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『ひとよ』をめぐって

白石和彌監督作品『ひとよ』を観た。
私はこの作品の原作者・桑原裕子のファンだ。
2014年に彼女が主宰の劇団KAKUTAが上演したこの作品が映画化すると聞いて、ロードショーされるのを待ち望んでいたのである。

【あらすじ】

「あなたたちが生まれた夜、わたしがどんなに嬉しかったか。」

 どしゃぶりの雨降る夜に、タクシー会社を営む稲村家の母・こはる(田中裕子)は、愛した夫を殺めた。それが、最愛の子どもたち三兄妹の幸せと信じて。
 そして、こはるは、15年後の再会を子どもたちに誓い、家を去った—
 時は流れ、現在。次男・雄二(佐藤健)、長男・大樹(鈴木亮平)、長女・園子(松岡茉優)の三兄妹は、事件の日から抱えたこころの傷を隠したまま、大人になった。
 抗うことのできなかった別れ道から、時間が止まってしまった家族。そんな一家に、母・こはるは帰ってくる。

「これは母さんが、親父を殺してまで     つくってくれた自由なんだよ。」
 15年前、母の切なる決断とのこされた子どもたち。皆が願った将来とはちがってしまった今、
再会を果たした彼らがたどりつく先は—
                     (映画公式ホームページより引用)

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公式ホームページより引用


人よ、人なのよ。私が描きたいのは。
そんな声が、作品から聞こえてくる気がする。

桑原裕子は、救いようのない人間の泥臭さとか、抑えられないほど湧き上がる愛情とか欲望をとてもリアルに描く。その上、そういう人間の混沌とした部分を彼女は「あなたらしくて良いわね」と掬い上げてくれている気がする。
本作でも、それが垣間見えた。
例えば、作品の終盤での母・こはる(田中裕子)のセリフ。

「ただの夜だよ。自分にとってどんなに特別な夜でも、他の人からしたら何でもない夜。
でも、自分にとって特別なら、それでいいじゃない。」

自分の息子をなじり、一緒に過ごした楽しい夜を悔いる堂下(佐々木蔵之介)に言うセリフだ。
どんな過去でも、消そうとしたり、その時の思いをなかったことにしてはいけない。
それは、その時の自分を否定したことになるから。
父の死体に申し訳なさそうに頭を伏した母も、あの夜のことを「私は間違ってない」と強く言う母も、同じ1人の人間だ。

暴力を振るう父、子どもを守るために父を殺した母。子どもたち3人も15年間、事件が起きたあの夜に囚われて生きてきた。
でもきっと、この母の思いを受け取った3人はこれからは過去の事実と共に、でもちゃんと前を向きながら生きていくんだろうと想像する。
晴れやかなラストに、涙が止まらなかった。

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公式ホームページより引用


また、桑原裕子はこの作品を、東日本大震災を思いながら書いたという。

人間の、壊れた日常と再生の物語。
根底となるテーマは確かに、東日本大震災後に書いたと言われて頷ける。
私はこれを聞いて、自らのことを振り返らずにはいられなかった。

ここからは少し私個人の話になる。
震災のあの夜、私は14歳の誕生日を迎えていた。当時東北に住んでいたため、被害は少なかったものの停電の中夜を過ごした。
不安や心配が後を絶たなかった。それでもお腹は減るし、予約していたケーキを食べられなかったのは悔しかった。すごくアンバランスな精神状態だったことを覚えている。
でも、そんな夜に家族と食べた夜ご飯とか、ロウソクで照らしながらやったトランプとか、楽しい思い出も、今でも鮮明だ。
あの一夜は、私にとって特別だったのだと思う。

でも、翌日のラジオで被害を知った時、私にとってのあの夜はほんの些細な出来事だったのだと思わされた。それほどまでに、津波の被害は甚大だった。
でも、そうじゃなかった。

「ただの夜だよ。自分にとってどんなに特別な夜でも、他の人からしたら何でもない夜。
でも、自分にとって特別なら、それでいいじゃない。」

自分にとって特別ならそれでいい。なんだか、すごく救われた気持ちになった。
同時に、毎日毎日過ぎていく一夜は、誰かにとって特別な一夜なのかもしれないと想像してしまう。
もしかしたら今日すれ違ったカップルは今夜プロポーズするのかもしれないし、今日の満月を撮りに行った人は、過去1番いい写真が撮れたかもしれない。
『ひとよ』は、自分にも他人にも思いを馳せる作品なのだ。


映画版『ひとよ』が最高の出来だったので、叶うのならば舞台も観てみたい。夜公演を観に行きたい。
そうしたら私は、また彼らの一夜を目撃しに行こうと思う。





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