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写真以前

こんばんは。

自分が写真を撮るときに意図せざるとも出てしまうものってなんだろうな。

それは、おそらく傍観者的な視点なんだろうと思う。

写真をはじめるまで、余計なことはしない主義だったから、傍観者的な視点が強くなってきたのかもしれない。同じ帰り道でも同じには感じないマインド。一歩歩くごとに変わる光、世界。だから、場所を選ばないスナップ的なポートレイト向きなんだと思う。

今だから言えるけど、高校の頃は桎梏だった。

授業が終われば、すぐ帰宅するけど、途中音が聞こえなくなる瞬間があった。自分がなくなるような、透明になるような。

効率的に余計な時間を排除し、受験対策をするつもりもモチベーションは皆無だった。浪人して、本を買うようになって少し世界が拡がった気がした。

それでも、自分ひとりなのは変わらない。同じ高校出身でも知り合い程度で、深い会話はしないし。隣の席の子にも、あまり話せなかった。虚栄とコンプレックスが躊躇させたのかもしれない。

結局、第一志望は落ちた。でももう前に進もうと思った。第一志望でビリでいるか、第二志望でトップでいるか。答えは明らかだった。楽なほうを選んだとも言えるが。

打算と計算で選んだ選択は、結果的には成功する。「ゆとり」が生じたことと「変わりたい」という衝動が今までなら絶対にしないであろう選択をする。

大学ならではの経験もした。何度かの失恋と家族としっくりいかず、深刻な精神的危機を迎えはしたけど。

本当はここで一人暮らしを始めればよかった。家族であっても近すぎると、関係は悪化することがある。「故郷は遠きにありて思ふもの」である。

就職は、第三志望だった。けれど、結果的にこれはよかった。やりがいが一番わかるところだから。

仕事ができるようになるため、必死だった。仕事だけしていると、摩耗してくるのがわかった。そうしているうちに、同期で付き合ってたり、結婚した話を聞くようになる。そういったところに割り込んだりする時間はまだなかった。

仕事もある程度できるようになって、コンプレックスを意識しないまでになってきた。この頃には、素とキャラクターの境界は曖昧になっていた。「我思う、故に我あり」と同じで。

仕事に追われる中で、たまたまカメラを特集した雑誌を手に取った。コンデジはもう使ってたけど、なんでもできるのに飽きてしまっていた。

そこで、Leicaと出会う事になる。X1でいろいろスナップした。単焦点の35ミリ相当で、AFも決して早くないし、ズームもない。でも、制限されたおかげで何を撮っても楽しかった。お散歩だけでなく、祭りやジャズフェスなどのイベントにもよく出かけた。人がいる写真がいいと思ったのは、その頃で、M6をメインにする。

ピント合わせにだいぶ苦しんだけど、出てくる写真は好きだった。なんでもない風景でもね。M9PからM10になって、薄くなったボディはすごくよかった。

もう、主軸はportraitに移っていた。それでも、撮影手法、視点はスナップ的で、即興で撮ることの方が多かった。大まかなイメージとその時の反応に対応する方が向きって気がする。

スナップは、自律的なようで、意外と受動的だと思う。このあたりは、ポートレートにももれなく反映している。構えずとも出てくるものを撮りたい気持ちが強い。



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