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カレンダーの向こう側〜農家のお茶の間〜 Vol.10 【中村 優太さん】SNSで伝えて広がる農業の魅力

現在、農家プロデュース&デザイン集団の「HYAKUSHO」では、クラウドファンディングプラットフォーム「CAMPFIRE」を通じて資金調達に成功した「農家さんの 365 日をそのまま伝える HYAKUSHO カレンダー」の制作プロジェクトを実施中です。

カレンダーは、ひと月にひとりずつ農家さんをご紹介。農家さんへの取材から見えたストーリーを通して、農家さんと消費者を繋げることを目指し、2022年に向けてお届けできるよう、走り出しています。

WEB連載「カレンダーの向こう側〜農家のお茶の間〜」では、農家さんへの取材から見えた「つくり手の生き方」を、より詳しくお伝えしていきます。ぜひ読者の皆さんにも、農家さんと一緒にお茶を飲みながら、お話を聞いているような気分を味わっていただけると幸いです。

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今回の農家さんは、長野県山形村で『中信ふれっしゅ』と活動名を掲げる中村 優太さん。江戸時代から、先祖代々農業を続けてきたこの地で、スイカやスイートコーン、長いもを中心に作っています。

農家の生活を伝えるため、SNS媒体であるインスタグラムを2020年5月から始め、2021年9月にはフォロワーは5800人超え。「子どもの頃は継ぐつもりはありませんでした」と語る中村さんですが、今では「やった分だけ成果が表れる」と、農業に夢中の様子。東京でのサラリーマン生活を経て行き着いた、農家としての生き方を伺いました。

SNSで広がった世界

 2020年5月から始めた中村さんのインスタグラムは、アカウントの開設時から毎日投稿を続けています。コロナ禍での商品のPRや、情報収集などを目的として始め、投稿される写真は、農業をしている中で見える景色です。

「野菜の管理のため下を見ているところから、ふと顔を上げてみる。そうすると、視界に広がるのは青く澄んだ空や、大地に列を作って続く青々とした野菜。『綺麗だなあ』と、今でも感動します。」

コツは、普段とは異なる目線から撮影すること。スマホで撮影し、活動名「CHUSHIN FRESH(中信ふれっしゅ)」のロゴを画像に入れてアピール。そして現在作っている作物を載せることで、作物を紹介することもできます。

「例えば、うちのスイカに信頼を置いてくださっている業者さんが、僕らの投稿を見て『ほかの野菜も取引をしたい』と、スイートコーンの卸が始まることもあります。」

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さらに、農業の作業着ブランドやサングラスのブランドから、SNS上で商品紹介する役割となるブランドアンバサダーを依頼されるようにもなりました。

「農作業時のワークウェアや、サングラスをご提供をいただいて、僕が着用して写真を乗せています。まさかモデルのように自分の姿を乗せるなんて、思わぬ展開ですよね。母に撮ってもらうので、少し恥ずかしいですけれど(笑)。」

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東京のサラリーマンを経て、農業の魅力に気づいた

江戸時代の1701年から先祖代々農業を続けてきた中村家。中村さんは農地のバトンを現代に引き継いでいます。

今ではやりがいを見出している農業。しかし、20代前半までは継ぐ気はなかったのだそう。

「休みの日に家族に駆り出されて手伝っていましたが、やる気は0でしたね。ゲームやパソコンが好きだったので、そのまま東京でシステムエンジニアとして就職しました。」

会社では朝から日付が変わるまで働くという仕事量の上、数百人の社員に向けた社員旅行や、設立記念パーティーなどの企画係も回ってきました。

「仕事だけでさえ忙しいのに、社内イベントも山積みで……。いろいろ考え抜いた結果、高齢になった時の勤め人としてのキャリアに不安を覚えて、退職することを決めました。」

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退職後は、東京でWEB業界のアルバイトをしながら、再度サラリーマンとして働くために就職活動をしました。しかし、改めて実家の農業を手伝うことがあり、今度は子供の頃と打って変わって、農家の仕事に魅力を感じられたのだそう。

「サラリーマンは、忙しい月でもそうでない月でも同じ収入です。しかし自分たちに裁量権があって営んでいく農業では、やればやるほど収入や野菜に、直接成果が表れる。そして、身体を動かす働き方は、気持ちがいいことに気付きました。

子どもの頃には全く興味がなかったのに、一度東京に行ったことで、農業に魅力を感じることができたんです。」

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自分が食べたいものをつくることが、安心・安全の証明になる


家族と共に農業を営み、今年で6年目。栽培方法については、先輩たちから学んだり、本を読み漁ったりして勉強しましたが、はからずとも、子どもの頃に手伝った記憶が役立っているのだそう。

就農した初年度、勉強のために作付けから販売まで任されたスイートコーンは、今では人気作物になりました。

「3年ほど前、名古屋にある卸業者で開かれたコンペのスイートコーン部門で1位を受賞したんです。

従来、イネ科であるスイートコーンには、土の体質改善をしてくれる効果があります。同じ畑に同じ作物を続けて育てていると病気になりやすい状態となる、連作障害を防ぐための補助的な作物として植えていました。コンペで1位を受賞してからは注文が増えて、作付け量は右肩上がりです。」

中村さんのスイートコーンは、生で食べても柔らかく、甘いことで人気です。

ほかにも、ブランドスイカとして、新種の小玉スイカ「ピノ・ガール」を手がけます。種が小さい品種のため、種を気にせずそのまま食べられるスイカです。さらに大玉のスイカ、白ネギ、山形の特産品である長いもなども扱っており、中村さんが就農してから6年間で農地面積は1.5ヘクタールほど増えました。

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中村さんが作物をつくる時のこだわりは、味と品質の面で自分が食べたいと思うものをつくること。

「農薬をやみくもに使うのではなく、必要最低限の量に抑えて、心置きなく毎日食べられる、美味しいと思えるものを作りたいと考えています。

僕は、スイートコーンやスイカを毎朝食べて、味や品質の確認をしています。それが、味や安全の証明になります。」

この職で、この地で生きていく

中村さんは、本業である農家の仕事以外に、消防団や体育部、長野県認定農業士の県理事など、地域ならではの役割を多数引き受けます。

農業の合間にこれだけの役を務めるのは大変のはず。前の職場では、仕事に関係ない役割に、意味を見出せなかったと言いますが、現在の役割には引き受ける理由があります。

「この地での役割には、仕事に直接的に関係がなくても、意味があるんです。地域の役割を通じて、人との出会いや、助け合いが広がっていく。

この地で農家として生きていくのですから、僕にできることをやっていきます。」


大人になって再発見した農業の魅力。今後も、農業のやりがいや、地域の繋がりをベースに、SNSでの発信や、作物の信頼を高めるための活動を、意欲的に行っていきます。

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中村 優太

1988年生まれ。長野県山形村で元禄14年(1701年)から続く農家の17代目。
「今日も空が青いな~♪」が口癖で、食べることが大好きなクマ。
畑の土は、長い年月をかけて堆積した火山灰土を多く含む粘土質の黒ボク土で、上高地の清らかな水を水源としている高原。
この自然の恵みを活かしつつ、先祖代々蓄積してきた徹底した施肥設計と管理作業で、まごころ込めて美味しい野菜たちを育てている。SNSでは農家の日々を通じて、農業の魅力を発信している。


中信ふれっしゅInstagram


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