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山頂の足音

 高校時代の話である。自分の学校の「天文学部」は、「天文学」とは表向きの看板で、内実は旅と登山、写真、鉄道などが好きで、どこかに行って川で釣りをしたり、キャンプしたり温泉に行く「外遊び」は好きだ!という、他の部活動には参加できない「ゆるい」人間たちが集まる部であった。宛(あて)もなくどこかの山にキャンプに出かけ、あそび回ってご飯を作って食べて、夜に星を眺めることもある・・という活動をすることが、この「天文学部」活動のすべてであった。

 ほぼ唯一の「天文学部」としての決まった活動が4月に行われてた「新入生歓迎キャンプ」だった。毎年、数基の望遠鏡を背負って、東京の西にある「T山」から入り、尾根伝いに「J山」の山頂まで歩き、そこで一泊のキャンプを行うのである。自分も1年生の時に参加して、重い望遠鏡を担がされて山歩きをした。
 自分が2年生の春、まじめな新入生を迎えて、その「J山」までキャンプに行った。夕方に広い山頂に到着し、勝手にテントを設営し、そこにある無人の休憩所のテーブルの先でご飯を作り、食べ終わるころには、日も沈み切って辺りは真っ暗になった。その日は晴れていて、足元には東京の夜景がキラキラと美しく見える。こんなに歩いたのに、ここはまだ東京なのだと感じるくらいに街の灯が近い。しかし、星を見るには十分に暗い。懐中電灯がなければ、友達の顔や自分の足元でさえ何も見えない。ただ休憩所には常夜灯のようなものが弱く灯っていて、位置だけは分かる。
 休憩所から離れた山頂付近に担いできた望遠鏡を設置して、月面をドアップで見たり、土星を探したり、星座を追いかけたり、赤道義なので天の川の写真を長時間露光で撮影したりして、自分たち以外は誰も夜の山頂にはいないことを良いことにワイワイと騒いだ。やがて、部員たちは疲れて眠くなった順にテントで寝たり、休憩所近くの平らな広い場所にシートを敷いて直接シュラフで寝たりした。

 その出来事は、まだ夜明けには早い午前3時ころに起きた。自分は何人かで休憩所そばでシュラフに入って寝ていた。まだ寝入りばなだった・・ふと、登山道を「T山」方面からヒトの足音が近づいてくるような音を聞いた・・ぼんやりとしながらも目が覚めた。
こんな夜中に登山客が登ってくるとは思わなかったので、
「あ、望遠鏡出しっぱなしにしてた!」、と思ったら急にはっきりと目が覚めた。
 その足音は山頂の広場に向かい、そこで止まった。
 そして、こちらへ・・自分のいる休憩所のほうに足音が歩いてくるのが分かった。自分は望遠鏡が気になったので、何かされたらやっかいだなと、近づいてくる足音の方に身体をひねりシュラフから顔だけ出して、確認しようと薄目を開けてそちらを見ていた。
 あれ、おかしい・・と思ったのは、その足音だけが近づいて来たからだ。
 明かりを何も持たず、暗闇のなかを歩くのに何故懐中電灯を持ってないの?なんで真夜中の山道を電灯がないのに登ってこれるの?
 そう考えてゾッとした・・目をつぶり、耳だけが異様に冴えた。
 足音が休憩所のテーブルの端まで来た・・と思った時に足音は止まった。全身から汗が吹き出し、身体は緊張と恐怖でガッチガチになった。
・・まだそこにいるのか?消えたのか?長い時間が経ったのかわからないけど、少し確認しようと思い、ゆっくり薄目を開けたら、休憩所の常夜灯の弱い光に何かが立っているのが見えたのだ。
 それは「サラリーマン」の恰好をした男性だった。
 ネクタイをしてワイシャツを着て、スーツジャケットとスラックスをはいた「サラリーマン」だった・・暗くて顔が良く分からないが、背広を着た「サラリーマン」だった。
 なんでサラリーマンがこんな夜中に山登りしてるのか?、意味が分からなかった・・ああこれは、山で亡くなったサラリーマンがさまよって来たんだ、と思い、そのままギュッと目をつぶり、目が覚めてることに気が付かれないように、身体を固くして、早くどこかへ行ってくれと、それしか考えられなかった。
 どれだけ時間が経ったのか、ジャリっという砂を踏む足音が聞こえ、そのサラリーマンはジャリ、ジャリという足音とともに山頂広場から、そのまま暗い登山道をさらに山深いS県方面に向かって行ったように思えた。また、戻って来たらどうしようという恐怖で明け方まで一睡もできず、そのまま明るくなるのをシュラフの中で待っていた。

 その早朝、明るくなった頃にシュラフを抜け出し広場の望遠鏡を確認した。望遠鏡はそのまま広場にあった。そして、新人を怖がらせてもいけないし、何事もなかったかのように、振舞おうと思った。眠そうに部員は起き出し、テンション低めで朝食の支度をみんなで始めた。持ってきたホットドッグ用のパンに炒めたソーセージと刻んだキャベツを挟んで食べた。
 食後のコーヒーなどを飲んでなごんだ後に、さて撤収しようか・・と思ってた時に、突然新入生が「あの・・昨日の夜、誰か登って来ませんでしたか?」と言った。それを聞いて、他の誰かが続けて「やっぱり!?いたよね?俺テントの中にいたけど、誰かがテントの周り歩いてる音がした・・幽霊だと思って寝られなかった・・」と言いだした。
 さらに誰かが、「暗かったけど、ぼんやり月の明かりで・・なんかサラリーマンみたいな恰好してたような気がする、靴も革靴みたいにツヤツヤのヤツだった」と言いだした。他に「足音が奥の登山道に向かって行った、怖くてずっと震えていた」、という自分と同じことを話す部員もいて、あれは何だったんだ?

 なんと部員の3割ほどが、その足音に気付き恐怖したと語り、2名程がサラリーマンだったと語った。足音だけで、足は見えなかった、という話をする部員もいた。俺たちは幽霊を見てしまったのか?・・見てしまったんだな、ということで、この山頂の「サラリーマン」の出来事は高校の「天文学部」の歴史に刻まれ、いまでも同窓会で話される鉄板ネタとなっていた。
 そして、この事件以降、望遠鏡を担いで「J山」に登る新歓ハイキングは行われることは無くなったのだ・・。


【後日談】
 アメリカにいると普段出会えないような、多くのおもしろい体験を持つ人生の先輩方との出会いがある。
 かつて、掛かりつけになっていた日本人カイロプラクティックの先生からこんな話をきいた。彼は若い頃、登山好きが高じて修験道の集まり?に参加してたことがあるそうで、結構変わった修行の方法をしてる派閥がままある、という。その一つに、スーツにワイシャツ、ネクタイ、革靴で昼夜を問わず山々を縦走する、山をご神体と捉え、常に正装で山に向きあうことを是とし、月明かりだけを頼りに修行を行う一団があった、というのだ。
 正装をしないまでも、夜通し、何も持たず、軽装、短時間で山々を縦走することを「カモシカ山行」と呼び、多くの人がこれを行う、と話してくれた。それを聞いて、自分の高校時代の体験と、その話がリンクして、あぁ!と思った。
 そこで、その自分の体験をそのお医者さんに話したところ、
「あ、それは、たぶん「カモシカさん」だったと思うよ」と同意してくれた。彼によれば、観光用に整備された登山道など、毎日山を住みかとしてる修行者には、夜中でも月明かりで何の問題もなく歩けますよ、という。
 
 数年前にそのお医者さんから聞いた話を、「天文学部」の同窓会で話した。みんなとても喜んで、笑い話にできて良かった、実はトラウマだったから怖くてあれ以来キャンプできなかったんだ、と言う部員もいた。
 自分もそうだった・・その結末で、この「幽霊騒ぎ」を閉めておきたいと思う。


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