『踊り子』

 夜の帳がすっかり落ち、夜空にはいまだ見慣れない配置で星が並んでいるが、この街の騒がしさは衰えてはいない。
 酒場のドアをくぐると滑らかな笛の音と激しい打楽器の音、そして客の歓声や手拍子の音が響いてくる。

 「あー、疲れた」
 その騒がしさに慣れている青年は喧騒に構わずに呟き、酒場のカウンター席に着いて、持っていた黒いハードケースを立て掛ける様に置いた。
 「アンタ、今日ミス多かったわよ」
 青年に続くように少女とさらにその後ろのもう一人の青年も席に着く。
 少女は三人の中でも一際大きなハードケースを脇に置いて、最初に席に着いた青年――八代陸人(やつしろ りくと)に釘を刺すように言った。
 「悪かったな。お前も何回かミスってただろ」
 「アンタの方が多かったの確かでしょう」
 言葉の応酬が始まりそうになるが、もう一人の青年が「まぁまぁ」と二人の仲介に入った。
 今日の路上ライブはかなりうまくいった。
 というより、ここ最近は三人のバンドはすっかり順調に動いている。
 先ほどの陸人と少女の言い合いもいつもの事で、言ってしまえば気分が乗っているからこそのじゃれ合いのようなモノである。

 「あぁ、戻ってたのか」
 陸人たち三人に気付いた店主が声を掛けてくれた。
 店主は注文を聴くこともなく、陸人たちの前に『いつもの』飲み物を置いていく。
 「調子はどうだ」
 「順調っすよ。すっかりこの街じゃ有名になりましたから」
 陸人は笑いながら店主に渡されたビールを飲む。
 隣では少女が出されたコーヒーを飲んでいた。
 未成年である彼女は異世界にあってもアルコールは口にしないようにしている。
 変な所で真面目だな、と陸人が見ていると、少女と目が合い睨まれた。
 少女の態度に苦笑いしながら店内を見回す。
 ステージでは丁度、バンドの演奏が終わるところでステージ前の客は大いに盛り上がっていた。
 その様子を見ながらグラスを傾けていると、数人の客がこちらに振り返り目があった。
 バンドの演奏が終わった。
 振り返っていた犬の頭をした、この酒場の常連客がこちらに向かって大きく手招きをした。
 「陸人ー!! 戻ってきたなら一曲やってけー!!」
 すっかり有名になった陸人にリクエストが入った。
 常連客の多いこの酒場全体が騒がしくなる。
 やれ、と言う事だ。
 グラスに残った酒を飲み干して陸人は立ち上がった。
 「お前らは?」
 少女と青年に声を掛けた。
 「パス」
 少女が短く答えた。
 「んー、僕も今日はもうやめておくよ」
 青年は一瞬、悩んだ後断りを入れた。
 陸人は「そう」と短く返事をして、相棒の入った黒いハードケース片手にステージに向かった。
 ステージに着くと野次とも歓声ともつかない声が上がった。
 客もすっかり顔なじみになってしまったので特に気にせず、ハードケースを開き、アコースティックギターを取り出した。
 先ほどより大きい歓声が上がる。
 本来、弦楽器の存在しないこの世界の人々にとっては相変わらず珍しい楽器なのである。
 チューニングを整え、ステージから客席を見渡す。
 何人か知らない顔もいた。
 よそから来た冒険者なのだろう。
 珍しい楽器と聴いた事のない音に怪訝な顔をしているようだった。
 そんな物が楽器なのか?という反応だ。
 その反応に懐かしさを覚える。
 チューニングが終わった。
 自然と拍手が起こり、酒場が静まる。
 いつも通り沈黙の中で陸人は少しだけ目を瞑り、神に祈る。
 ギタリストが祈る神なんて一人しかいない。
 数瞬の沈黙の後、目を開けて滑らかに歌いだす。
 すっかりこの酒場でも定番になった陸人たちの世界の古い洋楽だ。
 観客から歓声が上がる。
 最初のワンフレーズを歌い終わったところで、アコースティックギターを弾き始める。
 ギターの音色が酒場に響き始め、酒場の盛り上がりが増した。
 楽器を持っている連中は好き勝手に演奏に混じってくる。
 怪訝な顔をした冒険者たちが困惑しながら酒場の盛り上がり巻き込まれていくのが見えた。
 思わず笑ってしまった。


♪ ♪ ♪
 演奏が終わると、一層酒場全体が湧きたった。
 もう一曲やれー!!という歓声とも野次ともつかない声に苦笑いしながらステージを降りる。
 流石に疲れているのでアンコールには答えなかった。
 次のバンドにステージを渡して、少女と青年の元へ向おうと野次と歓声を受けながら人混みを抜けようとした時だった。
 誰かに服の裾を掴まれていた。
 「今日は疲れたからもうやんねぇ――」
 常連の誰かだろうと呆れながら振り返った先にいたのは、知らない女性だった。
 決して比喩ではなく頭からウサギの耳が生えていて、ヒラヒラの多い妙にきわどい格好の女性だった。
 女性は陸人の服の裾を掴んだまま俯いているのでその表情は窺えなかった。
 「えーと……」
 困ったように陸人が立ち尽くしている間にステージではバンドの演奏が始まったようで、酒場の客は誰もこちらを気にしていないようだった。
 「あなたが――……」
 「え?」
 女性が何事か呟いたが酒場の喧騒に掻き消されてよく聞こえなかった。
 陸人が聞き返すと、女性がガバッと顔をいきなり上げた。
 整った顔立ちの美人であった。
 「あなたが噂のリクトね。今度、私のバックバンドをお願いできないかしら」
 『踊り子』の女性は自信満々に、そして目に強い光を宿して陸人にそう告げた。

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