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みんな、林業やめよう

前の標準単価と実態の乖離に関する記事をいろいろな方に取り上げていただきました。有難うございます。前から分かり切っていたことではありますが、安全な作業ができる価格で補助金が設計されていないという認識が現場では常識であることを改めて感じました。この状態で「危険な作業をしないでください」と言っても効果がないことは明白ですし、ずっと高いままの千人率の推移が証明しています。林業従事者の命は安く見積もられ続けており、現状の延長線上に未来はありません。

狂気とは即ち、同じことを繰り返し行い…という言葉を思い出す

そうだそうだ!もっと言ってやれ!的な応援も頂くのですが、国から厄介者の認定を得るのは全く楽しくありません。特に国の補助事業で生きている身としては恐ろしい話です。僕の声が埋もれるくらい、みんながいろいろ調査したり質問したりして欲しいというのが正直なところ。たとえば「令和4年度 森林環境保全直接支援事業工程分析調査事業の報告書では標準単価の改正が必要と記載されていましたが、いつ改正されますか?」など聞いてみたり訴えたりするのが良いのではないでしょうか。たのむよ。

なお、林野庁さんもきっとこの問題は認識しているでしょう。今年度の「森林環境保全直接支援事業工程分析調査事業」ではそもそもの調査方法についての分析を行っているようです。昨年度の報告書では「かかり木処理をした間伐のほうが、かかり木処理をしない間伐よりも早く作業が進む」という摩訶不思議な調査結果が出ていたのでさもありなん。正しいデータをもとに、正しい標準単価が設定される未来はきっとある。それが早く訪れることを期待しましょう。本当は今来てほしいけど。人が死んでるんだよ。

ところで。標準単価の改正を進めていった結果として

「確かに現在の単価では危険な作業だということは分かった。3倍の単価をかければ、安全な作業ができるらしい。でも3倍なんて高すぎるよねえ。
 みんな、林業やめよう!

となる可能性について、みなさんはどうお考えでしょうか。

狭義の林業において、産業の主目的は素材の生産です。購入するのは製材所やチップ工場、輸出業者など。どこに聞いても、余裕はないと言われます。「生産の安全確保のため、原木価格は今までの3倍になります」と言ったところで、誰も買えないのではないでしょうか。「日本は仕方がないんだ、ヨーロッパに比べると急峻だから」という声が上がったりしますが、その場合に正しい選択は本来、生産をやめることでしょう。「北海道は仕方がないんだ、沖縄に比べると寒いから」と言いながら燃料焚いて超高コストなパイナップル栽培をするひとはいません。

「日本は急峻だから」という時の心象風景

僕のいる西粟倉なんかも典型的な例なんですが、日本で今林業やってるところのほとんどで、本当だったら林業をやるべきではないのでは…という仮説を僕はもっています。いろんな方面からぶっ飛ばされそう。でもやっぱり、素材生産という産業は平坦で、道がつけやすく、大規模に集積しやすい場所でこそやるべきでしょう。地形を見て「ここならギリ林業できる」レベルでやるのではなく、「ここは林業に適している」と言える場所のみ、やるのが正しい在り方ではないでしょうか。適地適木、適材適所です。うーん、やっぱりハーベスターがうちの事務所に突っ込んできそう。

それでも敢えて、適地外で林業を進めるべき理由を考えてみます。安全性を確保したうえで林業従事者が十分な給与を得られる未来があるとして、その場合のパトロンは誰になるのでしょうか。

ひとつはやはり、地球環境や生態系の維持保全でしょう。日本はパリ協定で炭素排出を減少させる約束を国際社会にしており、そのうち2780万二酸化炭素トン以上は森林が担当することになっています。炭素吸収や生物多様性の維持は今後も大きなテーマで在り続けるでしょうから、現場に技術者が必要であることは想像に難くありません。しかも、原木より直接的に大きな市場を相手にできる。

そのほか、森林が持つ機能は保健・レクリエーション、快適環境形成、土砂災害防止/土壌保全、水源涵養、文化などです。これらを求めているひとたちから、林業を推進するに足る顧客を見つけていかないといけない。安全な作業環境を求めるというのは、そういうことでもあるのだろうと僕は思っています。もしくは、何か破壊的な技術革新によって、これまでの前提条件を大きく覆すなど。

山間部における数少ない雇用を生んでいることもあり、林業従事者の中では「なにがなんでも林業をやる」ということが前提になっていることが多いように感じます。しかし、林業従事者以外のところで「林業がんばってくれよな」と言ってくれる人がどれだけいるか。この問いに、業界全体として向き合うタイミングが来ているのかもしれません。人は、関係性の中でしか生きられない。

先日、本山町フォレスターギャザリングがあったときに他地域のフォレスターの方と話しているときにこういった話に近い会話もありました。「山奥の誰も住んでいないところに放置林があったとして、何が問題なのか」みたいな話。こんな不届きなことを考えている人は、意外と潜んでいるのかもしれない。「全然違うよ!」という方からも含めて、いろいろ意見をお伺いしたいですし、議論や勉強したいです。どうぞよろしくお願い致します。

さて、僕は西粟倉で森林管理の会社を経営しています。西粟倉で森林に関わるべき理由は何か。結局僕も目的と手段の並び方が逆になってしまいますが、最近は西粟倉という暮らしの単位を維持する方法を模索することだ、と捉えています。そのために、ありとあらゆることを試していく。

たぶんこの村では、産業の主流とは全然ちがうところで生き延びる道を探していくことになります。手元にある森林でできることを少しずつ増やしながら、よその地域から見ると「ワケわかんないことしてんな」みたいなことをやっていく。幸い、西粟倉には中規模の製材所がひとつと、小規模な製材所や木工所数か所あり(shopbotに至っては4台もある)、林業事業体元気です。新しいことをやっていくのを恐れない空気も流れています。

この村は産業レベルでの希望にはなれない(そういう目で見られることがあるものの)ですが、変な奴らの基地くらいにはなれると思っています。音楽業界における、レコードショップくらいの場所。そう考えると、今の村内林業は画一的ですが、これも将来的には様々な形を包容できるようにしていきたい。でもまずは、とにかく人と山の関係性を模索していくこと。西粟倉で山に関わってるひとたちが楽しそうでなければいけないですよね。楽しそうなところに、人も情報も集まってくるのが世の常ですから。

今日はいつも以上に考えがまとまりませんが、標準工程の改正の先は、ただただ「林野庁ぶっ潰せ!」「賃金あげないとダメだ!」という話では済まないよな、ということを書き留めておきたいので公開しておきます。

将来の子どもたちが、山があって良かったと思えるようにしたいですね。

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