそ、無限の視野がひらける。とことんまで自分を突きつめ、それに徹しきれば、その究極に豁然と、人間全体の同質的な、一体となった世界が展開する。それが人間の誇りだ。”

最終章から

”一匹の蟻が倒れるとき、宇宙もまた崩れる。小さく孤独な存在が宇宙を葬り去る。そう実感せざるを得ないほどの孤独──。ぼくはそれをパリでつかんだ。”

岡本さんは、10代で感じた芸術への懐疑、すなわち現実と芸術とのズレや欺瞞を知り、20代でパリに旅立ちます。しかし、そこでも、実在者-生活者ではない自分に気づきます。

たんなる芸術家として孤独に闘いつづけてきた自分。しかし、対極に”泥くさい現実”がある。その両者の対決、対極的緊張なしには、芸術も思想もあり得ない。

そうさとった岡本さんは、日本に帰国します。その後は、ご存じのように、あらゆる既存の芸術や思想、権威に抵抗し、 闘う岡本さんが誕生したのです。

岡本さんにとって、芸術、世界、人間はイコールです。権威や欺瞞とは闘うべきものであり、孤独者として闘うもののみが、新しい世界をひらくことができるのです。

孤独とは、岡本さんにとっては闘うべき権威や欺瞞に対峙する自分の在り方といえます。


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