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新しい信頼とは

昨日、2つのイベントに参加しました。一つは、ウイングアーク1st社が開催したUPDATAというイベントで「データとヒトがつくる“次代”」がテーマ。主催者やその事業紹介が目的とはいえ、これだけのイベントに無料で参加できて、時代の先端を垣間見ることができるというのは、本当にありがたいことです。

もう一つは、哲学対話の会です。初めての参加でドキドキでしたが、テーマに沿って考えて、他の方の意見を聞いて「あーなるほど」と思って、考え直す。自分の意見を述べながら、足りないことに気づく。普段は、仕事も含めて、一人で納得するまで調べて考えて、自己完結することが多いのですが、この思考の繰り返しは、楽しい体験でした。全てに共感はできなくても、結論のないテーマを共有しただけでも、どこか気持ちが軽くなった気がしました。こちらの話はまた改めて。

労働から活動への転換

さて、私が参加したUPDATAのセミナーに登壇されたスピーカーの方々は、20代から40代くらいまででしょうか。印象として、若い方たちほど、時流に乗って、この時代の変化を非常に楽しんでいる。規模や国境を超えていく。笑顔が多い。もちろん彼らの同世代の全員が同じだとは思いませんが、「世界を変える3人のトップリーダーに訊く~テクノロジーで巨大産業をアップデート~」では、若いベンチャー企業の社長さんたちが「報酬よりも仕事の面白さで動く」といった趣旨の発言をされていました。そこには最早、どこかに苦痛を伴う「労働」という言葉の居場所はないようにも感じました。私もあと20年遅く産まれたかった!いや、オジサンはオジサンらしく、彼らを見習って、この時代を楽しまないと!

彼らの言葉が象徴するように、IoTやAIといったビッグデータを前提としたテクノロジーが、経済競争(所有)の道具として使われる時間は、それほど長くはないと感じます。恐らく、若い彼らが得たいのは、彼らの活動を妨げないだけの資金、つまり社会からの支援と、社会を幸福な方向に進めているという実感であって、仕事が生活のための労働から、自己実現のための活動へシフトし始めていることを感じます。

そして、いくつかのセミナーでは、やはり、産業構造が、所有から共有(あるいは利用)へ移行していることが、紹介されていました。

信頼4.0

石山アンジュさんのセミナー「Future Trust ~データ時代に求められる「信頼」のデザイン」に、「信頼4.0」という概念の提案がありました。提案と言っても、まだその形はなく、3.0の次はどこに向かうのか、という、来場者への問いかけでした。ちなみに1.0は、地縁などのローカルな人間関係に基づく個と個の信頼、2.0は国や制度(法律)、企業(ブランド)などが担保する信頼、3.0は情報テクノロジーを土台にしたスコア、レーティングによる分散化された信頼(食べログやアマゾンなどのユーザー評価など)と話されていました(下記リンクを参照)。

中国では個人の信用スコアが浸透しつつあるようです。日本では炎上しがちですが、本名ではないにせよ、ベストレビュアーといった個人へのレーティングもありますし、リツイートやいいねなども、個人への評価です。ユーザーはそれ(共感)の欲しさに投稿する訳です。また、クレジットカードや融資でも信用の評価が行われています。クレジットカードのグレード、住んでいるエリア、所有する車なども個人の格付けの表現方法のひとつです。

これをどこまで拡張するのがよいのか。信用は不信と一体です。信用を求めるほど、不信は拡大します。生物が棲めないほどに汚れた水は、棲めるようになるまで浄化した方がよいでしょうが、だからと言ってやりすぎると、「水清ければ魚棲まず」になってしまい、決して住みやすい世の中にはならないでしょう。

この信頼4.0は、講演後に参加者からも質問が相次いでいました。石山さんもまだわからないということでしたが、質問されていた方も仰っていたように、一方では1.0の世界への回帰という選択肢があると思います。地縁、血縁だけではない、自分が選んで所属するコミュニティ、石山さんが実践されている拡張家族も一つの形だと思います。

SDGsやSociety5.0を背景に、所有から共有、労働から活動にシフトした世界で、私たちは自らの存在をどの信頼のネットワークに置くのか。答えは時間をかけて自然に選び取られていくのでしょうが、必ずしもテクノロジーが、その全ての土台になる必要はないでしょう。関係人口という考え方も出てきました(Qターンにもつながります)。私自身はなるべく楽観的に考えたいので、いずれにしても何らかの形で、互助によるネットワークの世界は広がっていくだろうと考えています。

意外とこの世界の終焉は近いのかもしれませんね。


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