カレンダーの向こう側〜農家のお茶の間〜 Vol.9 【梶原 啓・知子さん】日本の食料自給率を考えることから始まった農業。もっと農業を選びやすい社会に
現在、農家プロデュース&デザイン集団の「HYAKUSHO」では、クラウドファンディングプラットフォーム「CAMPFIRE」を通じて資金調達に成功した「農家さんの 365 日をそのまま伝える HYAKUSHO カレンダー」の制作プロジェクトを実施中です。
カレンダーは、ひと月にひとりずつ農家さんをご紹介。農家さんへの取材から見えたストーリーを通して、農家さんと消費者を繋げることを目指し、2022年に向けてお届けできるよう、走り出しています。
WEB連載「カレンダーの向こう側〜農家のお茶の間〜」では、農家さんへの取材から見えた「つくり手の生き方」を、より詳しくお伝えしていきます。ぜひ読者の皆さんにも、農家さんと一緒にお茶を飲みながら、お話を聞いているような気分を味わっていただけると幸いです。
今回の農家さんは、長野県松本市四賀地区にて『四賀梶原農園(しがかじわらのうえん)』を営む梶原 啓・知子(かじわら あきら・ともこ)さん夫妻。今でこそ長野県には移住者は少なくありませんが、まだ移住者が少なかった2010年の7月に東京からIターンし、四賀地区の山間部に就農しました。
就農した理由は「日本の食料自給率の低さを、そのままにしておけなかった」から。「もっと農業を選択しやすい職業にするために、働き方を示すモデルとなりたい」と語るおふたりの志について伺いました。
英語表記で広がる市場。地域と県外へ届ける
おふたりからお話を伺った農園倉庫には、多くの段ボールがありました。梶原農園では野菜の定期便を行っており、個人のお客さんにも送られています。これから発送される箱の中には、農園で栽培された野菜7~10品目が入っています。
知子さん「FacebookやInstagram、口コミで知っていただいたお客さんに送っています。外国の大学で過ごした経験を活かして、英語での投稿をしていることから、在日外国人の利用者も多いです。」
多くは関東地方に運ばれています。インターナショナルスクールのカフェテリアでも食べられているそうです。
県内では、松本市街地にあるスーパーや、地元の給食センターが納入先。四賀地区の小中学校合わせて300人ほどの子どもたちの給食に使われています。
啓さん「給食センターの栄養士さんが、野菜を使った献立を作ってくれています。今日も栄養士さんが視察に来ていました。私たちも給食を食べたことがありますが、とっても美味しく調理をしてくれるんです。」
地元の子どもたちは、地元農家の野菜で育ちます。
食料自給率を上げるために就農する
かつて東京の建設コンサルタントで、サラリーマンとして働いていたおふたり。建設予定となる道路の経済的な分析、政策の決定をするための資料作成などを担っていました。
ずっと机の上で資料に向き合ってきたおふたりでしたが、次第に、実際に現場に出てものづくりをしたい気持ちがだんだんと出てきたのだそう。そんな時に聞いたニュースが就農のきっかけになりました。
知子さん「『日本の食料自給率が低い』と新聞で見て『なんでみんな農業をやらないんだろう?』と思ったんです。食べないと人間は死んでしまう、人間を支えるのが農業なのに、どうして農業がおろそかになることが許されるのでしょうか?」
なぜ農家さんが少ないのか、大変だから少ないのか、大変じゃなかったらみんな就農しているのか…。そんな疑問がぐるぐるとあったのだそう。
知子さん「そこで『農業がサラリーマンのように勤め先の選択肢としてあがるようになれば、農家が増えるのではないか』と考えたんです。農業をやりたい人がいれば、東京一極集中ではなく、地方にもっと多くの人が移住します。そうすれば、『地方を盛り上げられるのではないか』とも思いました。
法人化して、人を雇用し、サラリーマンのように週休2日取れるようにローテーションを組んでビジネスとして安定させるシステムはどうだろうか、と。
それを確かめるために、『私たちが農家になって、そのモデルを実行しなければならない』と、就農を決意しました。」
サラリーマン時代から「社会貢献」を軸に働いてきたおふたり。「日本の食料自給率を上げる」ことを目標に脱サラした後、農業研修に通い、最終的に親戚のいる松本市で就農を決意しました。
理想と現実。そして、やりがい
有機農家として理想を掲げて就農したものの、難しい現実もありました。
知子さん「失敗もたくさんして『そりゃ農家になんて、ならないよね。』と納得した部分も多い(笑)。」
啓さん「就農当時と比べると、気候はガラッと変わっているので、栽培方法も合わせて変えていかなければなりません。」
自然を相手にするので、どうしようもないところもたくさんあります。気候や土の状態によって、毎年対応策が変わるのが農業です。そして、野菜が育たなければ、当たり前ですが収入は減ってしまいます。
とりわけ化学的に合成された肥料及び農薬を使用しない有機栽培は、難しい栽培方法。病気や雑草、害虫などの対策に農薬や化学肥料を使う選択肢もありますが、できれば使いたくない。
啓さん「例えば、薬を使えば害虫駆除の面では楽になりますが、同時に土壌に良い働きをする微生物も死んでしまいます。自然環境にもよくない。
そうすると『何のために作っているのか』と自分達の農業に疑問を持ってしまう。それはしたくないのです。」
大変さを実感した農業。一方で、やりがいもたくさん見つかっています。
啓さん「自分で計画して実行に移すことができるのは、とても楽しいですね。誰かに言われたからやるのではなくて、自分で決めた方針で動いてみて、その結果が野菜に表れる働き方が、私たちに合っています。」
知子さん「後悔も多いですけどね。今年は、この時点で反省点ばっかりなので『早く来年になって、それを早く活かしたい』と思っているところもあります。(笑)」
最近では、畑の見た目にもこだわる余裕が出てきました。
啓さん「草刈りをしたり、花やハーブを植えたり。自分達はもちろん、この畑を見た人も癒される空間にしたいんです。見た目にこだわれるのは、心にゆとりが出てきた証拠だと思います。
畑からパワーを感じられるような、”魅せる農業”にも挑戦したいです。」
みんなでいい方向に行こうじゃないか
反省を活かして進んで来た農業ですが、毎年良くなっている実感がモチベーションになっています。
啓さん「勘所が良くなる、と言うのでしょうか。『このタイミングで、これをやっておけばいい』というのが分かるようになりました。」
事前に勉強しても、実際にやってみなければ分からないことが多いことも実感したのだそう。土質や、山間部地域の野菜への日当たりなど、年を重ねるうちに分かってきたものがあります。
長野県が定める、新規就農里親制度の先進的農業者(里親)に登録しているため、今後、農業研修サポートを受ける希望者がいれば、受け入れる体制を取っています。農業大学卒業者を対象にした支援制度です。
知子さん「雨の日でも台風の日でも、毎日野菜を相手にやらなければいけないことが多い。『本当に農家になりたいのか?』を、就農する前に知りたい方はウェルカムです。『こんなはずじゃなかった』と言うことが無いように、確かめてほしいですね。」
啓さん「当初描いていたサラリーマン的な農業を叶えるための法人化は、まだ難しいですが、農家になりたい方々に向けて、私たちの地方での暮らし方や働き方を、ひとつのモデルとして、少しずつ情報提供できたらいいな、と思っています。」
社会課題も、自然の在り方も、都市計画も、全体的に良い方向へ向かうことを目指した農業。これからも農家のモデルとして、就農希望者の良き相談者を目指します。
梶原啓(かじわらあきら)
1975年東京都生まれ。約10年間のサラリーマン生活後、千葉県成田市にて有機農業研修を受け、2010年に長野県松本市(四賀地区)にて就農。無農薬・無化学肥料、自作の有機肥料で野菜を栽培。就農直後に鹿・猪による被害を受けたことから、狩猟免許(猟銃及び罠)を取得、松本市の有害鳥獣捕獲業務にも従事。春から秋は畑で仕事、冬は山で薪の切り出し。「こんなにアウトドアな人生になるとは思ってもいませんでした。」
梶原知子(かじわらともこ)
1976年兵庫県生まれ。夫と共に農業研修を受け、就農。農作業全般に加え、経営、経理、圃場計画を担当。就農当初から土の中の微生物を増やすことを心掛けてきたが、近年海外で盛んになっているRegenerative agriculture (日本語で環境再生型農業)に感銘を受け、不耕起や緑肥・被覆作物を取り入れ、より微生物層を豊かにする農法への変換を図っている。「土壌微生物に関する新しい研究に触れ、改めて、植物と微生物の共生関係に驚かされています。」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?