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生活はできそう?

ふわっと死にたくて。なんかこう、ものすごく綺麗な夕暮れを見た時に こういう日がいいよな、みたいなのあるじゃないですか。そんな時に後先考えずに逝きたいなと思ってる。

死にたい死にたい言ってるうちは死なない。あれは衝動的だと思ってるから、ただ積もり積もったらまじで本当にやるし、死ぬ あたしみたいな人間はきっと外に出さなくなってからが勝負なんじゃないですか?なあ、そうだろ。まともに生きてるふりはしなくていいよ、きっといずれ駄目になるから一緒に沈もうな 這い上がろうとしないでいいよ、いっそ鳥とかだけ眺めて過ごそう カルピスとか飲みながら。


希死念慮についてなどいくらでも書けるし言える、言葉って口にした、手放した瞬間に自分のものじゃなくなるから。だから自分も1歩引いて傍観できるしその為の投稿だったりする。
でもね、本当に死のうとした話なんて人に話したりはしないよ、そして、しないでね。相手のためにも、自分のためにも。これは約束。



最近ホロコーストの本を読みました。
いまから昔のことだけど100年も経っていない話。違う人種というだけで どんな職業、キャリア、老若男女、なにも関係なく "たまたまユダヤ人だったから" という理由のみで全てが悪と決めつけて、人権をなくし命を奪い、同じ人間が同じ人間を殺してというのは二度と繰り返してはいけない歴史だと強く感じている。

筆者がライターではなく写真家だからこそ、ものの見方、そして事実を脚色せずすべて生々しく語っているのが印象的だった。家族、近所の鳩飼いのおじさん、写真館に通う親衛隊、地下活動の人々、収容所の移動の列車内、戦争後の人との関わり方の葛藤…出会った人間すべてをスポットライトに当て、点と点が繋がっていくのが大層興味深い作品で。
元々ホロコーストのテーマを扱った文学や映画が好きだったところはあるけど、それはもう。久しぶりに深く考えるきっかけになった、おすすめです。

アントンが飛ばした鳩

一気に読んでしまい、入り込みすぎて自分がどこの時代生きてるかわからなくなった 2023年。


あくまでも個人的な見解だけど、差別は無くならないと思うんですよ。絶対に。
基本的に人間なんてどれだけ大切な相手でも、分かろうとしても分かり合えないんだから。差別を抜きにしても人によって人の好き嫌いがあるのもそうだし、まず、肝心なことはいつも何も分からない。

だから違う思想、違う世界観、違う恋愛指向。100%相手を理解する無理な話だろ、と思うんです。どうしたって分からない部分がある。
ただね、減らすことは絶対にできる。相手を尊重することはできるでしょ。人は理性で生きてない、考えられるんだから。一歩踏みとどまることができる。
好ましくない相手でも、自分には分からないことがあっても、理解しようとする心、心があれば通じ合えるものもあるはずなんだ。
でもいつだってこれが出来たら困らないよな。期待せずに生きるなんて言わなくていいのに。自戒。


結局、この世が地獄だと思っている。相変わらず、わたしは強くそう思っている。
だから神様なんて形つくって信仰してるんだろうし、見えないものに縋っているし、ずっとどこか救われようとしてる。死後の世界も形作るし。無理して足掻いて生きてる気がする。いいことと悪いこと、希望と絶望、この繰り返しでさえ。どちらも知ることで現世を諦めきれないように設定されてるんじゃないかと未だに、考えてるよ。

まあでも、死んだらパルム食べられませんからね。安納芋のやつ食べた?
めちゃくちゃ美味しいよ。この世はパルム。そんなんでいい。


真夏のピークも去ったよ。無理はしないでね。
あたしも、あなたも。


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