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立花隆『ぼくはこんな本を読んできた』について考える 10.まとめと感想

「こんな本を読んだ」の番外篇として、立花隆の『ぼくはこんな本を読んできた』からいくつかのテーマを選び、それらについて考えています。
この本を選んだ理由は、「知の巨人」と呼ばれた立花隆が。「知」をどうとらえていたかを明らかにしたかったからです。

今回は、「まとめと感想」

立花隆『ぼくはこんな本を読んできた』について考える目次ページこちら


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10.まとめと感想


【結論】立花隆にはあやうい部分があるものの、不思議な魅力がある


*対象となる範囲は、文春文庫 1999年3月10日第1刷 11~63ページです。

立花さんは仕事のためにものごとを調べるのではなく、知りたいことが先にあり、そのために仕事を呼び込んでいるふしがありました。

だからなのか、立花さんの科学関係の本は、サイエンス好きの私でもあまりおもしろいとは思わなかった。熱がない。
きっと、本には調べ終わったことを書いているのであり、調べているときほどの熱量はもうなかった。

「知の巨人」とよくいわれますが、立花さんは、自身もいっているように、一種の異常知的欲求者であり、「知欲の巨人」とよばれるべきではないか。結局、立花さんにとって「知」とは「知識」であり、「知」の「知恵」「物事を考える能力」、あるいは「物事の本質を知る」という面に無関心であった、または無頓着であったのではないか。

また、知的欲求(知的好奇心)が弱い人への差別的発言や、文学を切りすてる態度には納得がいきません。

武器や犯罪などの「知」の負の面について、立花さんはまったく言及することがありませんでした。そのような「知」へのナイーブな信頼も、あやうさを感じさせるものです。

それでも、「知りたい気持ちはとめられない」と突っ走った彼の矛盾も多かった一生に、私にもそういう部分がある分、立花さんに私は不思議な魅力を感じてしまいます。

また、立花さんが晩年、「死」や戦争、哲学、文学、宗教について多くの著作を著したのも、「知」を単なる「知識」からさらに高めたものとしてとらえる営みに至ったのだ思うのです。

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すみません。今、体力がなくてお返しのスキができておりません。ご了承くださいませ。

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