小事件 裏
「桐間は……、学校生活はどうなんだ?」
夏休みの職員室の中はいつもよりは少し静かだ。
目の前にいる中年の教師がそう訊ねながら部室の鍵を渡してきた。
「あー……まぁ、その、そこそこです」
俺は答えに困りながら当たり障りのない返事をした。
俺の返事に教師は苦い顔をした。
目の前にいるのは俺の担任を務めている教師で、俺のクラスでの振る舞いを知っている。
まぁ、つまり俺に友達がいないということを知っているわけだ。
「……困ってないならいいけどよ」
「ははは……」
適当に笑っておく。
教師はまた苦い顔をした。
「部活も……、その、……大丈夫なのか?」
訊きづらそうに躊躇いながらそう訊ねてきた。
俺は首を傾げる。
コイツ、わかってないのか?という顔をされる。
教師は少し躊躇ってから、声を潜める様にもう一度口を開いた。
「月瀬は……、変わり者だろう?」
問題児、という言葉を飲み込んだのだろう。
それだけでも相当頑張ったのだと思う。
月瀬水仙は俺の先輩で、所属する部活の部長で、そして学校一の問題児だ。
ただのではない教師たちの手に負えない、超がつくほどの問題児だ。
目つきが悪くて友達がいない、クラスではほとんど喋らないような俺が彼女から悪影響を受けていないかというのが質問の意図だろう。
世間体を気にした質問に俺が出来るのは苦笑を返すことぐらいだ。
「楽しくやれてますよ」
「……じゃあ、いいが」
教師はそれ以上何も言わず机の上の仕事に戻った。
俺は軽く頭を下げて、職員室を後にした。
部室棟へ行くまでの廊下も普段に比べればなんとも静かなものだった。
そんな廊下を歩きながらなんとなく先程の質問について考えていた。
俺が部長から悪影響を受けていない、と言えば嘘になる。
部長は確かに滅茶苦茶な人物で、幾度となく振り回されてきた。
意地悪もされるし、からかわれもする。
それでも、友達も居ないし趣味も特にない俺が問題なく、そして少しだけ楽しく学校生活を送れているのは部長のおかげだ。
だから、今の関係で良いんだと俺は思っている。
部長と俺の関係をさして詳しくもない他人にとやかく言われるのはあまりいい気持ちではない。
まぁ、それを教師にぶつけてしまえるような度胸を持ち合わせていないのでこうして心の中でグチグチと考えてしまうだけなのだが。
あと、部長にも俺の気持ちは伝えない。
絶対にからかわれるから。
気が付けば部室の扉の前まで来ていた。
意識せずとも目的地に着けるということは、既にそれだけ通いなれたということだろう。
俺はドアノブに鍵を差し入れて、鍵を開けた。
「お疲れ様でーす……」
声を掛けて入室するが、やはり部長の姿は無かった。
小さく息を吐いて、扉に近いいつもの席に着いた。
そもそも職員室に鍵を取りに行ったのは鍵が開いていなかったから。
鍵が開いていないということは部長がまだ部室に来ていないということなので、居ないことはわかっていた。
「……忙しいのかな?」
首を傾げて放った呟きは人のいない部室の空間に溶けていく。
詳しい事は未だにほとんど知らないが裏の世界の重要人物らしい部長が日々暇ではないということだけは知っている。
いつものことだが俺は部長から「明日、遅れる」だとか「明日、行けない」というようなことを何も聞いていない。
なので、部長が来るのだか来ないのだか、もう来た後なのか見当もつかない。
「…………」
今度はため息を吐いて机に突っ伏した。
やることがない。
ゆっくりと目を閉じた。
机の天板は室温よりも冷たくて、少しだけ心地がいい。
グラウンドを使っている運動部の声が聴こえた。
こんな炎天下の中、よくやるなぁとしみじみ思う。
机の天板はやがて俺の体温で温まっていき、すぐに温くなった。
そうなると額にじんわりと汗が浮かんでくる。
俺は起き上がる。
「……クーラー付けよ」
短い付き合いだった天板を一撫でし、立ち上がる。
壁に設置されたリモコンを操作してクーラーを起動させる。
冷たい風が部室に流れ始めた。
涼しい。
それだけで幾分か落ち着く。
落ち着けば行動する気も湧いてくる。
俺は部室に乱雑に積まれている備品の中からプロジェクターとスクリーンを持ち出し設置する。
この作業にもすっかり慣れたので数分も要せずに終わる。
プロジェクターの起動ボタンを押すと問題なくスクリーンにうっすらと起動画面を映し出した。
それを確認して、かばんの中から一枚のDVDを取り出した。
先日、近所のリサイクルショップで購入した古い映画のものだ。
タイトルは知っているが内容は知らない、そういう映画。
購入した理由は百円だったから。
暇な時に部室で見ようと持ち歩いていた。
こうして部室のスクリーンで映画を見れる機会は多いわけではない。
なんせ普段、部長はPCと睨めっこしているので室内が暗くなるのを嫌がるからだ。
それでも時々部長の気まぐれで映画鑑賞をすることがあった。
でも、部長がいない今なら存分に鑑賞できるわけだ。
仮に途中で部長が来たとしても、流石に見ている途中で止めさせるようなことはしてこない。
DVDを包んでいる薄いビニールを剥がし、パッケージをあける。
中の円盤を取り出して、プロジェクター付属の再生機の中にセットした。
大方の準備は整った、というところだった。
トントン、と部室の扉がノックされた。
部長ならわざわざ扉をノックしない。
この部室を訪れて、丁寧にノックをする人物は基本的に一人しかいない。
俺は特に何も考えずに扉をあけた。
「伊吹先輩。お疲れ様です」
そこに立っていたのは想像通り我が校の生徒会長であり、部長の幼馴染でもある伊吹湊先輩であった。
俺の挨拶に伊吹先輩は丁寧に「お疲れ様です、周君」と優しく微笑んでくれた。
校内一の美人である伊吹先輩に優しく微笑まれるだけで、今日は良い日だったなという気分になる。
伊吹先輩を部室の中に招き入れた。
「この部室が使われていたので一応確認に来たんですが、やっぱり周君だったんですね」
「? 何がですか?」
首を傾げる俺に伊吹先輩は驚いた表情をした。
「聞いてないんですか?」
「え? ……部長に何かあったんですか?」
部長に何かあったのだろうか。
訊ねると伊吹先輩は呆れたようにため息を吐いた。
「……水仙ちゃん、今日から外国に行っています」
「えっ」
「……一週間ほど帰ってこない予定です」
「えっ」
何も聞かされていない。
つまり、今日から一週間は「暇だから」という理由で急に呼び出されるようなこともなく、わざわざ部室に来なくても良かったわけだ。
真夏の炎天下の中わざわざ殊勝に部室に来たことが急に空しくなる。
ガックリと肩を落とした。
たぶん部長は今頃俺のこの姿を想像して笑っているのだろう。
そのために俺に言わなかったまで十分にあり得る。
月瀬水仙なら。
「もうっ、だから周君には伝えなさいって言っておいたのに」
俺の代わりに伊吹先輩が怒ってくれた。
「帰ってきたら水仙ちゃんにお説教しておきますから、周君顔を上げてください」
伊吹先輩が項垂れる俺の肩をそっと支えてくれた。
美人な上にこの優しさ、伊吹先輩の人気の理由が窺い知れる。
そんな伊吹先輩の前でいつまでもうじうじとしていられない。
「大丈夫ですよ」と顔を上げると伊吹先輩がまた微笑んでくれた。
かわいい。
俺がぼうっとしていると伊吹先輩は部室の中の様子をチラリと見まわした。
「あら、周君。映画鑑賞をするつもりだったんですか?」
プロジェクターとスクリーンに映し出された画面を見て伊吹先輩がそう訊ねてきた。
「ああ、そうです。部長が居なかったんで今のうちに、と思って」
「いいですね。水仙ちゃんがいない代わり、というわけはないけれど私も見てもいいかしら?」
「え、いいですけど。伊吹先輩、生徒会の仕事じゃないんですか?」
伊吹先輩の提案を断る理由は欠片も無いが、伊吹先輩も忙しいのではないだろうか。
そう訊ねると伊吹先輩は笑った。
「ふふふ、今日はもう終わったので大丈夫ですよー」
どうやら帰りしなにこの部室を立ち寄ったのだろう。
「一緒に見てもいいですか?」という伊吹先輩からの再度の問いかけに「もちろん」と答えて、席に案内。
俺が座るいつもの席と机二つを挟んだ隣の席。
伊吹先輩が流麗な所作で席に着くのを確認し、俺はプロジェクターの投影のために暗幕になっている部室のカーテンを閉めた。
元々、電気を付けていなかった部室の中はそれだけで暗くなり、先程までぼんやりと写っていたスクリーンの映像がハッキリと見えるようになった。
俺も席に着き、リモコンを構えた。
あとは再生ボタンを押すだけ。
ふと、横を見た。
伊吹先輩の綺麗な横顔が見える。
その瞳は子供のように輝いていた。
お嬢様の伊吹先輩には映画も珍しいのかもしれない。
その様子に思わず笑いながら、再生ボタンを押した。
映画会社のロゴムービーが流れ、映画が始まった。
ここまできて思い出す。
今日持ってきた映画は確か恋愛映画ではなかっただろうか?
変なシーンとかないよな?
思い付いて急にドキドキしてきた。
再生を中止することも思い付いたが、隣で目を輝かせている伊吹先輩の手前それは出来ない。
どうすることもできない俺はドキドキしながら画面を見た。
いや、ドキドキは隣に伊吹先輩がいるからかもしれない。
薄暗く、涼しい室内で俺は憧れの先輩と二人きりだった。
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